叡山三宅八幡駅 京都観光

叡山三宅八幡駅

叡山三宅八幡駅

大原街道の途中、高野川沿いの三宅八幡宮ゆかりの駅

叡山電鉄叡山本線の駅で相対式2面2線ホームの無人駅。 大原街道(国道367号)と高野川が交差する三宅橋から南へ数十mの所にあり周辺は農家なども残る古くからの住宅地。 蓮華寺や崇道神社のアクセスに便利なほか駅名由来の三宅八幡宮の表参道があり三宅橋から朱塗りの大鳥居を見ることができる

叡山三宅八幡駅とは?(基本データ)

名前
叡山三宅八幡駅(えいざんみやけはちまんえき)
エリア
岩倉・宝ヶ池
ジャンル

鉄道・駅 叡山本線

建立・設立
1925年(大正14年)9月27日、京都電燈の駅として開業
1942年(昭和17年)、会社合併により京福電気鉄道の駅に
1986年(昭和61年)4月1日、京福より分離設立した叡山電鉄の駅に
アクセス
  • 叡山電鉄叡山本線「三宅八幡」駅下車すぐ
  • 京都バス「三宅八幡」(10・16・17・18・19系統)下車すぐ
駐車場
-
拝観料
なし
お休み
特になし
拝観時間
時刻表に準ずる
住所
〒606-0086
京都府京都市左京区上高野木ノ下町20-3
電話
075-781-3305(出町柳駅)
075-781-5121(運輸課)
075-702-8111(営業課)
FAX
-
公式サイト
三宅八幡駅 叡山電車

叡山三宅八幡駅の地図

叡山三宅八幡駅のみどころ (Point in Check)

京都市左京区上高野木ノ下町、京都市の北東、高野川左岸(東岸)に沿って北東へ進んだ大原街道(国道367号)が高野川を渡って右岸(北側)側に出る位置に架かる三宅橋の南詰の交差点から100mほど南に入った所にある叡山電車叡山本線の駅。

この点、上高野地区が属する「修学院(しゅうがくいん)」は京都盆地北東部に広がる岩倉盆地の南側に位置する比叡山と高野川に挟まれた地域で、比叡山から南へと続く東山連峰の山裾に広がり、狭義には修学院村のみを指しますが、広義には愛宕郡高野村、修学院村、一乗寺村の3つの村を合わせてできた修学院村を指す場合もあります。

この点、修学院村および北隣の高野村および南隣の一乗寺村を合わせた広義の「修学院」の周辺一帯は縄文時代から人が居住し生活が営まれた場所で、また修学院から比叡山へと向かう「雲母坂(きららざか)」の京都側の入口にあたることから、平安時代には「西坂本」と呼ばれ比叡山の宿坊が数多く建立されたといわれていますが、平安後期の1121年(保安3年)には延暦寺と園城寺との対立によって一乗寺など多くの天台宗寺院が焼き討ちされ灰燼に帰したといいます。

また南北朝時代の1336年(延元元年/建武3年)、京を追われ九州へと逃れた足利尊氏は態勢を立て直して再び京都へと攻め上がり、「湊川の戦い」で河内の楠木正成が討死すると、第96代・後醍醐天皇は尊氏の追撃に備えて京から比叡山に逃れ、滋賀側の東坂本を新田義貞と名和長年、京都側の西坂本を、後醍醐天皇の皇子・尊良親王と千種忠顕(ちくさただあき ?-1336)が守備することとなります。

そして後醍醐天皇の側近として隠岐配流から従い、建武新政権でも重要な地位を占めるなど南朝の四人の功臣を指す「三木一草」の一人にも数えられた千種忠顕は西坂本に攻め寄せた尊氏の弟・足利義直の軍勢と雲母坂で激しい戦闘となり、戦死した場所としても知られています。

明治以降は1868年(明治元年)に山城国愛宕郡の修学院村・一乗寺村・高野村が旧京都府に編入された後、1889年(明治22年)の町村制施行によって3か村は統合され「修学院村」が発足し、旧村名を継承した3大字を編制され、更に1931年(昭和6年)4月1日には修学院村が京都市左京区に編入され、上高野、修学院、山端、一乗寺の4地区に再編され現在に至っています。

そして「上高野」地区はその修学院学区の一番北、宝ヶ池の北東側で岩倉川が高野川に合流する地点から高野川を北東の上流へ進んだ先の高野川の南北両岸に広がる地域で、古くは愛宕郡出雲郷に属していましたが、小野氏の進出によって愛宕郡小野郷となり、修学院や八瀬・大原とともに「小野ノ里」と呼ばれていたといい、最初の遣隋使として知られる小野妹子の子・小野毛人(おののえみし ?-677)について記した「小野毛人天武天皇6年(677年)」と書かれた墓誌が江戸初期の1613年(慶長18年)に崇道神社の山内で発見された古墳の中で発見されています。

近世以降、明治維新までは禁裏御領地で、平安時代には原野で京の狩猟場であったことから「鷹野」と記され、これが後に「高野」と記されるようになったといい、集落の名前も山城国愛宕郡「高野村」となり、また地区を流れる「高野川」の名前の由来にもなったようです。

その後、前述のように高野村は明治期に修学院村、一乗寺村と合併して「修学院村」となり、その大字の一つとされ、更に1931年(昭和6年)に修学院村が京都市左京区に編入され、高野村は京都市左京区の一地区としての「上高野」とされました。

これは高野川下流の賀茂波爾神社(赤の宮神社)が鎮座している高野川左岸(東岸)の北大路通の南北に広がる地域、この場所は江戸時代に荒地を開拓して開かれた「高野河原新田(新田村)」という村があった場所ですが、それまでは田中村に属していたものが、1918年(大正7年)に下鴨村や田中村が京都市に編入された際に「高野」として先に左京区に組み込まれたため、元々高野だった場所にもかかわらず「上高野」と改められたのだといいます。

その上高野の中心駅である「三宅八幡駅」は1925年(大正14年)9月27日に電力会社・京都電燈が経営する叡山電鉄の平坦線の駅として開業したのがはじまりで、1942年(昭和17年)3月には戦時統制によって京都電燈が解散されるのを受け、同社の京都および福井での鉄道事業を分離・引き継ぐために「京福電気鉄道」が設立され、嵐山線・北野線・叡山線の路線継承によって京福電気鉄道の駅となります。

その後、自動車社会の到来に伴って1976年(昭和51年)3月31日に京都市電の今出川線が全線廃止されて市バスに転換されると、出町柳駅が他の鉄道と接続しない孤立したターミナルとなり、京都市内中心部と直結する路線バスに乗客が流れて叡山本線・鞍馬線の利用客が一気に減少したことで京福および京福を配下に持つ京阪グループの経営を圧迫する事態に。

そこで経営体制の見直しが図られることとなり、1985年(昭和60年)7月に京福の全額出資で叡山電鉄株式会社が設立されると、翌1986年(昭和61年)4月1日には京福が叡山電鉄に叡山線の鉄道事業を譲渡する形で叡山電鉄叡山本線の駅となりました。

更にその後、叡山電鉄が1991年(平成3年)に株式の60%が京福から京阪に売却され、2002年(平成14年)3月には全株式が京阪に売却されて京阪の100%子会社となったため、現在の叡山電鉄叡山本線は京阪グループ傘下の駅となっています。

相対式2面2線のホームを持つ地上駅で、北側が八瀬比叡山口方面ホーム、南側が宝ケ池・出町柳方面ホームとなっており、ホーム東側の駅構内踏切の所に両ホームの入口があるほか、南側の宝ケ池・出町柳方面ホームには西側にも小さな出入口が設けられています。

そして無人駅で改札はなく、両方のホームは上屋で覆われるとともに屋根の下にはベンチが設置されていて、また柵や上屋の柱などは駅名の由来にもなっている「三宅八幡宮」に因んで朱色に塗られており、趣を感じさせてくれるほか、駅前には終戦直後まで神社名であった「三宅八幡神社」と刻まれた社号標が建っています。

小野妹子が遣隋使から無事帰国後に大分・宇佐八幡宮より八幡神を所領の上高野に勧請し創建したと伝わり、駅名の由来にもなっている「三宅八幡宮」の最寄駅ですが、八幡宮は駅の北側に架かる三宅橋を渡ってすぐの所にある朱塗りの大鳥居をくぐって表参道を更に北へ400mほど進んだ先にある二の鳥居をくぐった先に本殿があり、宝ケ池から分岐して北へと続く叡山鞍馬線の「八幡前駅」の方が、二の鳥居までの距離は圧倒的に近くなっているものの、正式な参拝ルートは当駅からになります。

そして比叡山の山麓に広がるのどかな風景も残る駅の周辺は、古くからの農家の面影を残す住居なども混在する住宅地ですが、史跡や観光スポットなども点在していて、虫除けと子供の守り神として有名な「三宅八幡宮」のほかにも紅葉や新緑の名所として知られる「洛北蓮華寺」や桓武天皇の実弟・早良親王を祀り、小野神社・伊多太神社・出雲高野神社・小野毛人朝臣墓などの平安以前にこの地を治めた小野氏ゆかりの史跡も残る「崇道神社」、平安京造営に活用されたという瓦が造られていたという「おかいらの森」、そして毎年8月19日の夜に境内で行われる「上高野念仏供養踊」が京都市の無形民俗文化財に指定されていることで知られる「宝幢寺」などが知られています。

叡山三宅八幡駅の施設案内

 

地上

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    国道367号

     

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    高野川

     

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    三宅橋

     

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    三宅橋南詰交差点

     

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    三宅八幡バス停

     

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    三宅八幡駅への小道

     

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    「三宅八幡神社」の社号標

     

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    駅構内踏切

    駅東側

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    八瀬比叡山口方面ホーム入口

     

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    八瀬比叡山口方面ホーム

     

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    駅名標

     

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    IC改札機

     

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    ベンチ

     

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    宝ケ池・出町柳方面ホーム入口

    駅東側

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    宝ケ池・出町柳方面ホーム

     

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    駅名標

     

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    IC改札機

     

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    ベンチ

     

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    宝ケ池・出町柳方面ホーム入口

    駅西側

周辺

叡山三宅八幡駅の主な年間行事・カレンダー

年中行事

 
 

 

月並行事

 
 

 

花ごよみ

 
桜(サクラ)

三宅橋西側の高野川沿い

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