京都市中京区、京都市のほぼ中心に位置し、京都の目抜き通りといわれるメインストリート・四条通の一筋北にある錦小路通のうち、寺町通~高倉通の間にある商店街です。
市民からは「にしき」という愛称で呼ばれ、日頃から生鮮や加工食品を販売。
一般の家庭から老舗料亭まで、京都の食文化を支える「京の台所」として多くの人々に親しまれてきました。
そして近年は地元民はもちろん外国人などの観光客にも大人気のスポットとして知られています。
この点「錦小路通」という呼び名は平安時代からのもので、それ以前は家具や調度品をを売る店が並んでいたことからこれらを指す言葉である具足(ぐそく)にちなんで「具足小路」と呼ばれていたといいます。
その後、いつしか「錦小路」と呼ばれるようになったのですが、その由来については具足小路がなまって「くそ小路」と呼ばれていたのをあんまりだと、時の後冷泉天皇が「錦小路」と改めたとか、四条通の南にある「綾小路」に対して「錦小路」と呼ばれるようになったなど、諸説あるそうです。
一方「錦市場(京都錦市場商店街振興組合)」については、延暦年間(782~806年)に魚屋が開かれたのが、そのはじまりともいわれていますが、市場として本格的に活気づいたのは江戸初期の天正年間に入ってから。
錦市場の地下には上質な地下水が流れており、その豊富な地下水を利用した冷蔵庫代わりの貴重な「降り井戸」があったことから、幕府より魚問屋「錦之店」の称号が許され、そのお墨付きを得てからは朝廷や社寺などへ献上品を納めるようになり、魚市場として栄えたといわれています。
その後、明治時代に都が東京へ移り、独占的な魚問屋としての特権がなくなると、錦市場は一時衰退。
更に1927年(昭和2年)に生まれた「京都中央卸売市場」や大手スーパーの進出など、何度か存続の危機を迎えることもありましたが、青果や乾物などの取り扱いを増やすなど、その都度時代のニーズに合わせた取り組みを行い、現在は小売市場としても賑わいを見せる商店街となりました。
近年は「錦市場」ブランドを適切に保護するため、特許庁に商標登録の出願も行い、2005年(平成17年)1月に京都府内の商店街で初めて「錦市場」の商標登録を取得。
また更なる市場の繁栄を目指し「錦にぎわいプロジェクト」を発足させ、様々な事業に取り組んでおり、2006年(平成18年)には経済産業省の選定する全国の「がんばる商店街77選」にも選定。
2015年(平成27年)には江戸幕府の認可から遂に400年を迎え、現在も更なる進化を遂げています。
現在は錦小路通の東は寺町から西は高倉まで、東西約400m(390m)のアーケード商店街で、狭い通りにひしめき合うように130軒余の店が立ち並んでいます。
鮮魚や京野菜をはじめとした生鮮食品や、湯葉、生麸などの京料理の食材、京漬物や乾物、お茶や京菓子、おばんざい(惣菜)などの加工食品など、京都の食材が一堂に集結。
京都ならではの食材なら何でも揃う「京の台所」として、料亭や旅館などの業務用をはじめ、京都市民はもとより遠方の客にも親しまれています。
また近年はお土産の購入や食べ歩きが楽しめる人気の観光スポットとして、近くにある新京極商店街や寺町京極商店街とともに、多くの外国人や修学旅行生など観光客で賑わっています。
更にこちらも近年大人気の江戸時代の絵師・伊藤若冲(じゃくちゅう)は、元は錦市場の青物問屋の長男で、家督を弟に譲って絵の世界へ進みましたが、晩年には町の自治にも携わったといいます。
2016年(平成28年)には生誕300年を記念するイベントも多数開催されましたが、錦市場では店舗のシャッターに若冲の作品が描かれるというユニークな展示「錦市場商店街ナイトミュージアム」が行われ話題を呼びました。
東の端には「錦の天神さん」と親しまれている錦天満宮が鎮座し、学問の神様として知られる菅原道真を祀ることから、受験生の参拝も多いほか、錦市場発展の要因ともなった「錦の水」が湧き出ていることでも知られており、誰でも自由に汲むことができます。
また建物にめり込む石造りの鳥居や、ユニークなからくり仕掛けのおみくじも人気のスポットです。