京都市左京区銀閣寺町、金閣寺(鹿苑寺)とともに世界遺産として知られる銀閣寺(慈照寺)の北側、総門の正面向かって左手、大文字を管理する浄土院の前を過ぎた突き当たり、大文字山の登山口前に鎮座する神社。
江戸後期の1853年(喜永6年)に浄土村一村の全焼によって古文書などが焼亡したため、由緒の詳細は不明ですが、創建は平安時代の大同年間(806-10)とも、延喜年間(901-23)とも伝えられていて、古くは「八所大明神」「十禅師大明神(じゅうぜんし)」と称したといいます。
「八所大明神」は高御産日神、神産日神ほか、天皇を守護する宮中八神のことで、「八神社」の社名もこれにちなんだものと考えられています。
この点、主祭神は天御中主神と並ぶ造化三神の1柱で、万物を生み育て繁栄させるとともに、人の心を清め、正しく導き、守ってくれる神様として知られています。
その他に相殿に樹下社(じゅげしゃ)と称し豊斟淳尊(とよくむぬのみこと)を祀る十禅師大明神を祀るほか、境内社として五穀豊穣を司る稲倉魂命(うがのみたまのみこと)を祀る稲荷社(樹下稲荷大明神)、および山林水を司る高?神を祀る雨之社の2社が社を構えています。
古くは銀閣寺(慈照寺)の建立前にこの地にあった天台宗の大寺院である「浄土寺」の鎮守社であったといい、その後、銀閣寺が建立された際に浄土寺が相国寺の西に移転した後も当地に残され、銀閣寺の鎮守社として、あるいは旧浄土寺村の地域一帯の産土神として広く崇敬を集める神社です。
行事としては10月下旬の日曜日に開催される「秋季例祭」が有名で、神輿のほか猿田彦や榊、剣鉾や子供神輿、女神輿などの行列が銀閣寺前などを巡行します。