京都市下京区西中筋通七条上る菱屋町、西本願寺にほど近い七条堀川にある、室町中期の応永28年(1421年)創業の老舗の和菓子店。
本願寺(西本願寺)との関係は室町中期の1483年(文明15年)に山科に「山科本願寺」が建立された頃からといい、供物や諸事に携わったほか、その後本願寺が各所を転々とし、1591年(天正19年)に豊臣秀吉の命によって現在地の七条堀川に落ち着くと、その御用達の御供物司となり、現在に至るまで各種の法要に際して供物を納めているといいますが、中でも西本願寺の年中行事で最大の行事である1月の「御正忌報恩講」の際には種類や色彩、大きさなど全てにおいて豪華で精巧な供物[御華束(おけそく)]が供えられといいます。
そして「亀屋陸奥」の屋号は江戸初期の1660年(万治3年)の頃にかつて豊臣秀吉が聚楽第の池に浮かべて興じたという檜造りの大きな亀を公家の柳原家を通じて手に入れ、更に江戸中期の1715年(正徳5年)には三条大納言より「陸奥の大掾」の御宣旨を賜り、この双方にちなんで命名されたものです。
代表銘菓である「松風」は小麦粉に砂糖、麦芽、白味噌を練り込んで一晩寝かせて自然発酵させた後、直径50cmの平らな一文字鍋で円形に焼き上げ、網に乗せて冷ましてから短冊形に切ったもので、400年以上変わらずに受け継がれているといいます。
1570年(元亀元年)に始まり11年間続いた戦国大名・織田信長と大坂石山本願寺との「石山合戦」の最中、当家3代目・大塚治右衛門春近が作った品が籠城する本願寺の兵糧の代わりとなり、信長と和睦の後に顕如が「わすれては波のおとかとおもうなり まくらにちかき庭の松風」と詠んだ歌から命名され、以来門徒にとっては本山へ参詣した証といわれる定番の土産物となり、また司馬遼太郎もこの銘菓を好んだといい、小説「燃えよ剣」「関ヶ原」やエッセイ「司馬遼太郎が考えたこと」にもその名が登場しています。
亀屋陸奥の商品は西本願寺の聞法会館内売店や東山五条にある大谷本廟売店のほか、京都高島屋やJR京都伊勢丹などの百貨店、京都駅のアスティ京都や地下街ポルタ、ザ・キューブなどでも販売されており、購入が可能です。