滝口寺
滝口入道と横笛の悲恋にちなむ「平家物語」ゆかりの寺
平家物語ゆかりの寺。 元は法然の弟子・良鎮が開創した往生院の子院・三宝寺で、廃仏毀釈の影響で廃寺なったが、 平重盛(清盛の長男)の家来・斎藤時頼(滝口入道)と建礼門院(清盛の娘で安徳天皇の生母)の侍女・横笛との悲恋の物語のゆかりの地として近年再興
滝口寺とは?(基本データ)
- 名前
- 滝口寺(たきぐちでら)
- エリア
- 嵐山・嵯峨野
- ジャンル
- 建立・設立
- 平安時代(当時の寺名は往生院三宝寺)
祇王寺(1895年)と同時期に再建 - 創始者
- [開基] 念仏房良鎮(法然の弟子)
[再興] 有志による - 宗派
- 浄土宗
- 山号
- 小倉山
- 本尊
- 阿弥陀如来
- 寺紋
- アクセス
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- 大人・大学 300円(団体250円)
高校・中学 200円(団体中学150円)
小人 50円
※団体割引は25人以上 - お休み
- 無休
- 拝観時間
- 9:00~17:00(受付16:45まで)
- 住所
- 〒616-8387
京都府京都市右京区嵯峨亀山町10-4 - 電話
- 075-871-3929
- FAX
- 075-871-3929
- 公式サイト
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滝口寺の地図
滝口寺のみどころ (Point in Check)
京都市右京区嵯峨亀山町、嵯峨嵐山にそびえる小倉山の山麓、奥嵯峨にある祇王寺のすぐ隣に位置する浄土宗の寺院。
山号は小倉山、本尊は阿弥陀如来。
元々の旧名は「三宝寺」といい、法然の弟子・念仏房良鎮(りょうちん)が開創し念仏道場として栄えた「往生院(現在の祇王寺)」の子院で、かつて「平家物語」の巻の十「横笛」にて登場する斎藤時頼(滝口入道)(さいとうときより(たきぐちにゅうどう))と横笛(よこぶえ)との悲恋の物語が伝えられていた場所であることから「滝口寺」と呼ばれていました。
滝口入道は名を斎藤時頼といい、平重盛に家臣として仕え宮中の警衛に当たる滝口の武士(滝口とは清涼殿の東庭北東の詰所のこと)となりますが、平清盛の西八条殿の花見の宴の際に平清盛の娘で安徳天皇の生母・建礼門院に雑仕女(ぞうしめ)として仕えていた横笛の舞を見て一目で恋に陥りますが、彼の父親が身分の違いを理由にその恋を許さなかったため、落胆のあまり時頼はわずか19歳にして往生院に入り出家し「滝口入道」と呼ばれました。
これを聞いた横笛は往生院を訪ねますが、滝口入道は修行の妨げになると会わず、直後に女人禁制の高野山清浄院に移ってその後「高野聖」となったといい、1184年(元暦元年)には紀伊国勝浦での平維盛の入水に立ち会っています。
また滝口入道を会うことが叶わなかった横笛は悲しみのあまり大堰川に身を沈めたとも、奈良・法華寺に出家したともいわれていて、法華寺には横笛堂が建てられているほか、本堂には横笛が手紙の反故(ほご)で自らの姿を作ったと伝わる張り子の横笛像が安置されているといいます。
一方、三宝寺は「応仁の乱」などの戦火で多くの社寺が焼失する中で兵火を免れたものの、明治期に入り明治維新の際の「廃仏毀釈」によって廃絶となっていましたが、昭和の初期に入って「平家物語」の二人の悲恋のゆかりの地として有志によって庵室が建てられ、清凉寺内の史跡となって再興されることとなり、小説家・高山樗牛(たかやまちょぎゅう 1871-1902)が1894年(明治27年)に書いた処女作であり代表作でもある歴史小説「滝口入道」にちなんで歌人で国文学者の佐佐木信綱(ささきのぶつな 1872-1963)が「滝口寺」と名付けたといいます。
竹林と楓に囲まれた閑静な境内には茅葺き屋根の鄙びた古民家といった風情の本堂が建てられていて、堂内には三宝寺の寺跡を引き継ぐ形でその遺物であるという目に水晶の入った出家して滝口入道と称した斎藤時頼と横笛の坐像が安置されています。
また本堂へ向かう参道石段の途中には滝口入道に会えずに都へと戻る横笛が、自分の気持ちを伝えるために指を切り、その血で記したといわれている「歌碑」が建っています。
その他にも境内には1338年(延元3年/建武5年)に越前にて戦死した南朝方の武将・新田義貞(にったよしさだ)の首塚とその妻・勾当内侍(こうとうのないし)の供養塔もあり、三条河原で晒された夫・義貞の首を勾当内侍が密かに盗み出してこの地に埋葬し、庵を結んで出家し、生涯この地で暮らしたという、もう一つの悲恋の物語が伝えられており、また野趣溢れる庭は秋は隠れた紅葉の名所となっていて、隣の祇王寺と一緒に参拝する人も多く見られます。
滝口寺の施設案内
境内
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門前入口
祇王寺の隣
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参道石段
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表門
茅葺きの門
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拝観受付
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駒札
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新田義貞首塚
表門のすぐ右奥
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勾当内侍供養塔
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参道石段
石段を上がった先に本堂
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横笛歌石(三宝寺歌石)
表門から本堂へ向かう石段の途中
「山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に 我を導け」「滝口と横笛歌問答旧跡 三宝寺」と刻まれている
滝口入道に会えず都に戻る横笛が指を切り、その血で自分の気持ちを伝えるために記したといわれている
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平家供養塔
本堂前の庭に建つ平家一門と滝口入道の供養塔といわれる十三重石塔
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小松堂
本堂の南側
斎藤時頼(滝口入道)の主君である小松内大臣・平重盛を祀る
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本堂
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滝口入道と横笛の木像
堂内に安置され目には水晶がはめ込まれている
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横笛の絵
横笛が滝口入道を訪ねてくる場面を描いたものだという
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本堂前庭
本堂内の縁側からゆったりと眺めることができる
周辺
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「新田公首家碑道」の道標
関連
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法華寺(ほっけじ)
奈良県奈良市法華寺町にある光明宗寺院(元真言律宗)
第45代天皇・聖武天皇の皇后・光明皇后(こうみょうこうごう 70160)の開基と伝わり、奈良時代には日本の総国分尼寺とされた
赤門の東側に横笛堂があるほか、本堂に横笛が手紙の反故(ほご)で自らの姿を作ったという伝承のある高さ約30cmの張り子の横笛像が安置されている