京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前、阪急西山天王山駅の西方、天王山の北麓にある登山口の入口に鎮座する神社。
祭神は「春日四神」として知られる武甕槌神(たけみかづちのかみ)、斎主神(いわいぬしのかみ)、天児屋命(あめのこやねのみこと)、そして比売大神(ひめのおおかみ)の4柱。
社伝によると創建は奈良時代の718年(養老2年)とされ、乙訓地方において最古の神社の一つ。
詳しい創建の経緯は不明ですが、背後の竹林に4世紀末頃に築かれたという鳥居前古墳と呼ばれる前方後円墳があり、その被葬者が後の時代に神格化されて神社が創建されたと考えられています。
そして794年(延暦13年)の平安遷都の際には、御所の鬼門除けとして北東の吉田神社に対し、南西の裏鬼門を守る鎮守国家の社として祈願され、文徳天皇の時代の850年(嘉祥3年)には最高位の神階である「正一位・小倉大明神」を賜ったといい、また平安中期の927年(延長5年)に編纂された当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である「延喜式神名帳」においては乙訓十九座の一つとして「山城国乙訓郡 小倉神社 大 月次新嘗」と記されていて、式内大社に列されています。
戦国時代1582年(天正10年)6月の有名な「本能寺の変」を受けて羽柴秀吉と明智光秀が雌雄を決した天下分け目の天王山「山崎の合戦」においては、秀吉が合戦前に家臣の片桐且元、脇坂安治を遣わし戦勝を祈願して見事に勝利を収めたといい、その神徳に報いるため毎年米3000俵を寄進したといわれてい、江戸時代には幕府より山地20町歩余りを寄進されるなど手厚い保護を受け、明治維新まで旧境内地は6万坪余に及んだといいます。
現在でも当時には及ばないものの広い境内を有し、「京都御役所向大概覚書」によれば氏子村々として円明寺村、下植野村、調子村、友岡村、下海印寺村、金ヶ原村、神足村、古市村、勝竜寺村、久貝村が記されて、その氏子区域は小泉川流域を中心とした現在の大山崎町と長岡京市の一部に及んでおり、現在も広く信仰を集めているといいます。
現在の本殿は江戸後期の1811年(文化8年)に再建された後、創建1300年に合わせて2018年(平成30年)に改修されたもの。
そして緑に包まれた厳かな境内には樹齢600年のご神木がそびえ立つほか、本殿の裏には「地磁波発生の処」と記された盤座もあり、パワースポットとしても知られていて、参拝後に本殿の周囲を3周すると願い事が叶うといわれています。
その他の見どころとしては本殿前石段下の龍や亀の手水舎や、天王山の登山口の脇に並べられた十二支の石像などがあるほか、近年は毎年5月に催される「春祭り」において、京都縦貫道の高架にほど近い西条交差点付近から小泉川沿いに約150mに渡って、多くの鯉のぼりが空を泳ぐ姿を見ることができ、神輿渡御に加え新たな名物となっています。