長谷八幡宮
長谷八幡宮とは?(基本データ)
- 名前
- 長谷八幡宮(ながたにはちまんぐう)
- エリア
- 岩倉・宝ヶ池
- ジャンル
- 建立・設立
- 857年(天安元年)
- 創始者
- 惟喬親王(これたかしんのう)
- 祭神
- 惟仁親王(これひとしんのう)(第56代・清和天皇)
八幡大神 - ご利益
- 例祭
- 10月第2日曜(神幸祭)
他に湯立祭(4/29)、夏越大祓式(6月最終日曜)などが知られる - 神紋・社紋
- アクセス
- 駐車場
- あり
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒606-0026
京都府京都市左京区岩倉長谷町1117 - 電話
- 075-722-2707
- FAX
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- 公式サイト
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長谷八幡宮の地図
長谷八幡宮のみどころ (Point in Check)
京都市左京区岩倉長谷町、叡山岩倉駅の北東、住宅街の広がる岩倉東部の東の端にある神社。旧社格は村社。
社伝によれば、平安初期の857年(天安元年)、第55代・文徳天皇(もんとくてんのう 827-58)の第1皇子・惟喬親王(これたかしんのう 844-97)の請願により八幡大神並びに惟仁親王(これひとしんのう)を歓請し洛北の地に創建したのがはじまり。
父に愛され当初は皇太子になる予定でしたが、母が紀氏の出身で後ろ盾が弱く、その一方で当時一番の有力者であった右大臣・藤原良房の娘・明子との間に第4皇子として惟仁親王、のちの第56代・清和天皇(せいわてんのう 850-81)が誕生したため叶わず、872年(貞観14年)に病を得て出家し、素覚と号し比叡山麓の小野に幽居した後、雲ケ畑に宮を建てて移り住み、最後は更に北にある小野郷大森の地で亡くなった悲運の皇子として知られています。
皇位から艮位の方向に当たることから,皇城鎮護の神として崇敬を集めたといい、現在の社殿は江戸初期の元和年間(1615-24)に社殿が大破した際、これを憂いた江戸2代将軍・徳川秀忠の娘で第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう 1596-1680)の中宮・東福門院(とうふくもんいん 1607-78)が修復・再興したもの。
また長谷村・花園村・中村・三宅村の旧岩倉四か村の広大な地域にわたる氏神として信仰を集めていて、秋の大祭の日には岩倉三宅町の御旅所を含む氏子区域内で神輿渡御が盛大に行われます。
長谷八幡宮の施設案内
境内
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一ノ鳥居
境内の西側
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参道
まっすぐに西に300m続く参道は馬場として昭和20年代まで競馬が行われていたという
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長谷馬場南公園
参道南側
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長谷八幡宮バス停
参道真ん中あたりの交差点
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社号標
手前の交差点の南東角
「八幡神社」と刻まれている
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自然風景保全地区の説明版
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広場
二の鳥居手前南側
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建物
広場にある
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蔭山神社
摂社
二ノ鳥居の手前右側に石段
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年間行事表
二ノ鳥居の右
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手水舎
二ノ鳥居の手前左
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二ノ鳥居
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拝殿
鳥居くぐって正面中央
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本殿
鳥居くぐって拝殿の左(北側)
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末社
本殿の正面右
「神明社」「貴船社」「鴨皇社」「梅宮社」「山王社」「稲荷社」「春日社」「蔵王社」「疫神社」を祀る
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建物
拝殿の奥(東側)
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蛭子社
本殿正面左にある摂社
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社務所
鳥居くぐって左
境内西側
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神輿庫
社務所の右隣
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モミの木
区民誇りの木
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小川
境内北側の本殿の裏に小川があり、森の中に役行者像や妙法蓮華経の石塔があり、更に奥に池
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役行者像
「大峰修行供養塔建立記念」と石碑に刻まれている
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妙法蓮華経の石塔
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長谷土田公園
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南鳥居
境内南にも鳥居がある
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周辺
長谷八幡宮の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
歳旦祭
- 2/28
祈年祭
- 4/29
湯立祭(ゆたてさい)
10:00~11:00
煮えたぎらせた湯の音で五穀豊穣を占う湯立神楽が執り行われる
鈴を手にした巫女が笛や太鼓の音に合わせて祓神楽を舞、煮えたぎる湯が入った大釜の前まで進み、塩を撒いて釜を清め、湯の中に米と神酒を入れた後、祓串を持って舞を舞う
その後無病息災と所願成就を祈念し、両手に持った笹で湯を撒き散らし、湯が滴る笹で参拝者一同を祓う- 6月最終日曜
夏越大祓式
茅の輪くぐりあり
- 10月第2日曜
神幸祭(神輿渡御)
以前は10月10日だった
神輿を奉じて氏子区域を巡行し、岩倉三宅町の御旅所まで渡御が盛大に行われる
神輿は大人神輿と子供神輿がある
前日に宵宮祭- 11/28
御火焚祭
- 12/31
大祓式
- 12/31
除夜祭