大徳寺 聚光院
大徳寺 聚光院とは?(基本データ)
- 名前
- 大徳寺 聚光院(だいとくじ じゅこういん)
- エリア
- 紫野・鷹ヶ峯
- ジャンル
- 建立・設立
- 1566年(永禄9年)
- 創始者
- [開基] 三好義継
[開山] 大徳寺107世・笑嶺宗訢 - 宗派
- 臨済宗大徳寺派 大徳寺塔頭
- 山号
- 本尊
- 釈迦如来像
- 寺紋
- 独楽紋(千家独楽)
- アクセス
- 駐車場
- ■大徳寺駐車場
├バス20台分 2,000円
└自家用車50台分 1時間まで500円、以後30分毎100円 - 拝観料
- 中学生以上 600円
小学生 300円 - お休み
- 通常非公開(特別公開あり)
- 拝観時間
- 10:00~16:00
- 住所
- 〒603-8231
京都府京都市北区紫野大徳寺町58 - 電話
- 075-492-6880
- FAX
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- 公式サイト
- 聚光院本堂 文化遺産データベース
大徳寺 聚光院の地図
大徳寺 聚光院のみどころ (Point in Check)
京都市北区紫野大徳寺町、堀川北大路より約400m西に大伽藍を構える臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の20余りある塔頭寺院の一つ。勅使門・三門・仏殿・法堂・庫裏・方丈と北へ続く大徳寺の中心伽藍の庫裏のすぐ西側、織田信長の菩提寺・総見院の東隣に位置する、茶道の三千家の菩提寺としても知られる寺院。
戦国時代の1566年(永禄9年)、室町幕府第12代将軍・足利義晴に仕えた三好長慶の養子・三好義継(みよしよしつぐ 1549-73)が、養父であり戦国期に畿内の支配者として君臨した戦国大名・三好長慶(みよしながよし 1522-64)の菩提を弔うため、大徳寺107世・笑嶺宗訢(しょうれいそうきん 1505?-84)を開山として創建したのがはじまりで、「聚光院」の院号は三好長慶の法名「聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門」から採られたものだといいます。
開山である笑嶺和尚に参禅した茶人・千利休(せんのりきゅう 1522-91)が檀家となって多くの浄財を寄せたことから、以来当寺は千利休と利休の流れを汲む表千家・裏千家・武者小路千家の茶道三千家の菩提寺となっており、境内には千利休の供養塔を中心に三千家歴代の墓があり、わび茶の聖地ともいわれ毎月28日には茶の供養が行われるといいます。
入母屋造・檜皮葺の「方丈(本堂)」は創建時に建立されたもので、室町時代の最末期を飾る客殿遺構として貴重であり、国の重要文化財に指定。
その方丈の内部には狩野松栄(かのうしょうえい 1519-92)・狩野永徳(かのうえいとく 1543-90)父子による方丈障壁画、すなわち室中の襖絵「花鳥図」、上二之間の「琴棋書画図(きんきしょがず)」は狩野永徳の筆によるもので、下二之間の「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」、上一之間の「竹虎遊猿図」は永徳の父・松栄の筆によるもので、壮大な画面構成や雄勁な筆致で桃山障壁画を代表する傑作として国宝に指定。
現在は障壁画のオリジナルは保存のために京都国立博物館に寄託されていて、方丈では障壁画の複製を見ることができます。
また方丈南の蓬萊枯山水庭園「百積の庭」は永徳の下絵を元に千利休が作庭したと伝わり、桃山時代の遺風をよくとどめているとして国の名勝、方丈の北側に位置する書院の茶室「閑隠席(かんいんせき)」は利休150回忌の1741年(寛保元年)に表千家7代・如心斎が造営・寄進したという利休好みの三畳台目の茶席で、切腹した場所とも伝えられるなど利休ゆかりの伝説も多く国の重文、その他にも「桝床席(ますとこぜき)(重文)」、三好長慶ゆかりのものとしては、笑嶺の賛がある画像「絹本著色三好長慶像」(重文)や墓石などの文化財を所蔵しています。
通常非公開の寺院ですが、千利休の月命日である毎月28日に2つの茶室で茶会が開かれているほか、特別公開の際などに拝観することができ、2016年(平成28年)には創建450年を記念して春から1年にわたって特別公開されたこともありました。
大徳寺 聚光院の施設案内
境内
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表門
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参道
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石庭
門をくぐって右手
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庫裏
拝観受付を兼ねる
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方丈(本堂)
桃山時代の方丈建築を代表する建物で重文
方丈内部の狩野松栄・永徳父子による障壁画は国宝
障壁画のオリジナルは保存のため京都国立博物館に寄託され、現在方丈にある障壁画は複製
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方丈庭園「百積の庭(ひゃくせきのにわ)」
狩野永徳の下絵を元に千利休作と伝えられている方丈前(南側)の蓬萊枯山水庭園
苔庭に直線上に庭石を置き、石組みが多いことからこのように呼ばれる
指定名称「聚光院庭園」として国の名勝に指定されている
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閑隠席(かんいんせき)
利休150回忌の1741年(寛保元年)に表千家7世・如心斎が造り寄進したもの
三畳中柱入りで床の間は下座床、炉は台目切りとし、中柱と床柱はともに赤松皮付きで、点前座の天井は一段低くなった落天井とする
かつては千利休自刃の席として伝えられていた
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桝床席(ますどこせき)
閑隠席と同じ建物内、水屋を隔てて東側にある茶室で、枡形(正方形)の踏込床があるためこのように呼ばれる
四畳半平面のうちの半畳を床の間とした形式で、炉は床の間に接して向切りとする
この桝床は表千家第6代・覚々斎原叟の好みと伝わる
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書院
2013年(平成25年)に落慶
世界的に活躍する現代日本画家・千住博の障壁画「滝」が納められている
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三千家歴代墓地
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千利休墓
三千家の歴代墓地が並ぶ中央に位置する高さ約2mの宝塔
もとは船岡山にあった供養塔を生前に利休が愛し、没後自らの墓標としたと伝わる
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