橋姫神社
悪縁を絶つ縁切りの神としても有名な宇治橋の守り神
宇治川西詰近くにある神社。646年宇治橋架橋の際に橋の中央に張り出す三の間に橋の守り神として瀬織津媛を祀ったのが起源。 一方で「平家物語」などでは嫉妬深い鬼神として描かれ丑の刻参りの原型とされるなどの伝承を持ち、縁切りの神としても有名。 源氏物語宇治十帖冒頭を飾る「橋姫」の古跡でもある
橋姫神社とは?(基本データ)
- 名前
- 橋姫神社(はしひめじんじゃ)
- エリア
- 宇治
- ジャンル
- 建立・設立
- 646年(大化2年)、宇治橋の架橋の際に上流の櫻谷に祀られていた瀬織津媛を橋の中程に張り出した三の間に祀ったのがはじまり(その後宇治橋西詰に遷される)
1870年(明治3年)、洪水により流出しのちに現在地に再建 - 祭神
- [式内 橋姫社] 瀬織津媛(せおりつひめ)または橋姫
[摂社 住吉社] 住吉明神 - ご利益
- 悪縁切り
宇治橋の守り神 - 例祭
- 6/10
- 神紋・社紋
- アクセス
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- 境内自由
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 9:00~17:00
- 住所
- 〒611-0021
京都府宇治市宇治蓮華46 - 電話
- 0774-21-2017
- FAX
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- 公式サイト
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橋姫神社の地図
橋姫神社のみどころ (Point in Check)
京都府宇治市宇治蓮華、宇治川に架かる宇治橋西詰からみ並へ、「縣神社」への参道となっているあがた通りの大鳥居を抜けた先の通りのすぐ左に位置する小さな神社。
「縁切り」のご利益で有名なように悪縁切りのドロドロした逸話もある一方、宇治橋の守り神とされるエピソードもある神社です。
646年(大化2年)に宇治川に宇治橋が架けられた際、橋の守護神として上流の櫻谷(桜谷)と呼ばれた地に祀られていた人の罪や穢れを流し去ってくれるという川の女神・瀬織津比咩(瀬織津媛)(せおりつひめ)を勧請し、橋姫として祀ったのがはじまりとされています。
この点、古くは橋の守護と管理を任されていた放生院常光寺(橋寺)の敷地内で、宇治橋の中ほどに張り出して造られた「三の間」に祀られていたといいます。
「三の間」とは橋の真ん中付近に一部分出っ張った場所のことで、かつて豊臣秀吉がここから茶の湯の水を汲んだと伝わり、平成に建て替えられた新しい橋にも設けられ、「宇治茶まつり」でもここで神事および水汲みの神事が行われていますが、元々は橋姫が祀られていた場所でした。
その後、宇治橋の西詰に祀られ、更に明治時代の1870年(明治3年)に洪水による流出の後、1906年(明治39年)10月に現在の場所に移されました。
宇治橋の守り神である一方で、いくつかの伝承が伝わっており、その一つが「宇治の橋姫」と呼ばれる伝説です。
宇治の公家の娘であった橋姫という女が、夫をある女性に盗られたことから嫉妬に狂い、貴船神社に「丑の刻参り」をして鬼女に変身し女性を殺し、その親類を殺し、遂には誰彼かまわず殺し人々を恐怖に陥れたといいます。
この伝承から「縁切り」の神様として悪縁を断ち切るご利益があるとされ、その一方で婚礼の行列はこの神社や宇治橋を通るのを避けるという慣習もあったといいます。
そしてもう一つ有名なのが紫式部の「源氏物語」の第45帖、第3部「宇治十帖」の冒頭の「橋姫」のエピソードです。
主人公・光源氏が亡くなった後の話で、ここからは光源氏の子供である薫と孫の匂宮が主役を務めますが、
「橋姫の心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞ濡れぬる」
上記の薫が光源氏の腹違いの弟・八の宮に宛てて詠んだ和歌からタイトルがつけられたといわれ、橋姫神社は源氏物語「宇治十帖」ゆかりの古跡にもなっています。
また境内には瀬織津比咩尊の他に水の神として知られる住吉神社が並んで祀られています。
橋姫神社の施設案内
境内
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鳥居
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公文水の石標
入口の左脇に石碑
「宇治七名水」の一つ
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宇治市の説明板
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本殿
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橋姫社
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住吉社
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社務所
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句碑
流離 宇治川の 砂の夕焼け すなほりて 無心のあこは みすておくべし 山六書
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関連
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宇治橋三の間
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周辺
橋姫神社の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 6/10
例祭