江文神社 京都観光

江文神社

江文神社

 

 

江文神社とは?(基本データ)

名前
江文神社(えぶみじんじゃ)
エリア
大原・八瀬・比叡山
ジャンル

寺社 鳳輦・神輿

建立・設立
不明
祭神
[中央] 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)(稲荷神として知られる穀霊神)
[右殿] 級長津彦神(しなつひこのかみ)(風・水の神)
[左殿] 軻過突智神(かぐつちのかみ)(火の神)
ご利益
五穀豊穣・衣服・生産
例祭
5/4(江文祭(大原祭))
他に八朔祭(9/1に近い土曜日)などが知られる
神紋・社紋
 
アクセス
  • 京都バス「野村別れ」(10・16・特16・17・18・19・55系統ほか)下車 西へ徒歩約7分(約500m)
  • 京都バス「江文神社前」(55系統ほか)下車すぐ(1日に3往復のみ)
駐車場
あり
拝観料
無料
お休み
無休
拝観時間
境内自由
住所
〒601-1247
京都府京都市左京区大原野村町643
電話
075-744-3176
FAX
-
公式サイト
江文神社 大原観光保勝会
大原八朔踊 京都市左京区

江文神社の地図

江文神社のみどころ (Point in Check)

京都市左京区大原野村町、京都市の北東、高野川の上流に位置する大原の集落よりやや離れた金毘羅山(江文山)の南東麓、大原から静原に出る江文峠への峠道の傍らに鎮座する神社。

創建年代は不明ですが、古代より神社の背後に聳える江文山(現在の金比羅山)は神体山として崇められていたといい、その山の頂上の朝日の一番早く照る場所に祀られていた天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神の造化三神の神々を、平安後期に住民たちが山麓の現在地に社殿を建立して勧請し、江文山の麓社として創建されたと伝わっています。
この点「延喜式神名帳」に見える山城国愛宕郡の式内社論社「伊多太神社」とする説もあるものの、通説では否定されています。

社伝によれば、12世紀中頃に大原の地に移った三千院の守護神・鎮守社として創祀されたとも、また平安前期に活躍した延暦寺座主の円仁(慈覚大師)(794-864)の勧請によるともいい、山王神道と深い関係を持つ神社でです。

その後、江文山の南腹に毘沙門天を本尊とする「江文寺」が建立されると、江文神社は同寺と神仏習合し、いわゆる「三十番神」の一神とされ崇められたといいます。

ちなみに「江文寺」は現在の不動堂付近にあったといわれ、創建の由緒などは明らかでないものの1130年(大治5年)には存在が確認でき、鎌倉末期作の「拾芥抄」にもその寺名が見えますが、その後、荒廃して廃寺になったと考えられていて、跡地には石碑が建てられています。

そして「三十番神」は神仏習合の信仰において1か月の30日の間、毎日交替で国や人々を守護して下さるとされた30柱の神々のことで、最澄が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代には盛んに信仰されるようになり、中世以降はとりわけ日蓮宗・法華宗において重視され、本地垂迹説に基づき法華経を守護する神とされたといいます。

この三十番神には1日目の熱田大明神(熱田神宮)や10日目の天照皇太神(伊勢神宮内宮)などのほか、京都関連では7日目の北野大明神(北野天満宮)、9日目の貴船大明神(貴船神社)、11日目の八幡大菩薩(石清水八幡宮)、12日目の加茂大明神(上賀茂神社・下鴨神社)、13日目の松尾大明神(松尾大社)、14日目の大原大明神(大原野神社)、16日目の平野大明神(平野神社)、22日目の稲荷大明神(伏見稲荷大社)、24日目の祇園大明神(八坂神社)、そして25日目の赤山大明神(赤山禅院)なども入っていますが、江文大明神はこの三十番神における8日目を守護する神とされています。

戦国時代に織田信長の比叡山攻略の影響で衰退したものの、大原郷八か村の惣鎮守社として、そして現在も大原8地区の総氏神として地域の人々から崇敬を集めています。

社殿は中央とその左右に計3棟が並んで建てられており、中央の正殿には稲荷神として知られる穀霊神「倉稲魂神(うがのみたまのかみ)」、向かって右殿には風水の神「級長津彦神(しなつひこのかみ)」、そして左殿には火の神「軻過突智神(かぐつちのかみ)」を祀ります。

祭神は風・水・火、そして豊饒と生産の神々として広く崇敬されてきた神様で、現在も五穀豊穣のほか、衣服・アパレル、生産・産業振興などのご利益で知られています。

行事としては5月4日に神輿3基が氏子区域内を巡行する例祭「江文祭」のほか、9月1日に近い土曜日の「大原八朔祭」が知られています。

この点「八朔踊り」は京都市の登録無形民俗文化財にも登録されている大原に残る伝統芸能で、楽器を用いない独特の節が特徴の道念音頭踊る豊作祈願の踊りです。

絣の着物に菅笠を被った宮座の青年たちが輪になり、男は三度笠の道中姿、女は大原女姿で踊り、神社石段下での「伊勢音頭」にはじまり、「名所づくし」「大原踊」「黒木踊」「小野霞の踊」と各町の提灯を先頭に練りこみながら踊りが続いていきます。

そして神社にはその他にもう一つ、拝殿において「大原雑魚寝」と呼ばれる風習があったことでも知られています。

その昔、村の大淵と云う池に大蛇が住み、里に出ては人を襲ったので、里人が一か所に隠れて難を避けたのがはじまりで、いつしか節分の夜に参籠通夜することになったと云う伝承を持ち、浮世草子の作者として有名な井原西鶴(いはらさいかく 1642-93)の「好色一代男」にも描かれるなどしましたが、この風習は村の男女が集まって一夜を過ごすという風俗上の問題から、明治以前に禁止されたといいます。

江文神社の施設案内

 

境内

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    江文神社の石碑

    静原大原線の道路脇
    横に江文神社前のバス停

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    東海自然歩道の案内板

    神社の手前まで東海自然歩道となっており地図なども設置されている

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    杉林の参道

     

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    江文橋

    宮川に架かる橋
    鳥居のすぐ手前

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    鳥居

     

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    手水舎

    鳥居手前右

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    境内社

    鳥居をくぐってすぐ右側(東側)
    祭祀不明

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    駐車場

    鳥居の左手(西側)

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    供養塔

    駐車場の奥
    鳥獣魚貝を供養するためのもの

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    忠魂碑

    駐車場の奥
    戦争慰霊碑

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    社号標と分岐

    左が石段、右が舗装された道路

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    公衆トイレ

    分岐の右奥

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    石段

    分岐の左
    本殿まで緩やかに続く

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    江文神社の大杉

    石段途中の脇と石段上がった所にあり、石段上のものは最大級
    高さ32m、幹周が5.83m
    大杉の手前に「大原の里10名木」の立札

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    拝殿(絵馬堂)

    拝殿の壁には「升の額」が沢山奉納されている
    現在は老朽化で立ち入り禁止

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    本殿前広場

    拝殿と本殿の間に広いスペース

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    社務所

    広場右(東側)

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    本殿

    3つの社殿が並ぶ
    中央「倉稲魂神(うかのみたまのかみ)」は稲荷神として知られる穀霊神
    右殿「級長津彦神(しなつひこのかみ)」は風と水の神
    左殿「軻過突智神(かぐつちのかみ)」は火の神で、
    合わせて豊饒・衣服・生産の神として広く崇敬

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    満山神社

    軻遇突智神社の左側にある境内社

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    岩石と天満宮社

    本殿左側にある境内社
    岩石の上には小さな地蔵菩薩像

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    稲荷社

    石段下から左側(西側)へ進み、少し斜面を登った所にある小社

江文神社御旅所

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    御旅所(花尻の森)

    御旅所は京都・八瀬方面から国道367号(鯖街道)を大原方面へ進んだ先、大原の入口にあたる367号と高野川が交差する地点に架かる花尻橋のたもと「花尻の森」にある
    村娘おつうと若狭の領主との悲恋の伝説として知られる昔話「乙が森・おつう伝説」のゆかりの場所として知られていて、おつうが身投げしたと伝わる女郎渕が花尻橋の架かる付近の大原川(高野川)だという
    一帯には藪椿が群生しており、春は椿の名所としても知られている

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    鳥居

    神社鳥居前の国道367号は観光名所となっている大原方面に行く車で交通量は多い

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    御旅所社号標と説明版

     

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    石仏

    鳥居の向かって左側に祠があり石仏が祀られている

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    ケヤキ

    高さ約20m、幹周5. 65m

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    小野源太夫社

    ケヤキの根元にある小さな社>
    「源太夫」とは源平合戦の後、寂光院に隠棲した建礼門院の動静を監視するために源頼朝より派遣された御家人・松田源太夫のことで、その屋敷があったと伝えられている
    また源太夫は「おつう伝説」にもその名が登場する
    その昔、大原にいたおつうという娘が、若狭の殿様の目に留まり、召し出されて幸せに過ごしていたが、病にかかると殿様は心変わりし、悲嘆にくれたおつうは大原川の女郎渕に身を投げた所、大蛇に変身してしまう
    その後、花尻橋を通った殿様の行列をおつうの大蛇が襲うが、源太夫という侍によって退治されたという
    しかしその夜から雷鳴と雨風が里を襲ったため、恐れた里人たちは大蛇の頭を乙が森に、尻尾を花尻の森に埋めて霊を鎮めたといい、現在も「おつう」の法要行事が行われているという

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    花尻橋

    国道367号の高野川に架かる橋

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    花尻橋バス停

     

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    土井志ば漬本舗 本店

    花尻橋の南側にある

関連

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    金毘羅山(こんぴらさん)(江文山)

    本殿の背後に聳える山で、古くは「江文山」と呼ばれていた
    平安京の東北の鬼門にあたるとされ、火壷・風壷・雨壷があり、雨乞い祈願が行われたという
    平安後期の「保元の乱」で第77代・後白河天皇に敗れて四国に配流となった第75代・崇徳天皇が金毘羅神を崇敬していたことから、後年に山の中腹に金比羅大明神と崇徳天皇を祀る琴平神社が創建された
    山の東面には岩場が点在しており、、ロッククライミング練習のゲレンデもあるという

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    江文峠

    標高324mの大原と静原を結ぶ峠で、江文神社の南~静原の間の東西約1kmの距離があり「静原峠」とも呼ばれる
    1174年(承安4年)の日記「吉記」にも登場するという古代からの重要路で、旧道には金比羅大権現の石碑が立つ 現在は鞍馬~大原間のハイキングコースの一部にもなっている

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    江文寺跡(江文寺の趾)

    大原地区の金比羅山の中腹で発見された山寺跡
    由緒などは不明だが、平安後期の1130年(大治5年)に寺名を確認できるため、それ以前にはあったと推測される
    鎌倉末期の「拾芥抄」にも寺名が見えるもののその後は記録がなく、荒廃して廃寺になったと考えられている
    現在は琴平宮社の境内地になっており、平坦地の礎石跡と「江文寺跡」とかかれた石碑が残る

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    梅之宮神社

    大原バス停のやや南、左京区大原大長瀬町に鎮座する境外摂
    祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)で、江文神社の妻女を祀ったと伝わることから「姫宮」とも呼ばれる
    山中に鎮座する江文神社に対し、里の中に鎮座することから、姫宮という性格も相まって小社ながら大原の人々に長く親しまれてきたといい、大原の地は江文・梅之宮の両社に守られてきた地域といえるという
    毎年5月5日に行われる例祭「大長瀬祭」は、5月4日の江文神社例祭(大原祭)に引き続いて催行され、大原八か町の輪番によって神輿1基が町内を巡行する

周辺

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    府道40号

     

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    高野川に架かる橋

     

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    野村判れバス停

     

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    国道367号(鯖街道)

     

江文神社の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/1
歳旦祭

 

3/1
祈年祭

 

5/4
江文祭(大原祭)

当社の例大祭で、5/4の神幸祭では神輿3基が氏子区域内を巡行、御旅所である花尻の森までの区間を往復する

9/1に近い土曜
八朔祭(はっさくまつり)

男は三度笠の道中姿で、女は大原女姿で伝統芸能「八朔踊」を奉納

10/10
豊年祭

 

11/23
新嘗祭

 

月並行事

毎月1日
月次祭

 

花ごよみ

 
紅葉(こうよう)

 

江文神社のレポート・旅行記

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