京都市右京区西京極東衣手町(ころもでちょう)、桂川の東岸、西京極総合運動公園の五条通を挟んで北西にある松尾大社の境外末社。
「郡衣手神社(こおりころもでじんじゃ)」「衣手社」ともいい、旧郡村(こおりむら)の産土神として崇敬を集めています。
祭神は開拓の神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)、農業、諸産業の神・羽山戸神(はやまとのかみ)を祀っています。
創建の経緯は不明も、古くより山城地方開拓の神として信仰される玉依姫命を祀り、「三宮社」と称し郡村の産土神として敬われていましたが、1875年(明治8年)に松尾大社の境内に鎮座していた衣手社の農業をはじめとする諸産業の守護神として知られる羽山戸神を合祀し、1878年(明治11年)に「衣手神社」と社名が改められました。
現在の本殿は江戸初期の1679年(延宝7年)に再建されたもので、拝殿は1852年(嘉永5年)の建立。
その後1930年(昭和5年)の大修理の際に御輿庫および社務所などが改築整備されています。
旧地と伝わる「衣手の森(杜)」はかつては糺の森、藤の森とともに「三大森」にも数えられていたといい、藤原定家が「ほととぎす声あらわるるころもでのもりの雫を涙にやかる」(拾遺愚草)と詠むなど、古来より歌枕としても有名でした。
森のあった場所については確定していませんが、桂川の氾濫による社殿流出の後に現在地に遷されたと考えられ、境内の鎮守の森には往時を偲ばせるようにケヤキやムクノキの大木を見ることができます。
また松尾大社の「松尾祭」の際には、6基の神輿のうち「衣手社」の神輿の御旅所になっており、郡地区や葛野地区などで神輿渡御が行われ、多くの見物客で賑わいます。
この他にも毎年3月初旬の「歩射祭」は奉射祭、オマトウ(的)とも呼ばれ、神前で一年の豊作を祈願した後、的に向けて矢を射て、矢の当り具合によってその年の豊凶が占われます。
その後、毎年10月中旬の「秋季例祭」にて新穀を神前に供えて収穫に感謝する神事も行われます。