京都府船井郡京丹波町水原宮ノ下、京都市の北に位置する京丹波町の南側、旧瑞穂町水原地区の西の端の国道9号沿いに鎮座する、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、経津主神(ふつぬしのかみ)、毘売大神(ひめがみ)の「春日神」を祭神として祀る神社。
創立年代は不詳ですが、「国花万葉記」に文永年間(1264-75)に亀山院の託宣により大和国三笠山から勧請したとあり、当初は単に「春日大明神」と称していたといいますが、江戸末期に水原村下里に鎮座する梅田神社を移転・合祀し、以後「梅田春日神社」と号するようになったといい、その後、1888年(明治21年)に近隣8ヶ村が合併して新村が誕生した際には村の名は当社より採って「梅田村」と名づけられています。
また鎌倉後期の1326年(正中3年)には境内に「帝釈天」が創建され、それがいつの頃からか水原村の氏神となって長年にわたり遠近の信仰を集めていたといいますが、明治初期の「神仏分離令」によって帝釈天は「猿田彦神社」と改称されると共に境内社となり、当社が水原地区の氏神となり、一方猿田彦神社はこの地域の庚申信仰の中心地として「水原の庚申さん」と呼ばれて親しまれ、現在に至っています。
現在の本殿は1863年(文久3年)の再建と伝わるこけら葺き三間社流造の建物で、境内社・猿田彦社の本殿とともに1983年(昭和58年)に京都府登録文化財に登録されています。
また1965年(昭和40年)に旧梅田村内の7神社の合同社務所が境内に新設されましたが、7神社中6神社が春日大神を祭神とする神社であったことから、来席した春日大社の千鳥祢宜により「春日殿」と命名されたといいます。
行事としては毎年4月の第1日曜日に家内安全や交通安全、雷除けや雨乞いを祈願して開催される「猿田彦神社春季大祭」が知られていて、巫女姿に扮した地元の小学生らが、和太鼓に合わせて「太々神楽(だいだいかぐら)」の舞いが奉納されるほか、この春入学の新1年生の学業成就を願って勧学祭が執り行われます。
また前日土曜日には小学生が地域を練り歩く「提灯みこし」の巡行もあるといいます。