聖護院八ツ橋 総本店 京都観光

聖護院八ツ橋 総本店

聖護院八ツ橋 総本店

 

 

聖護院八ツ橋 総本店とは?(基本データ)

名前
聖護院八ツ橋 総本店(しょうごいんやつはし そうほんてん)
エリア
岡崎・吉田・鹿ケ谷
ジャンル

食品製造・販売 京菓子・和菓子・スイーツ

創業・設立
1689年(元禄2年)、現在の本店の場所にて八橋検校の墓参に訪れる人向けに八ッ橋を作り販売
1926年(大正15年)、「株式会社聖護院八ッ橋総本店」設立
1967年(昭和42年)、つぶあん入り生八ッ橋「聖」を発売
所属
京都八ツ橋商工業協同組合
アクセス
  • 京阪鴨東線「神宮丸太町」駅下車 5番出口より徒歩約7分
  • 京都市営地下鉄東西線「東山」駅下車 2番出口より徒歩約14分
  • 京都市営地下鉄東西線「三条京阪」駅下車 1番出口より徒歩約17分
  • 京都市営バス「熊野神社前」(31・65・93・201・202・203・204・206号系統)下車 徒歩約3分
  • 京都バス「熊野神社前」(18系統)下車 徒歩約3分
駐車場
6台
主な商品
「聖護院八ツ橋」
「生八ツ橋」
「聖(ひじり)」
お休み
1/1のみ
営業時間
8:00~18:00
住所
〒606-8392
京都府京都市左京区聖護院山王町6
電話
075-761-5151
FAX
075-771-2114
公式サイト
聖護院八ツ橋総本店
聖護院八ッ橋総本店オンラインショップ
聖護院八ッ橋総本店 Facebook
口コミ・予約
聖護院八ツ橋 総本店 食べログ

聖護院八ツ橋 総本店の地図

聖護院八ツ橋 総本店のみどころ (Point in Check)

「八ツ橋」は京都の名物として有名な和菓子の一つで、米粉を湯でこねて砂糖で味つけ、肉桂(ニッキ・シナモン)で香りづけをして蒸したものを、薄く伸ばして短冊形に切ったもの。

これを鉄板で焼いて煎餅にした「八ツ橋煎餅(せんべい)」が八ツ橋と呼ばれる和菓子の元祖であり、堅い歯ごたえとニッキの香りをその特徴的としています。

この点、八ッ橋の起源には2つの説があるといわれています。

1つ目は江戸前期に活躍した盲目の音楽家・八橋検校(やつはしけんぎょう 1614-85)に由来しているというもの。

盲人が就く役職としては最高位である「検校」の位に就任し、「六段の調(しらべ)」など現在まで残る箏曲の名曲を多く生み出した箏曲の始祖といわれる人物で、平素より節倹を旨とし、流しのざるに溜まった米を粉にひいて飴を加え、堅焼きの煎餅を作って茶の子に供したといわれています。

そして没後の元禄年間(1688-1704)のこと、検校の墓は金戒光明寺の塔頭・常光院(八はしでら)に作られましたが、その徳を偲んで墓参に訪れる人は絶えることがなかったといい、検校の箏(琴)を模ったせんべい状の焼き菓子を「八ツ橋」と名付け墓に詣でる検校の弟子たちに販売したしたのがはじまりといわれています。

また一説には「昔、男(ありけり)」の冒頭句ではじまる平安前期の歌物語で、在原業平を思わせる人物を主人公とした「伊勢物語」の第9段「かきつばた」の舞台である三河の国の八橋にかけて、8枚の橋板を模したせんべい状の焼き菓子が八ッ橋の元祖だという説もあるといわれています。

八ツ橋が現在のような土産物としての地位を築いたのは、京都に鉄道が通るようになった明治初期の1877年(明治10年)に京都駅にて西尾松太郎が八ツ橋を販売するようになって以降のことといわれています。

その後、松太郎氏の子・西尾為治(1879-1962)が明治からしょうわしょきにかけて世界の博覧会に八ツ橋を出品し、1900年(明治33年)開催のフランスのパリ万博で銀賞を受賞するなど、数多くの賞を受賞することで海を越えた評判を獲得。
更に1915年(大正4年)に京都で大正天皇の即位式が行われた際に移転・改装された京都駅で八ッ橋を販売すると大いに売れたといい、西尾為治は八ッ橋業界の中興の祖として讃えられ、八ツ橋発祥の地である「聖護院の森」に境内を有する京都熊野神社には、「八ツ橋発祥の地」の石碑とともに西尾為治の銅像が設置されています。

西尾為治はその後1926年(大正15年)4月に「玄鶴軒」の屋号で行っていた八ッ橋の製造・販売事業を法人化して「株式会社聖護院八ツ橋総本店」を設立しますが、1930年(昭和5年)に個人としての破産が確定して取締役から去り、聖護院八ツ橋の経営権はその後は同社の専務だった鈴鹿太郎とその一族である鈴鹿家に現在まで引き継がれています。

その一方で1948年(昭和23年)には聖護院を去った西尾為治氏の長男・西尾為一が個人で八ッ橋の製造販売を開始し「本家八ッ橋聖護院西尾」の名で法人化。聖護院の訴えにより社名を「本家八ッ橋西尾」と改めて現在に至っています。

これ以外にも本家西尾八ツ橋と分かれてできた「八ツ橋屋西尾為忠商店(元祖八ツ橋)」や、1805年(文化2年)に祇園の地で創業した「井筒八ッ橋本舗」、1850年(嘉永3年)創業の「聖光堂八ッ橋総本舗」、そして1957年(昭和32年)から八つ橋の製造を始めた株式会社美十(現在のおたべ)などが知られています。

そして第二次世界大戦後、1960年代からは焼かないで一定サイズに切り出した「生八つ橋」が発売されるようになり、現在ではこちらの方が人気を集めるようになっています。

純粋に生地だけのものと二つ折りにして小豆あんを挟んだものがあり、とりわけ餡入りの生八つ橋が発売されると、爆発的なヒットとなり、京都を代表する観光土産としての地位を不動のものとしました。

統計調査によると京都観光のお土産として菓子類を購入する観光客は96%で、そのうち八ツ橋の売上は全体の45.6%(生八ツ橋24.5%+八ツ橋21.1%)を占めるといいます。

「聖護院八ツ橋」は江戸中期、検校の没後4年後の1689年(元禄2年)、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け、検校の墓のある金戒光明寺の塔頭・常光院(八はしでら)に近い黒谷山道「聖護院の森」の茶店、現在の聖護院八ツ橋本店がある場所付近にて検校の墓参に訪れる人に向けて販売したのがはじまりと伝えられています。

店舗は聖護院の本店のほか、東山丸太町交差点の熊野店、深草稲荷の稲荷店、岩月堂清水店のほか、各種百貨店や京都駅、空港などでも販売。

代表的商品としては創業以来、代わらず守り続けられてきた焼きせんべいの「聖護院八ツ橋」に加え、白く柔らかいニッキの香りがする「生八ツ橋」、生八ッ橋につぶあんを包んだ「聖(ひじり)」が有名。

その他にもゆず(1・2月)、さくら(3・4月)、黒糖(5・6月)、もも(7・8月)、くり(9~12月)と季節の味が楽しめる「旬菓(しゅんか)」や「霜の橋」、「聖護院まんじゅう」、そして八ツ橋を薄く伸ばして鉄の棒でくるくると巻いて焼いたフランス語でシナモンを意味する「カネール」といった商品が人気を集めています。

そして近年の2011年(平成23年)には伝統の味と製法を若い世代にもっと知ってもらおうと新ブランド「nikiniki」を設立するとともに四条西木屋町に店舗を開き、カラフルで可愛い進化系の八ッ橋やアート作品のような造形菓子などを提供するなど新しい取り組みも果敢に挑戦しています。

また現在でも検校の命日である毎年6月12日には早朝に社員全員が常光院(八はしでら)にある検校の墓へ墓参をし、午後には法然院にて聖護院八ッ橋総本店主催の元で「八橋忌」の法要も営んでいます。

聖護院八ツ橋 総本店の施設案内

 

店舗情報

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    店舗外観

     

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    店の様子

     

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    聖護院八ツ橋

     

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    生八ツ橋

     

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    聖(ひじり)

     

周辺

支店

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    熊野店

     

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    稲荷店

     

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    岩月堂清水店

     

関連

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    常光院(八はしでら)

    金戒光明寺(黒谷)の塔頭寺院

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    法然院

     

その他の八ッ橋の店

聖護院八ツ橋 総本店の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/8
聖護院門跡 寒中托鉢出発式

 

5月第2日曜
須賀神社 神幸祭(例祭)

氏子区域にあり、店の前を剣鉾を先頭に、子ども神輿や鳳輦、稚児行列が賑やかに練り歩く

6/12
八橋忌

八橋検校の命日法要
1949年(昭和24年)に第1回を開催以来毎年行われている
法然院にて法要の後、筝曲や舞などの奉納
これに先立って早朝には社員全員で常光院(八つはしでら)に墓参も行う

聖護院八ツ橋 総本店のレポート・旅行記

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