京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町、臨済宗天龍寺派大本山・天龍寺の境内にある天龍寺の塔頭寺院。
山号は霊亀山(れいぎざん)、本尊は聖観世音菩薩。
室町中期の1429年(永享元年)に室町幕府の管領であった細川持之が、天龍寺の開山である夢窓国師より3世の法孫にあたる玉岫(ぎょくしゅう)を開山に迎えて創建し、持之の院号「弘源寺春岳常喜」にちなんで「弘源寺」と称しました。
この点、細川家は清和源氏の流れをくむ由緒がる家柄で、持之は足利家より分かれて後の細川家第9代にあたります。
創建当初は小倉山の麓に位置し、北は二尊院、南は亀山と南北にいたる広大な寺領を有していましたが、幾度かの火災による焼失と再建を繰り返す中で変遷を重ね、1882年(明治15年)に末庵である維北軒と合寺し現在に至っています。
現在の客殿形式の「本堂」は江戸初期の寛永年間(1624-45)の造営で、正面中央に本尊・聖観世音菩薩、その右側に開山・玉岫禅師木像、左側に開基・細川右京太夫持之公の位牌が安置されているほか、柱に残る刀傷は幕末に池田屋事件をきっかけとして起きた1864年8月20日の「禁門の変(蛤御門の変)」の際に天龍寺に陣を構えた長州藩の藩士たちが血気にはやりつけたと思われる試し切りの痕で、本堂の柱のあちらこちらに残っているといいます。
また「毘沙門堂」には三国伝来とされ国指定重要文化財となっている「毘沙門天立像」が安置されていて、「天龍寺七福神」の毘沙門天の札所となっており、2月3日の節分の日には多くの参拝客が訪れます。
更に枯山水の庭園「虎嘯の庭(こしょうのにわ)」は嵐山を借景に春の桜や秋の紅葉などと見事に調和し、中でも紅葉の嵐山を借景とした本堂からの眺めは嵐山でも屈指の美しさといわれています。
通常非公開の寺院ですが、春と秋に特別公開を行っていて、その際には本堂や毘沙門堂の毘沙門天像や庭園などのほか、竹内栖鳳(たけうちせいほう)とその一門、上村松園(うえむらしょうえん)・西山翠嶂(にしやますいしょう)・徳岡神泉(とくおかしんせん)・小野竹喬など文化勲章受章画家の日本画などの展示も行われ、新緑や紅葉とともに見学することが可能です。
その他にも小倉山の弘源寺墓地には向井去来の墓と西行法師ゆかりの井戸などがあることでも知られています。