遍照寺(広沢不動尊)
遍照寺(広沢不動尊)とは?(基本データ)
- 名前
- 遍照寺(広沢不動尊)(へんじょうじ(ひろさわふどうそん))
- エリア
- 嵐山・嵯峨野
- ジャンル
- 建立・設立
- 989年(永祚元年)
1830年(文政13年・天保元年)中興 - 創始者
- [開基] 寛朝(かんちょう)(宇多天皇の孫)
[中興] 舜乗(しゅんじょう) - 宗派
- 真言宗御室派 準別格本山
- 山号
- 広沢山
- 本尊
- 十一面観音(十一面観世音菩薩立像)
- 寺紋
- 札所等
- 京都大黒大霊場会(京都六大黒天) 第4番
- アクセス
- 駐車場
- 大型バス 広沢池畔 仏大宗教センター(要予約・無料)
自家用車 境内に約10台分(無料) - 拝観料
- 500円
- お休み
- 毎月28日 9:00~15:00
- 拝観時間
- 10:00~16:00
- 住所
- 〒616-8306
京都市右京区嵯峨広沢西裏町14 - 電話
- 075-861-0413
- FAX
- 075-861-0413
- 公式サイト
- 遍照寺HP
五山の送り火 船形 京都観光Navi
遍照寺(広沢不動尊)の地図
遍照寺(広沢不動尊)のみどころ (Point in Check)
京都市右京区嵯峨広沢西裏町、嵯峨の広沢池から南へ約200m下がった住宅街の中にある真言宗御室派の準別格本山。
「広沢不動尊」の通称で知られ、山号は広沢山(廣澤山)(ひろさわざん)、本尊は十一面観世音菩薩立像。
平安中期の989年(永祚元年)、寛朝(かんちょう 916-98)が、円融上皇の勅願により遍照寺山麓の南にある広沢池の北西池畔の山荘を改めて寺院にしたのがはじまり。
この点、寛朝は仁和寺を創建したことで知られる宇多天皇(寛平法皇)の孫にあたり、真言宗広沢流の流祖で真言宗で初めて大僧正となったほか、不思議な法力を持ち祈祷により「平将門の乱」を平定し、東国鎮護のため下総国(千葉県)に「成田山新勝寺」を建立したことでも知られている人物です。
創建当初は「嵯峨富士」と云われる端麗な遍照寺山を映す広沢池に金色の観世音菩薩を祀る観音島がり、池畔に多宝塔、釣殿等、数々の堂宇が立ち並び、西は大覚寺、東は仁和寺と寺域を接する広大な寺域と壮麗な伽藍を有する大寺院であったといいます。
また後に発達した東密における小野、広沢根本二流のうち、「広沢流」の本寺として栄えました。
醍醐寺を中心とする小野流では庶民出身の僧侶の活躍が目立ちましたが、仁和寺を中心とする広沢流は名門貴族出身者が多く、その根本道場として名声を高めたといいます。
しかし寛朝の没後は次第に衰微し、鎌倉時代の1321年(元享元年)に後宇多天皇により復興されるも、「応仁の乱」の兵火で荒廃し廃墟となったといいます。
その後、江戸初期の1633年(寛永10年)に仁和寺門跡の覚深入道親王の内意によって広沢池南の現在地に移され、本尊および寛朝画像などが草堂に移され「遍照寺」の名跡が引き継がれた後、江戸後期の文政年間(1818-30)の1830年(文政13年・天保元年)に舜乗(しゅんじょう)により復興が進められて堂宇を再建。
更に昭和期に収蔵庫と護摩堂が再建され、1997年(平成9年)に客殿および庫裡が建立され現在に至っています。
落ち着いた雰囲気の境内には表門から中門を経て、護摩堂までまっすぐに参道が伸び、本堂には本尊・木造十一面観音像や「広沢の赤不動さん」の名で親しまれる木造不動明王坐像(通称・赤不動明王)を安置。
これらはいずれも定朝の父・康尚による一木調成の木像と伝わり、奇跡的に難を逃れた創建当初の像として国の重要文化財にも指定されています。
そしてこのうち「赤不動明王」は「広沢の赤不動さん」として地元の人に親しまれ、現在は交通安全や厄除けにご利益のある寺院として参拝に訪れる人が多く、また毎月28日のお不動さんの縁日には午前10時より不動護摩が焚かれるほか、住職の法話や写経もでき多くの人で賑わいます。
また遍照寺の行事としてとりわけ有名なのが、毎年8月16日に広沢池で行われる「灯籠流し」です。
京都の夏の風物詩である「五山の送り火」の「鳥居形」の送り火が灯る中、広沢池には多くの灯籠が流されて幻想的な雰囲気となり、毎年多くの観光客が訪れます。
この他にも境内の嵯峨野大黒天が「京都六大黒天霊場(京の大黒さんめぐり)」の第4番として知られています。
周辺環境としては境内北隣に「稲荷古墳」の上に建てられ朱色の鳥居が石段に等間隔に並ぶ姿が印象的な「冨岡稲荷(冨岡大明神)」があるほか、広沢池の北西池畔にはかつての遍照寺の建物の遺構が発見されており、市指定の史跡として「史跡 遍照寺旧境内建物跡」の石碑が建てられています。
遍照寺(広沢不動尊)の施設案内
境内
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山門
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寺号標
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駒札
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掲示板
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駐車場入口
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京の大黒さんご利益めぐりの看板
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参道
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絵馬掛
山門くぐってすぐ左
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石標
参道左
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宝篋印塔
参道左
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祠
宝篋印塔前の脇道入った奥
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奥田雀草句碑
こころざし 深く汲みてし 広沢の 流れは末も 絶えじとぞ思ふ 後宇多天皇
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石塔群
参道左
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八幡大菩薩
参道右
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玄関
参道左
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納経所(庫裡)
参道左
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護摩堂
参道突き当り
本尊・十一面観音菩薩立像や重文・赤不動明王坐像を安置
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灯籠
護摩堂前
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源氏物語ゆかりの地・遍照寺境内の説明版
護摩堂手前右
遍照寺境内が源氏物語第4帖・夕顔の土台となっている
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護摩堂右の脇道
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祠
護摩堂の奥
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北門
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石仏群
護摩堂左横
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客殿
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十三重石塔
客殿前
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駐車場
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ガレージ
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冨岡稲荷(冨岡大明神)
境内の北側、北門のすぐ横
広沢池
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堀川高校嵯峨野グラウンド前の道
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府道29号の分岐と道標
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公衆トイレ
府道29号沿いの兒神社向かいにある多機能トイレ
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兒神社
池の南西、府道29号沿い
8月16日の「五山お送り火」当日に「広沢池灯籠流し」の灯籠受付、ご詠歌の詠唱が行われる
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千代の古道(ちよのふるみち)の石標
児神社内にある石標
天皇が御所からから常盤、広沢池の東南を経て嵯峨離宮(現在の大覚寺)へと行幸された道
音戸山頂上には君が代にも出てくるさざれ石とされる岩もあるという
古来より和歌に多く詠まれており、この石標には江戸の歌人村田春海(1746~1811)の歌が刻まれている
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広沢池西岸沿いの道
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広沢池西岸入口
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遍照寺旧境内の駒札(遍照寺旧境内建物跡)
広沢池の北西一帯
市指定史跡だが、現在は私有地のため立ち入りできない
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橋
広沢池西側の観音島に架かる石橋、手前左手に駒札
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観音島
広沢池西側
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観音石仏(千手観音像)
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壹美白辨財天社
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府道29号
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廣澤の池 大本山大覚寺の石標
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澤乃屋
池の南側、府道29号沿いにある料亭
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ボート乗り場
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遍照山と池の眺望
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広沢公園
池の南東、府道29号沿い
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広沢公園公衆トイレ
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池の茶屋
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東岸入口
府道29号、池の茶屋向かいにある広沢池の東岸への入口
五山の送り火「鳥居形」観賞スポット
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京都平安郷
広沢池東岸にある宗教団体施設
桜の見頃の時期や名月の頃に市民に特別開放される
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岡田茂吉記念館
周辺
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広沢南野町交差点と「広沢不動尊 遍照寺」の看板
丸太町通 北へ200mと表示
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丸太町通
遍照寺(広沢不動尊)の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 2/2
節分会
護摩供養・ぜんざい接待
10:00~- 4/29
春季大祭 柴護燈摩供
13:00~
- 6/12
開山忌
開山・寛朝大僧正の命日法要
- 8/16
五山の送り火(ござんのおくりび)
- 8/16
広沢池灯籠流し(ひろさわのいけとうろうながし)
京都の夏の風物詩として有名なお盆の精霊送り行事「五山の送り火」の関連行事
先祖や水子を供養するために戦後から始められたものだという
19:00より回向(塔婆施餓鬼供養)の後、広沢池に約2000個といわれる五色の灯籠が流され、周囲は幽玄かつ幻想的な雰囲気に包まれる
鳥居形の送り火の点火後は、送り火と赤・青・黄・緑・白の五色の灯籠の美しいコントラストを堪能することもできる
広沢池西畔の児神社では供養が終わるまで御詠歌が奉納され続ける
灯籠は宗派を問わず誰でも申し込める
受付は8/15までは遍照寺、8/16当日は児神社にて受付
7/31までは1霊800円、8月以降申込で1000円- 11/22
本尊講
13:00~15:00
本尊・十一面観世音菩薩の法要
月並行事
- 毎月28日
月例護摩供・写経会
護摩木に願い事を記し奉納
住職法話、写経(希望者のみ)
9:00~12:00