京都府京田辺市三山木塔ノ島、JR・近鉄三山木駅の東側にある高野山真言宗金剛峯寺派の寺院。
飛鳥時代、第42第・文武天皇(もんむてんのう 683-707)の704(慶雲元年)に創建されたと伝えられ、これは第43第・元明天皇(げんめいてんのう 661-721)が都を平城に遷した翌年の711年(和銅4年)に交通の要所に交通事務を司る行政機関として置いた駅の一つである山本駅が設置された和銅4年よりも7年前のことで、元々は大日如来像が本尊とし木津川近くにあったといわれています。
古くは「山本の大寺」と称せられ、七堂伽藍の備わった大寺院で民衆の信仰を集めましたが、度重なる木津川の氾濫により、江戸中期の1732年(享保17年)に小高い現在地に移転。
その後、明治維新に伴う「廃仏毀釈」により近隣の寺々を合併、また周辺の廃寺となった神宮寺(恵日寺)から現在の本尊・十一面千手千眼観音立像をはじめ多数の仏像も移されて保管されているといいます。
1997年(平成9年)には260年ぶりの平成の大造営を行い現在に至っています。
本尊・十一面千手千眼観音立像は平安後期の作で重要文化財に指定。
元は寿宝寺の境内から約1kmほど南西に鎮座する式内社の佐牙神社(さがじんじゃ)の神宮寺に祀られていたものの一つで、通常42本の手を持ち千手観音像と呼ぶことが多い中、大阪河内の「藤井寺(葛井寺)」と奈良「唐招提寺」の観音と共に「実際に千本の手を持つ千手観音」として三大傑作の一つに数えられています。
高さ181cmで、陽光と月光では違う表情を見せることで知られ、堂の扉が開いている間は切れ長の目が厳しく見える一方、扉を閉じ天井の照明だけにして月夜の状態にすると表情が穏やかになるといい、本尊の拝観は基本予約が必要となりますが、拝観の際には両方の表情を見せてもらえるそうです。
また長岡京市の柳谷観音(楊谷寺)のものと同木といわれていて、これにちなみ眼病平癒祈願に霊験があるといわれています。
また門前左に延喜式内社の佐牙神社の御旅所があり、毎年10月の体育の日の前日の「秋祭り」では山本と江津の2基の神輿渡御があり、御旅所に到着した後、2基の神輿の前に穀物や豆類、果物など100種類以上の「百味」が供えられ、夜には巫女による「湯立神楽」も行われて無病息災が祈願されます。
この一連の神事は「山本の百味と湯立」として京田辺市文化財に指定されている京田辺を代表する伝統行事の一つです。
また竹取の翁の舞台「山もと」にあたるともいわれ、かぐや姫の登場する「竹取物語」発祥の地ともいわれています。