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向日葵(ヒマワリ)(Sunflower)

向日葵(ヒマワリ)

向日葵とは?

太陽を思わせる日輪の形が印象的、夏を代表する黄色い花

DATA

学名は「Helianthus Annuus」、英名は「Sunflower(サンフラワー)」。「ニチリンソウ(日輪草)」「ヒグルマ(日車)」「向日葵(ヒュウガアオイ)」の別名あり。
キク科ヒマワリ属の一年草(品種改良で多年草のものもある)。
夏の7月中~9月中旬にかけて、まっすぐ伸びた茎の先に花径20~30cmぐらいのかなり大きな黄色の花を咲かせる、花は1つではなくキク科の植物同様に頭状花序と呼ばれる多数の花が集まって形成され、外輪に黄色い花びらをつけた舌状花、内側には花びらのない筒状花で構成されている。
葉はハート形で互生し、縁にはギザギザ(鋸歯)がある。
原産地は北アメリカ大陸西部(テキサスやカリフォルニア)。
高さは30cm~3m、大きいものだと4mくらいまで成長する。

名前の由来

漢字の「向日葵」は漢名から。
和名の「ヒマワリ」の由来は、太陽の動きに合わせその方向を追うように花の向きが変わるといわれたことから(実際にはこのような動きをするのは成長が盛んな若い時で、一部の品種を除き花が咲く頃には動かなくなるという)。
「Helianthus(ヘリアンサス)」はギリシャ語で太陽の花、「annuus」は一年草の意味。

歴史

紀元前よりアメリカ大陸ではインディアンの間で食用作物として重宝され、その後コロンブスのアメリカ大陸発見を経て、16世紀にスペイン人がヒマワリの種をヨーロッパに持ち帰り、園芸用として栽培を開始。

17世紀に入りフランスを経てロシアに伝わり、大斎の40日間食事制限を行う行事で知られる正教徒の多いロシアでは種子が常食されるなど食用として改良が進められた。現在でもロシアは食用ヒマワリ生産の中心国であり、ヒマワリはロシアの国花でもある。

またオランダ人画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)が好んで描いたことで知られ、「ひまわり」の作品は有名。

日本には中国を経て伝来したものと思われ、1666年(寛文6年)刊の中村惕斎編「訓蒙図彙(きんもうずい)」に初出、当初は「丈菊(じょうぎく)」と呼ばれていたが、1695年(元禄8年)に江戸の園芸家・伊藤三之丞(3代目伊藤伊兵衛)が著した「花壇地錦抄(かだんちきんしょう)」の中では「日廻(ひまわり)」の名前で紹介されている。

利用・用途

観賞用

野生のものはさほど大きな花はつけず、現在よく知られている大輪のものは品種改良によってつくられた。

品種改良により大輪のものから草丈10cmほどの鉢植え、また黄色に加えてレモン色やえんじ色の花色のものや、一重に加えて八重咲きのものまで様々な園芸種が生み出されている。

食用

種子は10月頃に収穫され、煎って食用とする他、ヒマワリ油として利用される。
ヒマワリ油は不飽和脂肪酸が多く、各種ビタミンやミネラルを豊富に含んでいる。
食用ヒマワリの生産はロシアを中心としてヨーロッパ各地で盛んに行われている。

その他

種子の殻を剥いたものは仁といい「向日葵子(こうじつきし)」と呼ばれる生薬として出血性下痢に高架が期待されるほか、種子の殻や花、葉、茎、根など全草に生薬としての効果が期待できるという。

また油を搾った後の種は石鹸などの原料に、茎は紙の原材料に、葉は飼料に、種子はハムスター、小鳥などのペットの餌にも利用されるなど、実に幅広い用途を持つ。

京都の向日葵スポット

寺社名 エリア ポイント
大原野ひまわり畑 大原野ひまわり畑 西山・乙訓
NO IMAGE 向日市ひまわり畑 西山・乙訓 向日市鶏冠井町沢の東17-1 西向日駅東側 物集女町の休耕田を利用して栽培
NO IMAGE 保津観光ひまわり園 亀岡 JR亀岡駅北側
NO IMAGE ひまわり畑 与謝野町

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