宮川町歌舞練場(京おどり)
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京都の春を華やかに彩る芸舞妓総出演の「京おどり」
四条~五条間の鴨川東岸、宮川町筋にある歌舞練場。付近は元々遊廓だった場所で今も昔ながらの情緒あふれるお茶屋が並ぶ。 宮川町花街の舞妓・芸妓の舞踊公演で、毎年4月上旬開催の「京おどり」の会場として使用。 毎年10月中旬には秋の舞踊公演「みずゑ会」も開催。平常は貸会場
宮川町歌舞練場(京おどり)とは?(基本データ)
- 名前
- 宮川町歌舞練場(みやがわちょうかぶれんじょう)
- エリア
- 祇園・東山
- ジャンル
- 建立・設立
- 1916年(大正5年)、現在の歌舞練場が建築される
1950年(昭和25年)、宮川町歌舞練場で「京おどり」初演
その後阪急京都線の延長工事のため第5回からは舞台を「南座」に移して上演される
1968年(昭和43年)、舞妓・芸妓のための教育施設である「東山女子技芸学校」を創立
1969年(昭和44年)、学校法人の認可を受け学校法人「東山女子学園」を設立し、玄関ホールなどが増改築され新歌舞練場が完成、以後「京おどり」の上演会場として使用されるように
1999年(平成11年)、宮川町花街のある宮川筋3丁目から6丁目の一帯が「祇園町南歴史的景観保全修景地区」に指定
2006年(平成18年)、歌舞練場の改築工事などで1971年より休演されていた「みずゑ会」が35年ぶりに復活 - 花街
- 宮川町(鴨川の東側、南北は四条通から五条通)
- 舞踊
- 若柳流(わかやぎりゅう)
- 春の公演
- 京おどり(4月第1土曜~第3日曜)
- 秋の公演
- みずゑ会(10月初~下旬)
- 紋章
- 三つ輪
- アクセス
- 駐車場
- ■京都市鴨東駐車場
└普通車131台 30分毎200円(2:00~7:00は60分毎200円)
24時間
TEL:075-551-2034
■五条河原町駐車場
├普通車10台 20分100円(夜間20:00~8:00 60分100円)
└バイク・自動二輪5台 60分100円
24時間
TEL:075-361-7431 - 拝観料
- ■京おどり観覧券
├一等席券・茶券付 4,500円
├一等席券 4,000円
├二等席券・茶券付 2,500円
└二等席券 2,000円
■みずゑ会観覧券
├一等指定席券(1階・2階正面) 7,000円
└二等指定席券(2階) 4,000円
※二階指定席学生割引(学生証の提示で2,000円) - お休み
- ■京おどり開催期間
└4月上旬の2週間(第1土曜~第3日曜)
■みずゑ会開催期間
└10月初旬~下旬の4日間 - 拝観時間
- ■京おどり開演時間
└12:30、14:30、16:30
■みずゑ会開演時間
└16:00 - 住所
- 〒605-0801
京都府京都市東山区宮川筋4丁目306 - 電話
- 075-561-1151(宮川町歌舞会)
- FAX
- -
- 公式サイト
- 舞妓さんにあえるまち 京都 宮川町
東山女子学園
京都 宮川町 Facebook
おおきに財団 財団法人京都伝統伎芸振興財団
日本舞踊 若柳流宗家 五代宗家家元 若柳吉蔵
宮川町歌舞練場(京おどり)の地図
宮川町歌舞練場(京おどり)のみどころ (Point in Check)
京都市東山区の鴨川の東側、四条通の南側から五条通までに南北に広がる花街「宮川町」にある歌舞練場。
正確には宮川町の花街は、東西は鴨川東岸の川端通の一筋東側、南北は四条大橋の一筋南にある団栗橋を東に入った所から五条通の一筋北、宮川筋二丁目から七丁目にかけての宮川町通沿いになります。
宮川町は四条大橋東詰にある「南座」にも近く、元々は江戸初期に「歌舞伎」の祖として有名な出雲の阿国をはじめ、数々の芝居小屋が建ち並ぶことにより、それに出演する役者や、観客のための旅籠や芝居茶屋として発展してきました。
名前の由来は四条大橋の下流で八坂神社の祭礼として有名な「祇園祭」の際に「神輿洗い」が行われることから「宮川」と名付けられたといわれています。
京町家の紅殻格子(べんがらごうし)の雰囲気ある町並みは1999年(平成11年)には「祇園町南歴史的景観保全修景地区」にも指定されており、また現在は若手の芸妓・舞妓が多く、活気のある花街として人気を集めています。
そもそも「舞妓(まいこ)・芸妓(げいこ)とは、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添えることを生業とする女性の事をいいます。
舞妓とは芸妓になる前の15~20歳くらいまでの見習い期間をいい、通常は舞妓として約5年間修行した後に芸妓になります。
ちなみに舞妓になるまでにも準備期間があり、これを「仕込み(しこみ)」といいます。
花街のしきたりや京ことばなどを約1年学んだ後に「店出し・見世出し(みせだし)」をして晴れて舞妓となります。
彼女たちはそれぞれが「置屋(おきや)」と呼ばれる家に所属し、そこから「お茶屋(おちゃや)」や「料亭(りょうてい)」へ送り出され、宴席で芸を披露します。
お茶屋と料亭の違いは料理を直接提供するか否かで、お茶屋は直接提供はせず、「仕出し屋(しだしや)」から取り寄せることになります。
そしてこれらのお茶屋や置屋などが集まって形成されているのが「花街(かがい)」です。
歌舞練場(かぶれんじょう)とは、京都の花街(かがい)にある劇場のことで、芸妓・舞妓たちが歌や舞踊、楽器などの稽古をする練習場であると同時に、その発表のための場所でもあります。
現在京都には祇園甲部(ぎおんこうぶ)・先斗町(ぽんとちょう)・宮川町(みやがわちょう)・上七軒(かみしちけん)・祇園東(ぎおんひがし)のいわゆる「五花街」が現存しており、それぞれが専用の歌舞練場を持っています。
そして各花街は春と秋にそれぞれの歌舞練場を舞台に舞踊公演を行っており(祇園東のみ秋だけの公演)、芸妓・舞妓たちにとってはお茶屋や料亭・旅館などでのお座敷接待以外の主要な活動の一つとなっています。
またその他にも五花街の合同公演として6月下旬に行われる「都の賑い」も主要な舞踊公演の一つです。
ちなみにこれらの舞踊公演以外にも古くより花街に伝わる伝統行事がいくつかあり、五花街に共通したものとしては、正装の黒紋付に縁起物の稲穂のかんざしをつけて新年の挨拶を行う1月7日の「始業式(しぎょうしき)」(上七軒のみ1月9日)や、日頃お世話になっている師匠やお茶屋に感謝の気持ちを伝える8月1日の「八朔(はっさく)」、12月初旬の南座の歌舞伎の顔見世興行に芸舞妓が揃って観劇する「顔見世総見(かおみせそうけん)」、そして一年のお礼と新年に向けた挨拶をする12月13日の「事始め(ことはじめ)」は有名です。
その他にも祇園祭の花傘巡行や時代祭などの京都を代表する行事のみならず、各花街独自に参加する伝統行事も多数あり、また近年はメディアへの露出や京都市などが開催する各種イベントなどに参加する機会も増えるなど、京都の観光のシンボルとして重要な役割を果たしています。
「宮川町歌舞練場」は「宮川町」の芸舞妓たちが拠点とし、春に「京おどり」、秋に「みずゑ会」と呼ばれる舞踊公演を行う会場となっています。
歌舞練場自体は古くよりありましたが、現在の歌舞練場が建築されたのは1916年(大正5年)のことです。
「京おどり」が始まったのは戦後の1950年(昭和25年)のことで、京都の名所名物を舞踊化して好評を集め、年中行事として現在も続いています。舞踊の流派は現在は「若柳流」です。
当初は宮川町歌舞練場で行われていましたが、阪急京都線の延長工事のため、1954年(昭和29年)の第5回から1968年までは舞台を「南座」に移して上演されています。
そして1968年(昭和43年)、舞妓・芸妓のための教育施設である「東山女子技芸学校」が設立され、翌1969年(昭和44年)には学校法人の認可も受けて「東山女子学園」となると、歌舞練場も玄関ホールなどが増改築された新しいものが完成し、以後は「京おどり」の会場として使用されるようになりました。
また2006年(平成18年)、歌舞練場の改築工事などで1971年より休演されていた「みずゑ会」が35年ぶりに復活し、現在は春に「京おどり」、秋に「みずゑ会」が開催されるようになっています。
宮川町歌舞練場(京おどり)の施設案内
宮川町の花街は鴨川の四条通の南側から五条通にかけての東岸、正確には東西は鴨川東岸の川端通の一筋東側、南北は四条大橋の一筋南にある団栗橋を東に入った所から五条通の一筋北、宮川筋二丁目から七丁目にかけての宮川町通沿いにあります。
アクセスは北からは四条大橋の両サイドにある阪急河原町駅と京阪祇園四条駅、南からなら京阪清水五条駅となり、いずれからも交通の便には恵まれているといえます。
歌舞練場および東山女子学園の校舎は宮川町通の中間、恵比須神社(京都ゑびす神社)や建仁寺のすぐ西に位置し、川端通に面した西側に入口があります。
そして歌舞練場を中心とした宮川町通の南北、京町家の紅殻格子(べんがらごうし)の雰囲気ある町並みの中に40軒近くのお茶屋が店を構えています。
宮川町歌舞練場
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門
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石畳の道
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宮川町歌舞練場
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玄関
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宮川町お茶屋組合・宮川町歌舞会・宮川町芸妓組合
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東山女子学園
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木戸口
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花街(お茶屋・置屋)
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宮川町(宮川町通)
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花ふさ
2階に舞妓変身処「花菊(はなぎく)」
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三木家
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駒屋(こまや)
離れとしてバー「花れ家」を開設する
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湊家
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好みき
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寿賀富
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畑中?
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河よ志(かわよし)
創業は1929年(昭和4年)
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いし初(石初)
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みやき
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花傳
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ふじ原
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堀八重
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藤島
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新富?
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大玉
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たまや
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新かね
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河なみ
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美津家
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雪の家
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杉きみ
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貴久政
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清駒?
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利きみ(としきみ)
割烹きたむらへの出張
バー「はな」を併設
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本城
2011年に30周年
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春富
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高よし
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川久(かわひさ)
置屋とお茶屋を兼業
創業は昭和初期
京花街かわむら、京料理東観荘
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きぬ家
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春田
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はまぐち
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しげ森(しげもり)
バーもり多
2016年(平成28年)12月に舞妓シアターをオープン
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梅喜
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関連
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南座
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恵比須神社(京都ゑびす神社)
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祇園小唄歌碑
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周辺
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四条大橋
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出雲阿国像
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その他の花街
宮川町歌舞練場(京おどり)の主な年間行事・カレンダー
年中行事
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始業式(しぎょうしき)
五花街で行われる新年を祝う伝統行事で、芸妓・舞妓たちのほか、花街関係者やお茶屋、置屋の女将(おかみ)らが一同に集まって行われる
祇園甲部は八坂女紅場、先斗町は鴨川学園、宮川町は東山女子学園、祇園東はお茶屋組合の2階でそれぞれ1月7日、上七軒のみ上七軒歌舞練場で1月9日の開催
主役の芸妓・舞妓たちは黒紋付三本襟足の正装で出席し、花簪(はなかんざし)の代わりに正月用の縁起物の「稲穂」のかんざしを身に着けるのがならわし
関係者と「おめでとうさんどす」と挨拶を交わし、その年の精進を誓うほか、前年の売上成績の良いお茶屋や芸妓・舞妓の表彰式も行われ、最後の締めには新年を寿ぐ舞の奉納も
始業式の開始前に凛とした姿で会場へと向かう姿や、終了後に各お茶屋などへ挨拶回りに向かう姿は年始の風物詩となっており、ともに多くのカメラを携えたギャラリーが詰めかける
宮川町では技芸始めとして長唄「鶴亀」が披露される
また時間が祇園甲部より遅い15:00頃に姿を見せるため、祇園甲部の後に向かうかギャラリーも多い- 1/11
恵比須神社(京都ゑびす神社) 十日ゑびす大祭「のこり福」
「十日ゑびす大祭(初ゑびす)(とおかえびすたいさい)」は恵比須神社(京都ゑびす神社)で行われる「えべっさん」の愛称で有名な、西日本では一般的な行事として知られる祭典
ゑびす神として親しまれている「言代主大神(ことしろぬしのおおかみ)」の生まれた1月10日の寅の刻(午前4時頃)を祝う
古くより京の町衆に親しまれており、江戸時代の京都案内「都林泉名勝図会」にもその賑やかな様子が描かれているという
1月10日とその前後2日の計5日間にわたって行われ、商売繁昌・家運隆昌を祈願した「吉兆笹(福笹)」を求める多くの参詣者が連日連夜にわたって詰めかける
このうち1月11日の「残り福祭」では祇園甲部および宮川町の「舞妓さんの奉仕による福笹と福餅の授与」が行われることになっており、宮川町の担当は夜の20:00~22:00- 2/2
八坂神社節分祭奉納舞踊(やさかじんじゃせつぶんさいほうのうぶよう)
「節分祭」は古来より陰陽道では季節の変わり目である節分は陰と陽が対立し生まれた邪鬼が災難をもたらすと伝えられており、これを追い払い一年間の無病息災や五穀豊穣を祈願して行われる行事
八坂神社境内の舞殿(ぶでん)にて、祇園の四花街の芸舞妓による華やかな舞踊奉納と福豆撒き(ふくまめまき)が見どころで、境内に鬼はいないとの前提で掛け声は「福は内」だけなのも特徴の一つ
宮川町の担当は2月2日の「節分祭前日」の15:00から- 2/3
節分お化け(せつぶんおばけ)
「節分お化け」とは、節分の日に仮装など普段と異なる姿に扮することで鬼を化かし、驚かして追い払う風習
平安時代にまで遡るとされている行事といわれ、節分の厄払いといえば現在では豆まきなどの追儺儀式が有名だが、京都では江戸時代から昭和初期にかけ町内を中心に盛んに行われていたという
戦後廃れてしまい、一時は花街で芸妓・舞妓が行なう行事としてのみ知られていたが、近年再び節分おばけの行事を盛り上げようという動きもみられる
花街では節分の前後3日間のみ普段の芸舞妓の格好とは違った扮装をしてお座敷を回ることが許されているらしく、お座敷でも普段とは違う特別な芸を披露したり、またお茶屋も色々な趣向を凝らしたお化けイベントを開催している
節分の夜の花街周辺では、運が良ければ仮装をした「お化け」姿の芸舞妓を目撃することができるという- 3月初~3月中
東山花灯路(ひがしやまはなとうろ)
京都の夜の新たな風物詩となることを目指して、2003年(平成15年3月)から始められた「灯り」をテーマに始められたイベントで、北は青蓮院から知恩院、円山公園、八坂神社、高台寺を通り、二年坂や産寧坂を経て南は清水寺に至る約4.6kmの路地を行灯で照らす
その他にも公園や普段は夜間拝観は行っていない周辺の寺社などでもライトアップや様々な行事・イベントが開催される
花街からは祇園甲部・先斗町・宮川町・上七軒・祇園東が日替わりで八坂神社にて舞を披露する
[公式]- 4月第1土曜~第3日曜
京おどり(きょうおどり)
五花街のうち、秋に開催する祇園東を除く4つの花街で行われる「春のをどり」の一つで、4月の第1土曜日から第3日曜日にかけて開催される
芸舞妓たちが日頃の稽古の成果を披露する晴れの舞台であり、他の花街のものとともに京都の春の風物詩となっている
戦後の1950年(昭和25年)に第1回公演が行われて以降、京都の名所や名物を舞踊化して好評を集め、年中行事として定着している
大がかりで趣向を凝らした舞台がスピーディーに展開していき、最後のしめくくりとなるフィナーレは「宮川音頭」の総踊りで、華やかな空気に包まれる
茶券付観覧券購入の場合は開演前に芸妓・舞妓の接待によるお茶席で立礼式(りゅうれいしき)のお点前を堪能でき、おみやげも付いてくる
ちなみに花街の舞踊公演は祇園甲部などは旧字体を使い「をどり」と表記されるが、宮川町は新字体の「おどり」を採用している- 4/16
平安神宮例祭 神賑奉納舞踊(へいあんじんぐうれいさい しんしんほうのうぶよう)
平安神宮の4月15日の「例祭」の翌日の「例祭翌日祭(れいさいよくじつさい)」では、例祭斎行を奉祝して10:00より各付属団体の会員らが参列し「神饌講・澄心会・献花会・献茶講大祭」が盛大に行われる
併せて12:00から大極殿前の特設舞台にて、は包丁式や神楽舞、舞楽、各花街の舞妓による舞踊などが華やかに上演される「神賑行事(しんしんぎょうじ)」が開催される- 6月下
都の賑い(みやこのにぎわい)
6月に南座で開催される祇園甲部・先斗町・宮川町・上七軒・祇園東の五花街の合同伝統芸能特別公演
1994年(平成6年)から毎年行われ、各花街の芸舞妓約80名がが一堂に会し、夢のような舞台を繰り広げる京都の初夏の風物詩
五花街がそれぞれに趣向を凝らした演目を披露した後、呼び物の合同演目「舞妓の賑い」では五花街から各4人ずつ、総勢20人の舞妓が勢揃いし、華麗な舞を披露する
開催期間中の夕方からは京都市内の京料理の老舗料亭5店舗やホテルを会場に花街ごとのお座敷が設けられ、芸妓・舞妓のおもてなしによる宴が楽しめる「五花街の夕べ」も開催される- 7/15~8/31
宮川町ビアガーデン
宮川町お茶屋組合や町内会でつくる「宮川町地域振興会」が主催する「宮川町夏祭り」の一環として開催
1970年(昭和45年)~1978年(昭和53年)にかけて行っていたものを、宮川町地域振興会の主催で2014年(平成26年)に36年ぶりに復活させた
歌舞練場横の屋根付の特設広場を会場に、2016年は前年より期間を15日間延長して8月31日まで開催されている
期間中は約170基の灯籠で宮川町の風情ある町並みがライトアップされ、芸舞妓4名が特設ステージで舞踊を披露する
また7月16日には「祇園祭」の綾傘鉾の日和神楽が訪れ「棒振り囃子」の奉納、7月17日には祇園祭「神幸祭」の神輿渡御も
料理は「㐂久屋(喜久屋)」など地元の飲食店が日替わりで担当し、鱧寿司などの和食をはじめ、フレンチやイタリアンが提供される日もあるという
18:00~19:30と20:00~21:30の1日2回の入れ替え制で、要予約(飲み放題・食事付)- 7/24
祇園祭 花笠巡行奉納舞(ぎおんまつり はながさじゅんこうほうのうまい)
「花傘巡行(はながさじゅんこう)」は元々は「祇園祭」の7月24日の「後祭」が1966(昭和41年)に7月17日に合流したことで行事が喪失したのを受けて開催されるようになったものだが、2014年(平成26年)に後祭が復活した後も引き続き行われている
芸能的色彩の濃い巡行行列となっており、花街からも上七軒を除く祇園の4つの花街の芸舞妓が、毎年2花街ずつ隔年で参加している
巡行行列は10:00に八坂神社をスタートし、市内を練り歩いた後に八坂神社に帰着、到着後の12:00頃より舞殿にて久世六斎や祇園獅子舞など、数々の舞踊、芸能が奉納されるが、その一つとして芸舞妓による「花笠巡行奉納舞」も行われる
演目は祇園甲部は民話「舌切り雀」を題材にした「すずめ踊り」、先斗町は「歌舞伎踊り」、宮川町は「コンチキ音頭」、祇園東は「小町踊り」で、年により担当の花街が変わる- 7月か8月
ゆたか会(ゆたかかい)
若手を中心とした芸舞妓らが薄化粧に涼やかな浴衣姿で舞いや演奏を披露する夏の行事
2011年(平成23年)まで別々に行われていた「舞教室勉強会」と「鳴物、笛教室勉強会」などが一緒になり、2012年(平成24年)より「ゆかた会」として開催されるように
元々は普段から贔屓にしているお茶屋の客や親族などの関係者へ日頃のお稽古の成果を見てもらう意味で始まった内輪の発表会だったといい、現在も舞台慣れを目的に舞妓の見習いである「仕込み」も出演し芸事の師匠や招待客に公開されている
爛豪華な衣裳や舞台装置もなく華やかな春の「京おどり」よりも落ち着いた雰囲気が特徴- 8/1
八朔(はっさく)
「八朔」とは、旧暦8月1日すなわち「八月朔日」を略した言葉で、古来より恩義のある人に贈り物をする風習があった
例えば農家においては、旧暦の8月頃になると早稲の穂(田の実)が実るため、その「田の実」を日頃「頼み」ごとをしてお世話になっている貴人恩人に送る風習が古くからあったといい
また江戸幕府においては、1590年(天正18年)8月1日が徳川家康が初めて江戸城に入城した日で、正月に次ぐ祝日としていたという
花街ではこの風習が今も残っており、毎年新暦の8月1日に行われる伝統行事で、舞妓・芸妓たちが日頃から芸事でお世話になっているお茶屋や師匠に、感謝の思いを伝える姿は夏の風物詩として定着している
祇園甲部のみ黒紋付三本襟足の正装で行われる- 10月上
みずゑ会(みずえ会)(みずえかい)
「秋のをどり」は「春のをどり」とともに芸舞妓たちが日頃の稽古の成果を披露する晴れの舞台の一つで、宮川町では「みずゑ会」として毎年10月上旬に開催される
歌舞練場の改築工事などで1971年(昭和46年)より休演されていたが、2006年(平成18年)に芸舞妓や地方さんらが研さんの成果を披露する場として35年ぶりに復活した
毎年古典から曲目を選んでプログラムが構成され、芸舞妓が日替わりで出演、フィナーレはは総おどりの「宮川小唄」で締めくくられる- 10/22
時代祭(じだいまつり)参加
「時代祭」は平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、1895年(明治28年)に初開催
明治維新により著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として平安神宮が創建され、町おこしにかける人々の熱意の象徴として創始された
祇園祭・葵祭とともに京都三大祭の一つに数えられ、京都全市域からなる全11社の市民組織「平安講社」の運営により毎年平安遷都の日である10月22日に開催される
「時代風俗行列」は12:00より山国隊の奏する笛、太鼓の音色を先頭に行列は京都御所の建礼門前を出発、行列は8つの時代を20に分けられ約2000人が参加し、京の街を練り歩く
京をゆかりに活躍した歴史上の人物に扮した行列が、明治維新から平安京の造営された延暦寺代へと古い時代にさかのぼって登場し、最後に御鳳輦の神幸列、そして弓箭組列が続いていく
綿密な時代考証の下、京都の伝統工芸技術の粋を集めて復元された1万2000点にもおよぶ調度、衣裳、祭具も見どころ
このうち各花街(京都花街組合連合会)の芸舞妓が年交代で行列に参加するのは清少納言や紫式部、小野小町、常盤御前にが女性で唯一馬にまたがる巴御前などが登場する「平安時代婦人列」や「江戸時代婦人列」「中世婦人列」- 11月中
お火焚(おひたき)
江戸時代より京都の神社を中心に行われてきた神事で、古くより「おしたき」「おしたけ」などとも呼ばれ親しまれていた
旧暦の11月(現在は新暦の11月が中心)に奉納者の願い事の書かれた「火焚串(護摩木)」を火床に入れて焚き上げ、所願成就や厄災消除など祈願するもので、元は宮中の重要行事の一つで秋の収穫後に一年の五穀豊饒に感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」が民間に広まったものだという
神社のみならず一般家庭や町内でもみかんやまんじゅうを供えて行われ、護摩木を焚いた残り火で焼いたみかんを食べると、冬の間風邪をひかないとも伝えられている
宮川町では「おたぬきさん」と親しみを込めて呼ぶ芸事の神「万八大明神」が祀られていることから、お茶屋の関係者らが出席し芸事の上達を願って行われる
歌舞練場前に設けられた祭壇に舞妓らが願い事を書いた護摩木が井桁に組まれ、若宮八幡宮の神職が祝詞を奏上した後、技芸上達や商売繁盛、無病息災を祈願して焚き上げられる- 11/23
祇園小唄祭(ぎおんこうたさい)
五花街の舞妓が年交代で行事に参加する
「祇園小唄(ぎおんこうた)」は「月はおぼろに東山」の歌詞ではじまる昭和の名曲(作曲は佐々紅華(さっさこうか 1886-1961)で、祇園をこよなく愛したという作家・長田幹彦(ながたみきひこ 1887-1964)の150万部の大ベストセラー小説「祇園夜話(ぎおんやわ)」を映画化した1930年(昭和5年)の「祇園小唄絵日傘(ぎおんこうたえひがさ)」の主題歌として大流行した
そして京舞井上流四世・井上八千代が振り付けをした花街を代表する舞踊曲でもあり、舞妓にとっては修行期間にあたる「仕込み」の頃より毎日のように舞う曲だという
「祇園小唄祭」は2002年(平成14年)より始められたこの曲を顕彰する行事で、毎年11月23日の勤労感謝の日に開催
八坂神社の隣にある円山公園の有名な祇園枝垂桜のそばにある瓢箪池の畔に建てられた歌碑「祇園小唄の碑」の前で舞妓2人が歌詞を朗読、献花を行い、この曲に対して感謝の気持ちを捧げる- 12月初
南座顔見世 花街総見(みなみざかおみせ かがいそうけん) 南座
五花街の芸妓・舞妓が舞や芸事の上達につながるようにと、勉強のため南座の歌舞伎「吉例顔見世(きちれいかおみせ)興行」を観劇する恒例行事
各花街ごとに1日ずつ全員揃って出かけ、芸妓・舞妓は舞台に向かって両脇にある1階の桟敷席、師匠やお茶屋の女将ら花街の関係者は観客席にて観劇
舞妓がこの時に挿す花簪(はなかんざし)は餅花に南座正面に掲げられる「まねき」を模したものが2つ付けられ、幕間に役者の楽屋を訪ね、無地の「まねき」に贔屓の歌舞伎役者の名前を立役は墨で女形は朱で直筆してもらうのが習わしとなっており、12月いっぱい使用される
東西人気役者の競演に花を添える年末の風物詩の一つで、この日を狙って席の予約を取る客も多いほか、南座前はその姿を撮影しようとするカメラマンや観光客などで溢れ返る
ちなみに「顔見世」は毎年11月30日から12月26日まで南座で行われる歌舞伎の興行で、「まねき」は劇場に隙間なく客に入ってもらいたいとの願いを込め、長さ1間・幅1尺・厚さ1寸(約180cm×約30cm×約3cm)のまねき板に「勘亭流(かんていりゅう)」と呼ばれる線は太く、角をつけず丸みを帯びた独特の書体を使って、隙間を埋めるように役者の名前を書いていく(11月に京都の妙傳寺でまねき書きが行われる)- 12/13
事始め(ことはじめ)
五花街で年末の12月13日に行われる伝統行事で、芸妓・舞妓たちが1年の締めくくりとして日頃お世話になっているお茶屋やお店、お稽古ごとの師匠などに出向き、一年のお礼と新年に向けた挨拶をする
「事始め」の12月13日はすす払いや餅つきをして正月準備にかかる日とされるが、これは江戸時代に朝廷や幕府の年中行事「すす払い」として始まったとされる風習で、この日をもって正月の準備に入る
花街ではお世話になっている舞の師匠に鏡餅を納め「おめでとうさんどす、相変わりませずおたのもうします」と挨拶し、師匠は祝儀の舞扇(まいおうぎ)を手渡し「おきばりやしたね、来年もおきばりやす」と一年の労をねぎらう光景が年末の風物詩となっている
中でも祇園甲部において芸舞妓たちが京舞井上流の家元・井上八千代宅を訪れる姿は、毎年マスコミ報道などでも採り上げられるなどよく知られている
ちなみに事始めが終わると年末にかけては「おことうさんどす」と挨拶を交わすようになるが、これは元々は「お事多さん」、つまり「事が多い」「お忙しいことですね」という意味で、迎春準備に忙しい中で気を遣う意味合いが込められているという
毎日・月並行事
- 月ごと
花簪(はなかんざし)
舞妓の挿す簪(かんざし)は季節を彩るシンボルとして、月替わりで変更されるのが習わしとなっており、特に草花にちなんだものが多いことから「花かんざし」と呼ばれている
職人の手作業により丁寧に作り上げられ、細やかな細工に特徴のある京都独特の伝統工芸品
1月 寒菊に「松竹梅」
2月 「梅」
3月 「菜の花」
4月 「桜」
5月 「藤」または「あやめ」
6月 「柳と撫子(なでしこ)」または「紫陽花(あじさい)」
7月 「団扇(うちわ)」
8月 「薄(すすき)」または「朝顔」
9月 「桔梗(ききょう)」
10月 「菊」
11月 「紅葉」または「銀杏(いちょう)」
12月 餅花に「南座の歌舞伎の顔見世興行のまねき」
ちなみに12月の「顔見世のまねき」には、総見の前に役者の楽屋を訪ね、無地の「まねき」に贔屓の歌舞伎役者の名前を直接書き入れてもらうという
また正月の「始業式」では根元に鳩の付いた「稲穂」のかんざしを芸妓は左、舞妓は右に、祇園祭では白銀の「梵天(ぼんてん)」と呼ばれる飾りが加えられる
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