八坂塔(法観寺) 京都観光

八坂塔(法観寺)

八坂塔(法観寺)

東山のシンボルとして親しまれる高さ46mの五重塔

臨済宗建仁寺派。清水寺に近い二寧坂と三年坂の中間に位置。高さ46mの五重塔がそびえる景観から「八坂塔」の愛称で親しまれる東山を象徴するランドマーク的存在。 聖徳太子の創建と伝わり延喜式七ヶ寺の一つに数えられるほど隆盛を極めたが現在は塔と太子堂、薬師堂が残るのみ

八坂塔(法観寺)とは?(基本データ)

名前
八坂塔(法観寺)(やさかのとう(ほうかんじ))
エリア
祇園・東山
ジャンル

寺社 茶室 十三佛 五重塔 東山花灯路 開山忌・御忌

正式名
法観禅寺(ほうかんぜんじ)
建立・設立
伝・592年(崇峻天皇5年)、飛鳥時代に八坂氏の氏寺「八坂寺」として創建されたとも
1240年(仁治元年) 、建仁寺第8世・済翁証救が入寺し、禅宗寺院に改められる
1440年(永享12年)、室町幕府6代将軍・足利義教により五重塔が再建される
創始者
[開基] 伝・聖徳太子(しょうとくたいし)
[中興] 済翁証救(さいおうしょうく)
宗派
臨済宗建仁寺派
山号
霊応山(れいおうざん)
本尊
五智如来(大日・釈迦・阿閦・宝生・弥陀)
寺紋
 
アクセス
  • 京阪本線「祇園四条」駅下車 東へ徒歩約15分
  • 阪急京都線「京都河原町」駅下車 東へ徒歩約17分
  • 京都市営バス「東山安井」(80・202・206・207・臨号系統)下車 徒歩約5分
  • 京都市営バス「清水道」(80・急100・202・206・207・臨号系統)下車 徒歩約5分
  • 京都バス「東山安井」(18系統ほか)下車 徒歩約5分
駐車場
なし
拝観料
不定期だが五重塔は階段を二層目まで登ることが可能
├中学生以上 500円
└小学生以下は拝観不可(階段が急なため)
お休み
不定休
拝観時間
10:00~16:00
住所
〒605-0827
京都府京都市東山区清水八坂上町388
電話
075-551-2417
FAX
075-551-2417
公式サイト
霊応山 法観寺(八坂の塔) 数珠巡礼 オフィシャルサイト

八坂塔(法観寺)の地図

八坂塔(法観寺)のみどころ (Point in Check)

京都市東山区八坂上町、北の八坂神社と南の清水寺のほぼ中間に位置する臨済宗建仁寺派の寺院。

祇園東山のシンボル的存在である五重塔でよく知られていて、「八坂の塔(やさかのとう)」の通称で市民より親しまれています。

飛鳥時代の589年(崇峻天皇2年)、聖徳太子の創建とも伝えられ、少なくとも平安京遷都以前には創建されていたという京都でも有数の古い歴史を持つ寺院の一つです。

古くは「八坂寺」と称し、八坂郷を拠点としていた渡来系豪族の八坂造(やさかのみやつこ)が創建にかかわったといわれており、八坂氏の氏寺としての性格を有していたと考えられています。

平安中期の905年(延喜5年)から編集がはじまり927年(延長5年)に完成した平安期の法令集「延喜式(えんぎしき)」では盂蘭盆(うらぼん)供養料を給される七か寺の一つとされていて、官寺として栄えていたことが窺い知れます。

しかし創建当時の五重塔は1179年(治承3年)、清水衆徒と祇園神人(じにん)との合戦の兵火により焼失し、1191年(建久2年)、鎌倉幕府を開いた源頼朝の援助を受けて再建。

その後も幾度かの焼失と再建を繰り返し、現在の塔は室町時代の1440年(永享12年)に室町第6代将軍・足利義教により再建されたものです。
飛鳥時代の創建当初と同じ礎石の上に再建されており、高さ46mは東寺と興福寺に次ぐ高さを誇り、国の重要文化財にも指定されています。

鎌倉時代の1240年(仁治元年)には、中興の祖とされる建仁寺第8世・済翁証救(さいおうしょうきゅう ?-1260)が入寺し、禅宗寺院に改められるとともに、寺号も現在の「法観寺」となりました。

しかし「応仁の乱」をきっかけとして急速に衰退し、現在では有名な五重塔(重文)のほかは、江戸初期に門前の住人の寄進で再建された太子堂と薬師堂の2つの堂を残すのみとなっています。

本尊の金剛界五仏「五智如来(ごちにょらい)」は五重塔の初層に安置されており、塔の中央を貫く心柱の大日(だいにち如来)を中心として北に釈迦(しゃか)、西に阿弥陀(あみだ)、南に宝生(ほうしょう)、東に阿閦(あしゅく)が配されています。

また法観寺の五重塔は不定期ではあるものの内部拝観も可能で、しかも初層だけでなく二層目の公開も行われており、二層目まで上がって窓から京都の町並みを眺望することができます。

風情のある町家と石畳の参道が続く「産寧坂伝統的建造物群保存地区」に位置し、境内の前を通る八坂通からの塔の眺望が最も美しく、テレビや雑誌などでもよく採り上げられています。

この点、八坂通からの眺望は2か所あって、1つ目は二年坂を上がった所から八坂通の下り坂をゆるやかに西へと下っていく坂道の途中からで、五重塔を見下ろす景色が楽しめます。

そしてもう一つが東大路通と八坂通の交差点より東へ続く細い道からで、この通りは塔を建てた聖徳太子が仏法興隆を夢見たことにちなんで「夢見坂」と呼ばれていて、五重塔を見上げる景色が楽しむことができ、どちらも甲乙つけがたい美しい眺めです。

また五重塔の眺望はどの季節でも素晴らしいものの、美しいピンク色の花が五重塔の周囲を彩る桜の季節や、雪景色に包まれた五重塔を眺めることができる冬の雪の降った後、更にライトアップの行われる3月の東山花灯路の時期などは、普段とはまた違った美しい五重塔に出会うことができます。

その他に境内には木曾義仲の首塚と伝わる石塔もあり、1月20日の命日にはその遺徳を偲ぶ「義仲忌」も執り行われています。

聖徳太子創建と伝わる、祇園東山のランドマークタワー

創建の歴史

寺伝によると、589年(崇峻天皇2年)(592年とも)に聖徳太子が如意輪観音の夢告により五重塔を建てたのがはじまりで、その際に礎石には釈迦の骨である「仏舎利」が3粒を収められたといいいます。

境内より出土する瓦の様式から創建は7世紀を遡る平安京遷都以前から存在していたことは間違いなく、朝鮮半島系の渡来氏族で、古くから八坂郷を拠点としていた八坂造(やさかのみやつこ)が創建に関わり、八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力となっています。

寺号は当初は「八坂寺」と呼ばれ、文献上は837年(承和4年)の「続日本後紀」が初出。
また平安中期の905年(延喜5年)から編集がはじまり927年(延長5年)に完成した平安期の法令集「延喜式(えんぎしき)」では、東寺、西寺(さいじ)、佐比寺、野寺、出雲寺、聖神寺とともに大膳職から盂蘭盆(うらぼん)供養料を給される七か寺の一つに名前があり、四天王寺式の大伽藍を持つ官寺として栄えていたとみられています。

956年(天暦10年)には菅原道真の怨霊に悩む藤原時平への護持祈祷や、一条戻橋での父親の蘇生、平将門の乱を鎮めるなど数々の伝説を持つ天台密教の僧・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ 891-964)が、勅命を受けて傾いた八坂の塔(五重塔)を法力で元に戻したという伝説があり、有名な「祇園祭」の山鉾の一つ「山伏山」の由来にもなっていることでも有名です。

五重塔の再建の歴史

五重塔は平安末期の1179年(治承3年)に清水衆徒と祇園神人(じにん)との争いで焼失しており、その後1191年(建久2年)(建久3年とも)に源頼朝の援助により再建。

その後1291年(正応4年)にも焼失しており、その時は1309年(延慶2年)に第91代・後宇多天皇(ごうだてんのう)の援助で第9代執権・北条貞時の側室・覚海円成(山内禅尼)(かくかいえんじょう)により再建されています。

そして現在の五重塔は1436年(永享8年)の焼失後、1440年(永享12年)に室町第6代将軍・足利義教の援助により再建されたもの。
創建時の塔跡に建てられており、古代寺院に特有だという心柱の礎石が残っていることでも知られています。

禅宗への改宗とその後

その間の1240年(仁治元年)に建仁寺8世・済翁証救(さいおうしょうく ?-1260)が入寺して中興し、真言宗から臨済宗建仁寺派に属する禅寺に改められました。

また1338年(暦応元年)に室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)が、天龍寺開山で知られる僧・夢窓疎石(むそうそせき)の勧めにより全国に安国寺(あんこくじ)および利生塔(りしょうとう)を建てた際には、都の利生塔に五重塔を充て、塔を修復するとともに仏舎利を奉納しています。
この計画は後醍醐天皇以下の戦没者の菩提を弔うためのもので、聖武天皇が国ごとに国分寺を建立したように国ごとに1寺1塔を建てるもので、寺は「安国寺」、塔は「利生塔」と称しました。

しかし「応仁の乱」をきっかけとして急速に衰退し、現在では有名な五重塔(重文)のほかは、江戸初期の1663年(寛文3年)に門前の住人の寄進で再建された太子堂と薬師堂の2つの堂を残すのみとなっています。

八坂塔(法観寺)の施設案内

アクセス

北の八坂神社と南の清水寺のほぼ中間に位置し、一帯は社寺建築物と町家と石畳の続く歴史的な町並みが続くことから「産寧坂伝統的建造物群保存地区」と呼ばれる景観保全地区に指定されており、もっとも京都らしい景観と情緒が味わえる場所です。

東山の観光名所へアクセスする場合の最寄駅は四条大橋の両サイドにある阪急「河原町駅」と京阪「祇園四条駅」か、やや北の地下鉄東西線「東山駅」になります。

四条大橋の両駅からの場合は、四条大橋から四条通を東に見える八坂神社の朱塗りの西楼門を目指して歩き、門前の「祇園」の交差点に出るのがポイントです。

「祇園」の交差点で右折して南北を通る「東大路通」を南へと歩いていき、「東山安井」の交差点約250mほど下がると、左手に細い道があるのでこれを右折します。

その道が「八坂通」と呼ばれている道で、東大路通から左折した瞬間に目の前に「八坂の塔(五重塔)」が見えてくるので見失うことはないかと思われます。
そしてそこから塔までの道は別名「夢見坂」と呼ばれていて、八坂の塔(五重塔)の中でも一二を争う有名なビュースポットの一つです。

また八坂神社や高台寺を経由する場合は、「ねねの道」を経由して「二年坂」を上がっていくと、坂を上がった突き当たりが「八坂通」で分岐点となっており、左へ曲がると産寧坂から清水寺へ向かいますが、これを右折して八坂通をゆるやかに下っていくと、ほどなくして八坂の塔(五重塔)が視界に飛び込んできます。

その石畳の下り坂から見る八坂の塔(五重塔)も一二を争う有名なビュースポットの一つで、テレビや雑誌などでもよく使用され目にします。

またバスを利用する場合は東大路通沿いの「清水道」バス停で下車し、東大路通を少し北へ歩くと、ほどなくして右側に八坂通の細い道が見えてくるので、そこを右折するのが一番近くて分かり易いルートになります。

境内

以前は広大な境内を有していたといわれていますが、現在は八坂の塔(五重塔)に加え、堂宇は太子堂と薬師堂があるのみで、他に茶室・聴鐸庵や鎮守などがあります。

拝観は有料ですが、八坂の塔の内部を見学できるほか、塔の2層目まで上がることができ、京都市内の眺望を楽しむことができます。

境内

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    入場門

    八坂通に南面してあり、門をくぐってすぐ右手に拝観受付、そして目の前に五重塔(八坂の塔)がある

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    五重塔(八坂の塔)(ごじゅうのとう(やさかのとう))

    「八坂の塔」の通称で祇園東山のランドマークタワーとしてよく知られており、国の重要文化財にも指定
    飛鳥時代の589年(崇峻天皇2年)、聖徳太子の創建と伝わる
    創建当時の塔は平安末期の1179年(治承3年)に清水衆徒と祇園神人(じにん)との争いで焼失し、1191年(建久2年)(建久3年とも)に源頼朝の援助により再建
    その後1291年(正応4年)にも焼失し、1309年(延慶2年)に第91代・後宇多天皇の援助で第9代執権・北条貞時の側室・覚海円成(山内禅尼)(かくかいえんじょう)により再建
    現在の五重塔は1436年(永享8年)の焼失後、1440年(永享12年)に室町幕府6代将軍・足利義教によって再建されたもの
    ただし中心の礎石は創建当初のものがそのまま使用され、創建当時と同じ場所に再建されている
    本瓦葺き5層、方6m、高さの46mの純然たる和様建築で、白鳳時代の建築様式を今に伝える
    高さ46mは東寺、興福寺の五重塔に次ぐものだという
    初層に本尊の金剛界五仏「五智如来(ごちにょらい)」を安置し、塔の中央を貫く心柱の大日(だいにち如来)を中心として北に釈迦(しゃか)、西に阿弥陀(あみだ)、南に宝生(ほうしょう)、東に阿閦(あしゅく)を配する
    内部を見学することができ、5層目まで上がれるようになっているというが、現在は2層目まで上がることができ、窓から京都の町並みを眺望できる

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    薬師堂

    五重塔の北東側、右手奥を進んだ所にあり、京都市指定文化財に指定
    本尊として薬師如来と日光・月光菩薩、洛陽四十八願所地蔵めぐり札所の本尊である夢見地蔵、十二神将像を安置する

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    太子堂

    薬師堂の左隣(西側)にあり、京都市指定文化財に指定
    江戸初期の1663年(寛文3年)に門前居住の町人の寄進により再建された
    聖徳太子の3歳と16歳の像を安置する

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    八坂稲荷神社

    薬師堂の右手にある
    入口に石鳥居と、その右手脇に「鎮守・八坂稲荷尊天」と刻まれた石標がある

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    朝日将軍木曽義仲の首塚(あさひしょうぐん きそよしなかのくびづか)

    源義仲(みなもとのよしなか 1154-84)は、木曾義仲(きそよしなか)の名でも知られている源平の時代に活躍した武将
    「平家物語」では朝日将軍(あさひしょうぐん)とも呼ばれている
    父・源義賢(みなもとのよしかた)は源頼朝・源義経の父・源義朝(みなもとのよしとも)は異母弟であり、頼朝・義経兄弟は従兄弟にあたる
    1歳の時に父が義朝との対立の中で殺され、信濃国(長野県)の南西部の木曽の山中へと逃れて育てられた
    1180年(治承4年)、以仁王により隆盛を極めた平家打倒の令旨が下されるとこれに呼応して挙兵
    1183年(寿永2年)に越中・加賀国の国境にある砺波山の「倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)」で平家の大軍を破って大勝利すると、平家を都落ちさせて、源氏の中で一番に入京を果たす
    しかし治安維持の失敗や後白河法皇と不和などにより、最後は頼朝が送った源範頼・義経の軍勢によって近江国の「粟津の戦い」に敗れて戦死する
    首は六条河原で晒された後に法観寺に葬られたといい、境内の東奥、八坂稲荷に義仲の首塚と伝えられる小さな墓がひっそりと立っている
    命日の毎年1月20日には「義仲忌」の法要が境内で行われる
    また義仲に側室として仕えた巴御前(ともえごぜん)は武勇に優れ、数々の戦功を立てた女武者としてよく知られている

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    藤原数子墓

    藤原数子は平安前期の仁明天皇の女御

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    聴鐸庵(ちょうたくあん)

    五重塔の屋根の先端に吊るされた「風鐸(ふうたく)」の音色を聴くことができる所からその名がつけられたおいう茶室
    風鐸は堂塔の軒の四隅などに吊るす青銅製の鐘形の鈴のことで、風鈴の由来にもなっているという

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    八大龍王

     

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    地守・時面大神

     

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    宝篋印塔

     

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    史跡法観寺境内の石標

    東大路通から夢見坂(八坂通)を東へ進んだ突き当たり、境内西側に立つ石標

関連

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    産寧坂伝統的建造物群保存地区

     

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    八坂通

    境内の南側を東西に走る石畳の細い道で、西側は東大路通へ、東側は二年坂への分岐を経て、産寧坂、そして清水寺の方へと通じている

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    夢見坂

    境内より西の東大路通へ向かう八坂通の別名で、八坂の塔(五重塔)が最も美しく見えるビュースポットの一つ
    塔を建てたと伝わる聖徳太子が仏舎利を感得し、仏法興隆を夢見たことにちなんで呼ばれている

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    建仁寺

     

周辺

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    二年坂

     

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    八坂庚申堂(金剛寺)

     

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    文の助茶屋 本店(ぶんのすけぢゃや ほんてん)

    門前東側の八坂通沿いに店を構える甘味茶屋
    明治末期の1910年(明治43年)に二世・桂文之助が開いた
    甘酒とわらび餅が名物なほか、夏はかき氷も有名

八坂塔(法観寺)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/20
義仲忌(よしなかき・ぎちゅうき)

平安末期に活躍した源義仲(みなもとのよしなか)を偲び、その命日である1月20日(旧暦3月10日)には義仲や松尾芭蕉の墓があることで知られる滋賀県大津市の義仲寺や法観寺にて法要が行われる
先に10:00より義仲寺で法要が行われた後に法観寺へと向かう
11:00頃より境内にある義仲の首塚前で「首塚供養祭」の法要が行われた後、「木曽踊保存会」および「義仲・巴ら勇士讃える会」により「木曽踊り」が奉納される
当日は境内が無料開放され、自由に入ることができる

関連行事

3月初~3月中
東山花灯路(ひがしやまはなとうろ)

「東山花灯路」は京都の夜の新たな風物詩となることを目指して、2003年(平成15年3月)から始められた「灯り」をテーマに始められたイベントで、北は青蓮院から知恩院、円山公園、八坂神社、高台寺を通り、二年坂や産寧坂を経て南は清水寺に至る約4.6kmの路地を行灯で照らす
その他にも公園や普段は夜間拝観は行っていない周辺の寺社などでもライトアップや様々な行事・イベントが開催される
特別拝観はないものの、境内の南側を東西に走る八坂通沿いの石畳の参道に続く露地行灯と、高さ46mの八坂の塔がライトアップされる姿は東山花灯路を代表する眺望の一つ
[公式]

花ごよみ

3月下~4月上
桜(サクラ)

境内入って左手にソメイヨシノ
またねねの道の桜並木や高台寺の駐車場よりソメイヨシノとのコラボレーションした風景が楽しめる
二年坂側から八坂通を下がった東側からも、通り沿いにある枝垂桜と塔とのコラボレーションが楽しめる

9月~10月
秋明菊(シュウメイギク)

八坂の塔(五重塔)のそば

10月下~11月中
石蕗(ツワブキ)

八坂稲荷尊天や歌碑のそば

11月中~下
紅葉(こうよう)

入口のそばに紅葉する木々
また桜同様にねねの道の桜並木や高台寺の駐車場より紅葉とのコラボレーションした風景が楽しめる

八坂塔(法観寺)のレポート・旅行記

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