祇園甲部歌舞練場(都をどり) 京都観光

祇園甲部歌舞練場(都をどり)

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祇園甲部歌舞練場(都をどり)

春の到来を華やかに告げる古都の風物詩「都をどり」

花見小路の南にある歌舞練場。 京都最大の花街・祇園甲部の芸妓・舞妓の舞踊公演の場で、毎年4月開催の「都をどり」の会場として1873年の第2回より使用される。 秋には京舞の井上流家元・井上八千代の指導による「温習会」も開催。 本館・別館・玄関・正門は国の登録文化財

祇園甲部歌舞練場(都をどり)とは?(基本データ)

名前
祇園甲部歌舞練場(ぎおんこうぶかぶれんじょう)
エリア
祇園・東山
ジャンル

花街 劇場・映画館・イベントホール 近代建築 茶会・献茶祭 開山忌・御忌

建立・設立
1872年(明治5年)、明治維新による東京奠都(とうきょうてんと)で繁栄に陰りが差した祇園を立て直すため「万亭(現在の一力亭)」の9代当主・杉浦治郎右衛門が大参事や京都府知事の協力を得て「祇園甲部歌舞会」を設立
同年京都で開催された第1回「京都博覧会」の余興として杉浦治郎右衛門と井上流家元の井上八千代が「都をどり」を企画し、祇園新橋小堀の「松の屋」にて上演される(都をどり初演)
1873年(明治6年)、花見小路通西側にあった建仁寺塔頭・清住院を歌舞練場として改造、第2回都をどりから会場として使用されるように
1913年(大正2年)、現在の場所に新築移転(修理のため1950年から3年のみ四条南座で上演された期間を除き「都をどり」の会場として使用され続けている)
2001年(平成13年)8月、祇園甲部歌舞練場の本館・別館・玄関・正門・八坂倶楽部・弥栄会館が京都府の「有形文化財」に登録
花街
祇園甲部(四条通を挟み北は新橋通、南は建仁寺通、西は大和大路通、東は東大路通)
舞踊
京舞井上流(きょうまいいのうえりゅう)
春の公演
都をどり(4/1~4/30)
秋の公演
温習会(おんしゅうかい)(10/1~10/6)
紋章
つなぎ団子に「甲」の文字(団子は8つの町内にちなみ8個)
アクセス
  • 京阪本線「祇園四条」駅下車 6番出口より徒歩約8分
  • 阪急京都線「河原町」駅下車 1番出口より徒歩10分
  • 京都市営バス「祇園」(12・31・46・80・急100・201・202・203・206・207・臨号系統)下車 徒歩8分
  • 京都市営バス「四条京阪前」(12・31・46・80・急100・201・203・207・臨号系統ほか)下車 徒歩約8分
  • 京都バス「四条京阪前」(16・21・23・41・43・63・64・65系統)下車 徒歩約8分
  • 京阪バス「祇園」(83・84・85・86・87・88系統ほか)下車 徒歩8分
  • 京阪バス「四条京阪」(83・84・85・86・87・88系統ほか)下車 徒歩約8分
  • JR「京都」駅より車・タクシーで約20分
  • 名神高速道路「京都東IC」より約30分
  • 名神高速道路「京都南IC」より約30分
駐車場
弥栄駐車場 約40台
├通常 30分250円(8:00~23:00)
├夜間 30分100円(23:00~8:00)
└大型バス 1時間2,000円(都をどり期間中は1公園3,000円)
拝観料
■都をどり観覧券
├茶券付特等 4,500円(指定席)
├壱等 4,000円(指定席)
└弐等 2,000円(自由席)
■温習会観覧券
├指定席 8,000円
└自由席 4,000円
お休み
■都をどり開催期間
└4/1~4/30
■温習会開催期間
└10月初旬
拝観時間
■都をどり開演時間
└12:30、14:00、15:30、16:50
■温習会開演時間
└16:00
住所
〒605-0074
京都府京都市東山区祇園町南側570-2
電話
075-561-1115
075-541-3391(祇園甲部歌舞会)
075-561-1119(ギオンコーナー)
FAX
075-561-3860(ギオンコーナー)
公式サイト
都をどり
都をどり Twitter
都をどり Facebook
おおきに財団 財団法人京都伝統伎芸振興財団
公益財団法人 片山家能楽・京舞保存財団
弥栄会館 ギオンコーナー

祇園甲部歌舞練場(都をどり)の地図

祇園甲部歌舞練場(都をどり)のみどころ (Point in Check)

京都市東山区の鴨川から八坂神社門前の東大路通までの四条通の南北に広がる京都を代表する歓楽街「祇園」にある歌舞練場。

その祇園の中でも中央を南北に通り、江戸時代の茶屋建築の情緒がふんだんに残る花見小路通沿いに位置し、芸妓・舞妓たちが活躍する「五花街」の中でも最大の規模を誇る「祇園甲部」が拠点としている歌舞練場です。

ちなみに「祇園甲部」は八坂神社の門前町で水茶屋として栄え、「かにかくに碑」で有名な歌人・吉井勇や作家の夏目漱石、谷崎潤一郎などの文人にも愛されるなど知名度が高く、また 「忠臣蔵」の大石内蔵助が豪遊したと伝わる京都で最も著名なお茶屋「一力亭」があることでも知られています。

そもそも「舞妓(まいこ)・芸妓(げいこ)とは、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添えることを生業とする女性の事をいいます。

舞妓とは芸妓になる前の15~20歳くらいまでの見習い期間をいい、通常は舞妓として約5年間修行した後に芸妓になります。

ちなみに舞妓になるまでにも準備期間があり、これを「仕込み(しこみ)」といいます。
花街のしきたりや京ことばなどを約1年学んだ後に「店出し・見世出し(みせだし)」をして晴れて舞妓となります。

彼女たちはそれぞれが「置屋(おきや)」と呼ばれる家に所属し、そこから「お茶屋(おちゃや)」や「料亭(りょうてい)」へ送り出され、宴席で芸を披露します。
お茶屋と料亭の違いは料理を直接提供するか否かで、お茶屋は直接提供はせず、「仕出し屋(しだしや)」から取り寄せることになります。
そしてこれらのお茶屋や置屋などが集まって形成されているのが「花街(かがい)」です。

歌舞練場(かぶれんじょう)とは、京都の花街(かがい)にある劇場のことで、芸妓・舞妓たちが歌や舞踊、楽器などの稽古をする練習場であると同時に、その発表のための場所でもあります。

現在京都には祇園甲部(ぎおんこうぶ)・先斗町(ぽんとちょう)・宮川町(みやがわちょう)・上七軒(かみしちけん)・祇園東(ぎおんひがし)のいわゆる「五花街」が現存しており、それぞれが専用の歌舞練場を持っています。

そして各花街は春と秋にそれぞれの歌舞練場を舞台に舞踊公演を行っており(祇園東のみ秋だけの公演)、芸妓・舞妓たちにとってはお茶屋や料亭・旅館などでのお座敷接待以外の主要な活動の一つとなっています。
またその他にも五花街の合同公演として6月下旬に行われる「都の賑い」も主要な舞踊公演の一つです。

ちなみにこれらの舞踊公演以外にも古くより花街に伝わる伝統行事がいくつかあり、五花街に共通したものとしては、正装の黒紋付に縁起物の稲穂のかんざしをつけて新年の挨拶を行う1月7日の「始業式(しぎょうしき)」(上七軒のみ1月9日)や、日頃お世話になっている師匠やお茶屋に感謝の気持ちを伝える8月1日の「八朔(はっさく)」、12月初旬の南座の歌舞伎の顔見世興行に芸舞妓が揃って観劇する「顔見世総見(かおみせそうけん)」、そして一年のお礼と新年に向けた挨拶をする12月13日の「事始め(ことはじめ)」は有名です。

その他にも祇園祭の花傘巡行や時代祭などの京都を代表する行事のみならず、各花街独自に参加する伝統行事も多数あり、また近年はメディアへの露出や京都市などが開催する各種イベントなどに参加する機会も増えるなど、京都の観光のシンボルとして重要な役割を果たしています。

「祇園甲部歌舞練場」は「祇園甲部」の芸舞妓たちが拠点とし、春に「都をどり」、秋に「温習会」と呼ばれる舞踊公演を行う会場となっていますが、その歴史が始まったのは明治維新直後のことでした。

1871年(明治4年)、京都府が設置され京都府知事に長谷信篤(ながたにのぶあつ 1818-1902)、そして副知事に槙村正直(まきむらまさなお 1834-96)が任命されると、彼らは明治維新によって天皇が東京へ行幸し、衰退しかけた京都に活気を取り戻そうと奔走することとなります。

その一環として計画されたのが博覧会の開催で、その余興として祇園の芸舞妓のお茶と歌舞が公開されることとなり、槙村副知事の相談を受けた万亭(現在の一力亭)の9代目当主・杉浦治郎右衛門(すぎうらじろうえもん 1820-95)と井上流家元の片山春子(三世家元 三代目井上八千代)が考案したのが現在の「都をどり」です。

三重県伊勢市古市(ふるいち)の「亀の子踊(かめのこおどり)」などを参考にお座敷舞ではなく集団での舞とし、また終始幕を閉めることなく背景を変えることで場面を変転させながら進める近代的かつ独創的な演出は好評を博し、1872年(明治5年)の初上演の翌年には第2回都をどりが上演され、以後年中行事として毎年春に行われるようになり、今や京都の春の風物詩となっています。

なお第1回都をどりの振り付けを担当したのは三世家元 三代目井上八千代(いのうえやちよ 1838-1938)で、以降祇園甲部の舞は「井上流」一筋となっています。

そして「祇園甲部歌舞練場」は1873年(明治6年)の第2回都をどりから会場として使用されていて、当時は花見小路通西側にあった建仁寺塔頭清住院が歌舞練場として改造され使用されていましたが、1913年(大正2年)3月に現在地に新築移転され現在まで100年以上に渡って会場として使用され続け、2001年(平成13年)には京都府の「有形文化財」にも登録されています。

祇園甲部歌舞練場(都をどり)の施設案内

京都を代表する歓楽街「祇園」は京都市の東を流れる鴨川の東側、八坂神社門前の東大路通までの四条通の南北の一帯を指します。

このうち「祇園甲部」の花街といわれているのは、四条通を挟んで北は「新橋通」、南は「建仁寺通」、西は「大和大路通」、東は「東大路通」までの範囲で、その中央を南北に通る「花見小路通」はいわば祇園甲部のメインストリートです。

特に四条通南側の花見小路通沿いはお茶屋など数多くの町家が建ち並ぶ石畳の道で、京都の風情が味わえる場所として観光客も多く、「歌舞練場」もこの通り沿いに位置しています。

また四条通北側の「白川」沿いも同様に石畳の道に町家が多く建ち並ぶ趣きのある場所で、テレビや雑誌でもよく登場し撮影スポットとしても知られる「巽橋」や「辰巳大明神」もあり、「祇園新橋重要伝統的建造物群保存地区」と呼ばれる景観保全地区に指定されているエリアです。

そして祇園甲部のお茶屋は、四条通花見小路南東角にある「一力亭」を筆頭に60から70ほどの数があり、歌舞練場の北側を中心として、エリア全体に点在しています。

祇園甲部歌舞練場

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    石畳の道

     

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    正門

    敷地西側の花見小路に面して建つ、鉄筋コンクリート造、平屋建、寄棟造・銅板瓦葺の建物
    1936年(昭和11年)の建造で、国の登録有形文化財(建造物)に指定

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    WC

     

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    八阪歌舞場碑

     

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    植込み

     

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    玄関

    東側を本館、南側を別館、そして北側を弥栄会館に囲まれた位置にある木造平屋建、瓦葺の建物
    入母屋造の主体部は45畳と30畳の板間に分かれ、入口に相応しい堂々とした外観の唐破風の車寄が接続された形となっている
    1913年(大正2年)の建造で、国の登録有形文化財(建造物)に指定
    演舞会時には一等玄関・一等待合に使用される

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    本館

    木造地上2階建、一部地下1階建の広大な南北棟の大劇場建築で入母屋造、瓦葺屋根を架け、西面に千鳥破風が設けられている
    内部は北側を舞台、南側を客席とした構成で良質の檜材を用いられている
    1913年(大正2年)の建造で、国の登録有形文化財(建造物)に指定

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    別館(八坂ホール)

    本館の南側に接する木造2階建の東西棟・妻入の細長い建物で、正面となる西面は車寄の唐破風、玄関となる妻庇上の千鳥破風、入母屋造の妻飾が階段状に続く
    1階は当初70畳敷の点茶席、2階は休憩室・待合室で床・棚付の2室
    1913年(大正2年)の建造で、国の登録有形文化財(建造物)に指定

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    八坂倶楽部

    敷地南奥に建つ木造2階建,入母屋造・瓦葺の大屋根を架けた建物
    1913年(大正2年)の建造で、国の登録有形文化財(建造物)に指定
    北面西側に軒唐破風付の玄関を設け,東面と南面から庭園を望む
    1階は特等客向けの待合・点茶などに用いられ,2階は広大な132畳敷の客席と舞台からなる広壮な舞台座敷となっている

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    祇園甲部歌舞練場庭園

     

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    茶室如庵

     

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    四阿

     

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    弥栄会館(やさかかいかん)

    鉄骨鉄筋コンクリート造地上5階地下1階建、瓦葺
    各階に銅板瓦葺屋根をかけ、付庇や宝形造屋根が城郭の天守を思わせる造形で,和風意匠の伝統を巧みに織り込んでいる
    設計は木村得三郎
    1936年(昭和11年)の建造で、国の登録有形文化財(建造物)に指定
    会館内の「ギオンコーナー」は、京舞をはじめ、茶道、華道、箏曲、狂言、雅楽など日本の伝統芸能を約1時間で身近に鑑賞できる施設となっている
    [通常公演(3/9~11月末)]
    毎日18:00~、19:00~(2回公演)
    [冬期公演(12/1~3/8)]
    12月~3月第2週目まで金土日祝のみ公演
    ※冬期公演中は文楽は休演で、代わりに舞妓さんとの写真撮影が行われる
    [休演日]
    7/16、8/16、12/29~1/3
    [料金(全席自由席)]
    大人 3,150円
    高校・大学生 2,200円
    小中学生 1,900円(京都府下1,600円)
    ※20名以上の団体は要予約

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    ギオンコーナー

     

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    祇園甲部お茶屋組合・祇園甲部歌舞会・祇園甲部芸妓組合

     

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    弥栄駐車場

     

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    石畳の道

     

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    祇園女子技芸学校・八坂女紅場学園

     

花街(お茶屋・置屋)

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    祇園町南側入口

     

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    花見小路通

     

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    一力亭(いちりきてい)

    元「万亭」
    浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」で大石内蔵助が通った茶屋

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    やまふく

     

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    松葉元(まつばもと)

     

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    万イト(まんいと)

     

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    廣島家(ひろしまや)

     

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    吉うた(よしうた)

     

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    弥す田(やすだ)

     

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    ?貝田(かいだ)

     

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    美乃文(みのふみ)

     

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    辻糸(つじいと)

     

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    ×小石(こいし)

    →ステーキ割烹こいし

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    井政(いまさ)

     

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    岡きみ(おかきみ)

     

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    松八重(まつやえ)

     

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    小田本(おだもと)

    1901年(明治34年)創業

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    津田楼?

    ▼元お茶屋、モダン会席

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    冨田屋(とみたや)

     

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    福嶋(ふくしま)

     

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    ×よしまさ

    →京みやげ 幸光よしまさ

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    ?西村家(にしむらや)

     

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    山加代(やまかよ)

     

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    たけ田(たけだ)

     

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    多麻(たま)

     

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    つる居(つるい)

     

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    ×おかね

    →ステーキハウス祇園ゆたか

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    泉政(いずみまさ)

     

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    玖見(くみ)

     

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    お福(おふく)

     

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    大仲(おおなか)

     

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    藤本(ふじもと)

     

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    桝梅(ますうめ)

     

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    大ヌイ(大ぬい)(だいぬい)

     

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    和田?

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    こじま屋(こじまや)

     

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    うす井?

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    近江作(おうみさく)

     

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    池田家(いけだや)

     

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    やなぎ

     

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    藤とく?

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    京屋(きょうや)

     

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    いまむら

     

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    大恒(だいつね)

     

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    登喜家(ときや)

     

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    も里多(もりた)

     

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    きねや

     

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    比路松(ひろまつ)

     

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    芳きし(よしきし)

     

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    万喜久(まんぎく)

     

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    ×牡丹(ぼたん)

     2012年閉店

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    むら上(むらかみ)

     

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    寿満子?

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    松田

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    立花(たちばな)

     

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    みの竹(みのたけ)

     

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    備前屋(びぜんや)

     

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    中支志(なかぎし)

     

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    桔梗家(ききょうや)

     

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    富美代(とみよ)

     

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    丸八(まるはち)

     

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    みの家(みのや)

     

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    美の八重(みのやえ)

     

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    木村咲(きむらさき)

     

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    梅の家(うめのや)

     

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    加藤(かとう)

    1895年(明治28年)創業

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    政の屋(まさのや)

     

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    小勝?

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    房の家(ふさのや)

     

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    岡あい(岡愛)(おかあい)

     

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    イ(にんべん)

    1848年

関連

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    祇園新橋重要伝統的建造物群保存地区

     

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    祇園町南歴史的景観保全修景地区

     

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    切り通し

     

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    巽橋

     

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    白川

     

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    辰巳大明神

     

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    火除け地蔵

     

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    白川南通

     

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    かにかくに碑

     

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    新橋通

     

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    片山家能楽・京舞保存財団

     

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    南座

     

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    祇園小唄歌碑

     

周辺

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    八坂神社

     

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    建仁寺

     

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    祇園商店街

     

その他の花街

祇園甲部歌舞練場(都をどり)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

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始業式(しぎょうしき)

五花街で行われる新年を祝う伝統行事で、芸妓・舞妓たちのほか、花街関係者やお茶屋、置屋の女将(おかみ)らが一同に集まって行われる
祇園甲部は八坂女紅場、先斗町は鴨川学園、宮川町は東山女子学園、祇園東はお茶屋組合の2階でそれぞれ1月7日、上七軒のみ上七軒歌舞練場で1月9日の開催
主役の芸妓・舞妓たちは黒紋付三本襟足の正装で出席し、花簪(はなかんざし)の代わりに正月用の縁起物の「稲穂」のかんざしを身に着けるのがならわし
関係者と「おめでとうさんどす」と挨拶を交わし、その年の精進を誓うほか、前年の売上成績の良いお茶屋や芸妓・舞妓の表彰式も行われ、最後の締めには新年を寿ぐ舞の奉納も
始業式の開始前に凛とした姿で会場へと向かう姿や、終了後に各お茶屋などへ挨拶回りに向かう姿は年始の風物詩となっており、ともに多くのカメラを携えたギャラリーが詰めかける
祇園甲部の始業式では、理事長の発声により全員で5ヶ条の「芸妓・舞妓の誓い」を唱和
最後の舞は京舞井上流家元・井上八千代師匠による地唄「倭文(やまとぶみ)」
13:00頃に始業式が終わり、各お茶屋などへの挨拶回りに出ていくが、祇園を代表するお茶屋・一力亭もある歌舞練場沿いの花見小路では警官が交通整理をするなど大変な混雑となる

1/11
恵比須神社(京都ゑびす神社) 十日ゑびす大祭「のこり福」

「十日ゑびす大祭(初ゑびす)(とおかえびすたいさい)」は恵比須神社(京都ゑびす神社)で行われる「えべっさん」の愛称で有名な、西日本では一般的な行事として知られる祭典
ゑびす神として親しまれている「言代主大神(ことしろぬしのおおかみ)」の生まれた1月10日の寅の刻(午前4時頃)を祝う
古くより京の町衆に親しまれており、江戸時代の京都案内「都林泉名勝図会」にもその賑やかな様子が描かれているという
1月10日とその前後2日の計5日間にわたって行われ、商売繁昌・家運隆昌を祈願した「吉兆笹(福笹)」を求める多くの参詣者が連日連夜にわたって詰めかける
このうち1月11日の「残り福祭」では祇園甲部および宮川町の「舞妓さんの奉仕による福笹と福餅の授与」が行われることになっており、祇園甲部の担当は昼の14:00~16:00

1/13
初寄り(はつより)

祇園甲部で前年の12月13日の「事始め」で一年を締めくくった丁度1か月後の1月13日に、芸舞妓たちが舞の師匠である京舞井上流家元・井上八千代宅に集まって稽古始めの挨拶をし、芸事へのより一層の精進を誓い、師匠からは励ましの言葉がかけられる
初舞も披露され、お屠蘇と雑煮で新年を祝うとともに新たな気持ちで一年をスタートさせる
初寄りでは舞妓見習い中の「仕込み」たちが先輩の芸舞妓たちとともに井上宅に挨拶に訪れる初々しい姿を見ることもできる

2/3
八坂神社節分祭奉納舞踊(やさかじんじゃせつぶんさいほうのうぶよう)

「節分祭」は古来より陰陽道では季節の変わり目である節分は陰と陽が対立し生まれた邪鬼が災難をもたらすと伝えられており、これを追い払い一年間の無病息災や五穀豊穣を祈願して行われる行事
八坂神社境内の舞殿(ぶでん)にて、祇園の四花街の芸舞妓による華やかな舞踊奉納と福豆撒き(ふくまめまき)が見どころで、境内に鬼はいないとの前提で掛け声は「福は内」だけなのも特徴の一つ
祇園甲部の担当は2月3日の「節分祭当日」の13:00から

2/3
節分お化け(せつぶんおばけ)

「節分お化け」とは、節分の日に仮装など普段と異なる姿に扮することで鬼を化かし、驚かして追い払う風習
平安時代にまで遡るとされている行事といわれ、節分の厄払いといえば現在では豆まきなどの追儺儀式が有名だが、京都では江戸時代から昭和初期にかけ町内を中心に盛んに行われていたという
戦後廃れてしまい、一時は花街で芸妓・舞妓が行なう行事としてのみ知られていたが、近年再び節分おばけの行事を盛り上げようという動きもみられる
花街では節分の前後3日間のみ普段の芸舞妓の格好とは違った扮装をしてお座敷を回ることが許されているらしく、お座敷でも普段とは違う特別な芸を披露したり、またお茶屋も色々な趣向を凝らしたお化けイベントを開催している
節分の夜の花街周辺では、運が良ければ仮装をした「お化け」姿の芸舞妓を目撃することができるという

3月初~3月中
京都・東山花灯路(ひがしやまはなとうろ)

京都の夜の新たな風物詩となることを目指して、2003年(平成15年3月)から始められた「灯り」をテーマに始められたイベントで、北は青蓮院から知恩院、円山公園、八坂神社、高台寺を通り、二年坂や産寧坂を経て南は清水寺に至る約4.6kmの路地を行灯で照らす
その他にも公園や普段は夜間拝観は行っていない周辺の寺社などでもライトアップや様々な行事・イベントが開催される
花街からは祇園甲部・先斗町・宮川町・上七軒・祇園東が日替わりで八坂神社にて舞を披露する

3/20
大石忌(おおいしき)

「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助が切腹した命日である3月20日(旧暦2月4日)に祇園有数のお茶屋「一力亭」で店の馴染みの客を招待して行われる
お茶屋「一力亭(いちりきてい)」は四条花見小路の南東角にあり、歌舞伎の演目「仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)」の7段目「祇園一力茶屋の場」で、大石が討ち入り前に京都山科に閑居していた際に遊んだとされるお茶屋
ちなみに正式には「万亭」だが、「万」の字を「一」と「力」の二字に分けて「一力」と呼ばれるようになったという
店内には大石愛用の三味線「初音」などの遺品や遺書、四十七士の像などがあり、当日は四十七士像の前にてお参りをするほか、京舞井上流・井上八千代家元による「深き心」、祇園甲部の芸舞妓3名による地唄「宿の栄」の舞が披露される
芸妓・舞妓さんたちにより討ち入りそばや大石の家紋「二つ巴紋」の巴饅の付いた抹茶の接待も行われる
大石忌は古くより行われており、1907年(明治40年)と1915年(大正4年)に京都を訪れた文豪・夏目漱石が大石忌を見たという記録も残っているという

4/1~4/30
都をどり(みやこをどり)

五花街のうち、秋に開催する祇園東を除く4つの花街で行われる「春のをどり」の一つ
芸舞妓たちが日頃の稽古の成果を披露する晴れの舞台であり、祇園のみならず京都の春の風物詩となっている
4月にまる1か月間開催される祇園甲部の「都をどり」はその先駆けで、明治維新によって天皇が東京へ行幸し、衰退しかけた京都に活気を取り戻そうと1872年(明治5年)に開催された「第1回京都博覧会」の「附博覧(余興)」として初めて開催されて好評を博し、後に年中行事となった
京都府参事の槙村正直や京舞井上流三世家元・井上八千代(片山春子)、万亭(現在の一力亭)の9代目当主・杉浦治郎右衛門らの発案で企画され、以後祇園甲部の舞は京舞井上流一筋となった
三重県伊勢市古市(ふるいち)の「亀の子踊(かめのこおどり)」などを参考にお座敷舞ではなく集団での舞とし、また終始幕を閉めることなく背景を変えることで場面を変転させながら進める近代的かつ独創的な演出が特徴
祇園甲部を象徴するつなぎ団子の提灯の下で「都をどりはぁ~、よ~いやさ~」の掛け声で始まる幕開けは第1回公演から変わらず続いているという
茶券付特等観覧券購入の場合は開演前に芸妓・舞妓の接待によるお茶席で抹茶とお菓子が楽しめる

4/16
平安神宮例祭 神賑奉納舞踊(へいあんじんぐうれいさい しんしんほうのうぶよう)

平安神宮の4月15日の「例祭」の翌日の「例祭翌日祭(れいさいよくじつさい)」では、例祭斎行を奉祝して10:00より各付属団体の会員らが参列し「神饌講・澄心会・献花会・献茶講大祭」が盛大に行われる
併せて12:00から大極殿前の特設舞台にて、は包丁式や神楽舞、舞楽、各花街の舞妓による舞踊などが華やかに上演される「神賑行事(しんしんぎょうじ)」が開催される

6月第1日曜
祇園放生会(ぎおんほうじょうえ)

「放生会」は、仏教の根本思想である「不殺生」、すなわち生命の尊重・慈悲の精神から、魚・鳥獣などの生き物を放流する行事をいい、人間はこの世の生き物のお陰で自身が生きながらえている、そのことに感謝し生き物の霊を弔うのが大きな目的
赤山禅院内の「祇園放生会実行委員会」により1985年(昭和60年)より毎年、祇園白川の巽橋・辰巳大明神付近で開催され、時間は11:00~13:00頃
生き物への感謝の意を込めて、比叡山の大阿闍梨(あじゃり)による放生会の法要の後、12:30頃に読経の中で祇園甲部の舞妓2名も参加して巽橋の上から約2,000匹の稚魚を白川に放流する
香煎茶の無料接待や奉納演奏、法話、比叡山の大阿闍梨による奉修なども

6月下
都の賑い(みやこのにぎわい)

6月に南座で開催される祇園甲部・先斗町・宮川町・上七軒・祇園東の五花街の合同伝統芸能特別公演
1994年(平成6年)から毎年行われ、各花街の芸舞妓約80名がが一堂に会し、夢のような舞台を繰り広げる京都の初夏の風物詩
五花街がそれぞれに趣向を凝らした演目を披露した後、呼び物の合同演目「舞妓の賑い」では五花街から各4人ずつ、総勢20人の舞妓が勢揃いし、華麗な舞を披露する
開催期間中の夕方からは京都市内の京料理の老舗料亭5店舗やホテルを会場に花街ごとのお座敷が設けられ、芸妓・舞妓のおもてなしによる宴が楽しめる「五花街の夕べ」も開催される

7月初旬
みやび会お千度(みやびかいおせんど)

毎年祇園祭期間中の7月初旬に、芸舞妓たちがお揃いの白い浴衣を着て八坂神社へ参拝し、芸事の上達と無病息災を祈願する「お千度」参り
祇園甲部の舞の流派である京舞井上流・井上八千代家元とその門下生で構成される「みやび会」が行っている
名称は「お千度参り」だが実際に千度回る訳ではなく、木箱に入ったお札を引いて本殿の周囲を1~3度ほど回り、本殿の表と裏でお参りすることで、千度参ったのと同じ功徳が得られるというもの
ちなみに全員勢揃いして参拝に訪れる訳ではなく、9:30頃から次々と神社に姿を見せ、お千度参りの後に10:00より本殿にて神事、その後正門にあたる南楼門前で記念撮影(雨天の場合行われない)の後、西楼門から神社を後にし、四条通を通って親睦会の行われる四条河原町の高島屋へ向かうという
白い浴衣にあしらわれた意匠は毎年異なるといい、日傘を差し涼しげな浴衣姿で詣でる姿は、夏らしく爽やか

7/15・7/16
祇園祭 宵宮神賑奉納(ぎおんまつり よいみやしんしんほうのう)

「祇園祭」の「宵山」の開催される7月16日に、四条大橋から八坂神社西楼門前まで続く四条通沿いの「祇園商店街」の主催で「宵宮」として八坂神社の祭神に各種芸能を奉納する「神賑奉納」が行われる
夕方18:00頃より歩行者天国となる四条通の切り通し~祇園交差点に設けられる特設舞台にて、舞妓による京舞の奉納のほか、太鼓や獅子舞、舞楽や鷺踊りなどさまざまな芸能奉納が披露される
[特設舞台(四条通の花見小路通より西側)]
18:10頃 舞楽(弥栄雅楽会)
19:00頃 鷺踊(祇園萬燈会)
[東特設舞台(四条通の花見小路通より東側)]
19:00頃 京舞(祇園甲部歌舞会)
19:20頃 祇園祭音頭踊(祇園萬燈会)
19:30頃 大石囃子(大石神社巴会)
19:45頃 祇園獅子舞(祇園獅子舞研究会)
20:00頃 祇園太鼓(八坂神社祇園太鼓)

またその前日の7月15日の19:00頃~22:00には祇園商店街の主催による宵宮神賑奉納の「前夜祭」が行われる
地元民も楽しめるをメインコンセプトに祇園甲部の芸妓・舞妓によるビアガーデン、祇園町の地元有志による三味線や篠笛などの芸能、明日の巨匠による映画大会などで賑わう

7/24
祇園祭 花笠巡行奉納舞(ぎおんまつり はながさじゅんこうほうのうまい)

「花傘巡行(はながさじゅんこう)」は元々は「祇園祭」の7月24日の「後祭」が1966(昭和41年)に7月17日に合流したことで行事が喪失したのを受けて開催されるようになったものだが、2014年(平成26年)に後祭が復活した後も引き続き行われている
芸能的色彩の濃い巡行行列となっており、花街からも上七軒を除く祇園の4つの花街の芸舞妓が、毎年2花街ずつ隔年で参加している
巡行行列は10:00に八坂神社をスタートし、市内を練り歩いた後に八坂神社に帰着、到着後の12:00頃より舞殿にて久世六斎や祇園獅子舞など、数々の舞踊、芸能が奉納されるが、その一つとして芸舞妓による「花笠巡行奉納舞」も行われる
演目は祇園甲部は民話「舌切り雀」を題材にした「すずめ踊り」、先斗町は「歌舞伎踊り」、宮川町は「コンチキ音頭」、祇園東は「小町踊り」で、年により担当の花街が変わる

8/1
八朔(はっさく)

「八朔」とは、旧暦8月1日すなわち「八月朔日」を略した言葉で、古来より恩義のある人に贈り物をする風習があった
例えば農家においては、旧暦の8月頃になると早稲の穂(田の実)が実るため、その「田の実」を日頃「頼み」ごとをしてお世話になっている貴人恩人に送る風習が古くからあったといい
また江戸幕府においては、1590年(天正18年)8月1日が徳川家康が初めて江戸城に入城した日で、正月に次ぐ祝日としていたという
花街ではこの風習が今も残っており、毎年新暦の8月1日に行われる伝統行事で、舞妓・芸妓たちが日頃から芸事でお世話になっているお茶屋や師匠に、感謝の思いを伝える姿は夏の風物詩として定着している
祇園甲部のみ黒紋付三本襟足の正装で行われる

10/1~10/6
温習会(おんしゅうかい)

「秋のをどり」は「春のをどり」とともに芸舞妓たちが日頃の稽古の成果を披露する晴れの舞台の一つで、祇園甲部では毎年10月1日から6日にかけて開催される
「温習会」とは日本舞踊や邦楽などで芸事などの総ざらいとして、練習の成果を発表するおさらい会という意味で、劇場などで大掛りに催すものは別名「大ざらい」とも呼ばれる
当時の資料が失われていて詳しいことは分かっていないというが、明治初期頃から開催されたといい、当初は日頃の贔屓客らが出演する芸舞妓の舞・地方囃子・地唄・三味線・浄瑠璃・琴・胡弓・明清楽などの各部門ごとの各自の技能を批評・採点する試験のようなものだったという
上方唄、長唄を井上流の舞で披露するが、出し物は上演日によって異なる
また華やかで賑々しく開催される春の都をどりとは違い、目の肥えた通の客が多く訪れしっとりとした雰囲気の中で芸を競う場となる

10/22
時代祭(じだいまつり)参加

「時代祭」は平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、1895年(明治28年)に初開催
明治維新により著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として平安神宮が創建され、町おこしにかける人々の熱意の象徴として創始された
祇園祭・葵祭とともに京都三大祭の一つに数えられ、京都全市域からなる全11社の市民組織「平安講社」の運営により毎年平安遷都の日である10月22日に開催される
「時代風俗行列」は12:00より山国隊の奏する笛、太鼓の音色を先頭に行列は京都御所の建礼門前を出発、行列は8つの時代を20に分けられ約2000人が参加し、京の街を練り歩く
京をゆかりに活躍した歴史上の人物に扮した行列が、明治維新から平安京の造営された延暦寺代へと古い時代にさかのぼって登場し、最後に御鳳輦の神幸列、そして弓箭組列が続いていく
綿密な時代考証の下、京都の伝統工芸技術の粋を集めて復元された1万2000点にもおよぶ調度、衣裳、祭具も見どころ
このうち各花街(京都花街組合連合会)の芸舞妓が年交代で行列に参加するのは清少納言や紫式部、小野小町、常盤御前にが女性で唯一馬にまたがる巴御前などが登場する「平安時代婦人列」や「江戸時代婦人列」「中世婦人列」

11/8
かにかくに祭(かにかくにさい)

祇園をこよなく愛したという大正・昭和期の歌人・吉井勇(1886-1960)を偲んで祇園白川(白川南通)の川沿いに建つ「かにかくにの碑」の前にて行われる
「祇園白川」は白川と川に沿って続く白川南通一帯を指し、白川に架かる巽橋や向かいの辰巳大明神、そこから石畳の道沿いに続く柳の並木と町家が多く立ち並ぶ情景などが、京都らしさを感じられる場所として「祇園新橋重要伝統的建造物群保存地区」にも指定され、また春は桜の名所としても有名な場所
また吉井勇は元鹿児島藩士で伯爵の吉井友実(よしいともざね)の孫として東京に生まれ、明星派の歌人として活躍し、1909年(明治42年)に森鴎外らが中心に創刊した文芸雑誌「スバル」の編集にあたったほか、劇作家として数多くの作品も残している
晩年の1938年(昭和13年)に京都へ移住し、以後は祇園に足しげく通ったといい、祇園甲部の春のをどり「都をどり」の歌詞も手掛けていることでも有名
石碑に刻まれている「かにかくに 祇園はこいし 寝るときも 枕の下を 水のながるる」の歌は1910年(明治43年)に詠まれ、当時の白川河岸の情景を歌ったもので、歌集「酒ほがひ」に収められている
当時の白川には両岸に茶屋が建ち並んでいたといい、その中に夏目漱石ら当時の文人墨客たちと幅広い交流があった女将・磯田多佳の「大友(だいとも)」もあったが、戦時中の空爆対策により大友を含めた北側の家々は強制撤去されてしまったという
歌碑は吉井勇の70歳、古希の祝いとして1955年(昭和30年)11月8日に谷崎潤一郎や湯川秀樹などの彼の友人たちが発起人となって大友の跡地に建立されたもの
毎年その11月8日に合わせ11:00と14:00の2度開催、歌碑の前で祇園甲部の舞妓・芸妓ら4名による白菊の献花が行われた後、舞妓の接待によるお茶会が開催される
見学できるのは石碑前で行われる献花のみで、わずか10~15分ほどの行事だが、マスコミや大勢のカメラマンたちが大勢詰めかける

11/23
祇園小唄祭(ぎおんこうたさい)

五花街の舞妓が年交代で行事に参加する
「祇園小唄(ぎおんこうた)」は「月はおぼろに東山」の歌詞ではじまる昭和の名曲(作曲は佐々紅華(さっさこうか 1886-1961)で、祇園をこよなく愛したという作家・長田幹彦(ながたみきひこ 1887-1964)の150万部の大ベストセラー小説「祇園夜話(ぎおんやわ)」を映画化した1930年(昭和5年)の「祇園小唄絵日傘(ぎおんこうたえひがさ)」の主題歌として大流行した
そして京舞井上流四世・井上八千代が振り付けをした花街を代表する舞踊曲でもあり、舞妓にとっては修行期間にあたる「仕込み」の頃より毎日のように舞う曲だという
「祇園小唄祭」は2002年(平成14年)より始められたこの曲を顕彰する行事で、毎年11月23日の勤労感謝の日に開催
八坂神社の隣にある円山公園の有名な祇園枝垂桜のそばにある瓢箪池の畔に建てられた歌碑「祇園小唄の碑」の前で舞妓2人が歌詞を朗読、献花を行い、この曲に対して感謝の気持ちを捧げる

12月初
南座顔見世総見(みなみざかおみせそうけん)

五花街の芸妓・舞妓が舞や芸事の上達につながるようにと、勉強のため南座の歌舞伎「吉例顔見世(きちれいかおみせ)興行」を観劇する恒例行事
各花街ごとに1日ずつ全員揃って出かけ、芸妓・舞妓は舞台に向かって両脇にある1階の桟敷席、師匠やお茶屋の女将ら花街の関係者は観客席にて観劇
舞妓がこの時に挿す花簪(はなかんざし)は餅花に南座正面に掲げられる「まねき」を模したものが2つ付けられ、幕間に役者の楽屋を訪ね、無地の「まねき」に贔屓の歌舞伎役者の名前を立役は墨で女形は朱で直筆してもらうのが習わしとなっており、12月いっぱい使用される
東西人気役者の競演に花を添える年末の風物詩の一つで、この日を狙って席の予約を取る客も多いほか、南座前はその姿を撮影しようとするカメラマンや観光客などで溢れ返る
ちなみに「顔見世」は毎年11月30日から12月26日まで南座で行われる歌舞伎の興行で、「まねき」は劇場に隙間なく客に入ってもらいたいとの願いを込め、長さ1間・幅1尺・厚さ1寸(約180cm×約30cm×約3cm)のまねき板に「勘亭流(かんていりゅう)」と呼ばれる線は太く、角をつけず丸みを帯びた独特の書体を使って、隙間を埋めるように役者の名前を書いていく(11月に京都の妙傳寺でまねき書きが行われる)

12/13
事始め(ことはじめ)

五花街で年末の12月13日に行われる伝統行事で、芸妓・舞妓たちが1年の締めくくりとして日頃お世話になっているお茶屋やお店、お稽古ごとの師匠などに出向き、一年のお礼と新年に向けた挨拶をする
「事始め」の12月13日はすす払いや餅つきをして正月準備にかかる日とされるが、これは江戸時代に朝廷や幕府の年中行事「すす払い」として始まったとされる風習で、この日をもって正月の準備に入る
花街ではお世話になっている舞の師匠に鏡餅を納め「おめでとうさんどす、相変わりませずおたのもうします」と挨拶し、師匠は祝儀の舞扇(まいおうぎ)を手渡し「おきばりやしたね、来年もおきばりやす」と一年の労をねぎらう光景が年末の風物詩となっている
中でも祇園甲部において芸舞妓たちが京舞井上流の家元・井上八千代宅を訪れる姿は、毎年マスコミ報道などでも採り上げられるなどよく知られている
ちなみに事始めが終わると年末にかけては「おことうさんどす」と挨拶を交わすようになるが、これは元々は「お事多さん」、つまり「事が多い」「お忙しいことですね」という意味で、迎春準備に忙しい中で気を遣う意味合いが込められているという

12/31
おことうさん

12月30日に仕事納めをした舞妓たちは、翌日の大晦日に日頃お世話になっているお茶屋を回って挨拶をする
「おことうさんどす(お事多うさんどす)」と挨拶すると、お茶屋からは贔屓の客から預かったという直径20cmほどの鞠のような形をした紅白の「福玉(ふくだま)」が手渡される
この福玉は餅皮でできており、年を越しお雑煮をいただく前に開けるといい、中には七福神や干支の置物などの縁起物や日用品などが入っているという
この風習は主に祇園甲部で行われ、宮川町や上七軒などにも広がっていったといい、以前は福玉をいくつも提げて大晦日の八坂神社の「おけら詣り」に向かう姿が見られたが、最近は地方出身の芸舞妓が多く年末に帰省してしまうため、その前に挨拶回りをすることも多いという

毎日・月並行事

月ごと
花簪(はなかんざし)

舞妓の挿す簪(かんざし)は季節を彩るシンボルとして、月替わりで変更されるのが習わしとなっており、特に草花にちなんだものが多いことから「花かんざし」と呼ばれている
職人の手作業により丁寧に作り上げられ、細やかな細工に特徴のある京都独特の伝統工芸品

1月 寒菊に「松竹梅」
2月 「梅」
3月 「菜の花」
4月 「桜」
5月 「藤」または「あやめ」
6月 「柳と撫子(なでしこ)」または「紫陽花(あじさい)」
7月 「団扇(うちわ)」
8月 「薄(すすき)」または「朝顔」
9月 「桔梗(ききょう)」
10月 「菊」
11月 「紅葉」または「銀杏(いちょう)」
12月 餅花に「南座の歌舞伎の顔見世興行のまねき」

ちなみに12月の「顔見世のまねき」には、総見の前に役者の楽屋を訪ね、無地の「まねき」に贔屓の歌舞伎役者の名前を直接書き入れてもらうという
また正月の「始業式」では根元に鳩の付いた「稲穂」のかんざしを芸妓は左、舞妓は右に、祇園祭では白銀の「梵天(ぼんてん)」と呼ばれる飾りが加えられる

花ごよみ

3月下~4月上
桜(サクラ)

「都をどり」の開幕する4月上旬に花見小路通沿いの入口前や正門をくぐった先の玄関の右奥の方などで花を咲かせ、都をどりに彩を添えてくれる
歌舞練場庭園にも枝垂桜

祇園甲部歌舞練場(都をどり)のギャラリー


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