京都市西京区上桂西居町、京都市西部、阪急嵐山線の上桂駅の東約200m、府道123号沿いに鎮座する神社。
祭神は太田神および伊豫親王。
往古、山城国葛野郡上桂村を開拓した人々が「太田神」を祀って五穀の豊穣を祈ったのがはじまり。
そして平安時代になると無実の罪や疫病などで非業の死を遂げた人々の霊が祟りや疫病や天変地異などの災いをもたらすと考え、これを神として祀ることでその霊を鎮めようとするいわゆる「御霊信仰」が起こると、室町時代には疫病除けの神徳によって各地に祭神が勧請されるに至り、当社も桓武天皇の第3皇子・伊豫親王(いよしんのう 783-807)を合祀して社名を「御霊神社」と改めるに至ったといわれています。
この点、伊豫親王は第50代・桓武天皇(かんむてんのう 737-806)の第3皇子で、式部卿、中務卿、大宰帥などを歴任し巡幸や遊猟の際にはその山荘に行幸しするなど父の寵愛を受けますが、桓武天皇の没後の807年(大同2年)10月、謀反を企てて捕えられた藤原宗成(ふじわらのむねなり 785-858)が首謀者は親王であると自白したために謀反の疑いをかけられて川原寺(奈良県明日香村)に幽閉され、6日後に母・藤原吉子(ふじわらのきっし ?-807)とともに服毒自殺し非業の最期を遂げました。
その後、伊予親王らの怨霊に悩まされた平城天皇は、弟の嵯峨天皇に譲位するまでに追い込まれたといい、祟りを怖れた朝廷によって復位・贈位がなされ、863年(貞観5年)に神泉苑にて御霊会が催された際にも早良親王らと共に親王母子の霊が慰撫されており、上御霊神社や下御霊神社にも八所御霊の1柱として祀られています。
古来より上桂の鎮守神として村民の崇敬篤く、1973年(明治6年)には村社に列し、また戦前には三大祭として催行する3月の「祈年祭」、10月の「秋季例祭(出御祭・神幸祭)」、12月の「新嘗祭」には京都市から幣帛供進使が参向していたといいます。
本殿に祭神として太田神・伊豫親王を祀り病気平癒・商売繁盛・災害無事・学問成就・交通無事などのご利益で知られているほか、境内には上桂の各地域にあった社が祀られており、このうち北宮に祀られている火雷神の御神徳により上桂村では大火が起こらないと言い伝えられています。
また神社の森は鎮守の森として地域の人々に親しまれており、中でも樹齢130年を超えるとされるクスノキはその象徴的な存在として、2002年(平成14年)3月に京都市指定保存樹にも指定されています。
行事としては毎年10月の第2日曜日に開催されている「秋季例大祭」が有名で、午前に7基の子供神輿の巡行、午後には大神輿の巡行が行われ、大神輿の巡行前には「上桂御霊太鼓」が奉納され、祭りを大いに盛り上げます。