祇園東(祇園をどり) 京都観光

祇園東(祇園をどり)

祇園東(祇園をどり)

 

 

祇園東(祇園をどり)とは?(基本データ)

名前
祇園東(祇園をどり)(ぎおんひがし)
エリア
祇園・東山
ジャンル

花街 茶会・献茶祭

建立・設立
1881年(明治14年)、京都府第3代・北垣知事の命で祇園の花街は「甲部」と「乙部」の二つに分けられる
1949年(昭和24年)には祇園「東新地」、1955年(昭和30年)頃からは「祗園東」と改称
花街
祇園東(四条花見小路北東部=南北は四条通~新橋通・東西は東大路通~花見小路通)
舞踊
藤間流(ふじまりゅう)
春の公演
-
秋の公演
祇園をどり
紋章
つなぎ団子
アクセス
  • 京阪本線「祇園四条」駅下車 6番出口より徒歩約7分
  • 阪急京都線「河原町」駅下車 1番出口より徒歩約10分
  • 京都市営バス「祇園」(12・31・46・80・急100・201・202・203・206・207・臨号系統)下車すぐ
  • 京都市営バス「四条京阪前」(12・31・46・80・急100・201・203・207・臨号系統ほか)下車 徒歩約7分
  • 京都バス「四条京阪前」(16・21・23・41・43・63・64・65系統)下車 徒歩約7分
  • 京阪バス「祇園」(83・84・85・86・87・88系統ほか)下車すぐ
  • 京阪バス「四条京阪」(83・84・85・86・87・88系統ほか)下車 徒歩約7分
  • JR「京都」駅より車・タクシーで約20分
  • 名神高速道路「京都東IC」より約30分
  • 名神高速道路「京都南IC」より約30分
駐車場
京都市円山駐車場
├普通車134台 30分毎250円
└自動二輪 30分毎100円
24時間、車高制限1.9mあり
TEL:075-541-6371
拝観料
■祇園をどり観覧券
├茶券付観覧料 4,500円
├観覧料 4,000円
├茶券 500円
└プログラム 500円
お休み
■祇園をどり開催期間
└11/1~11/10
拝観時間
■祇園をどり開演時間
└13:30・16:00(2回公演)
住所
【祇園東お茶屋組合・祇園東芸妓組合】
〒605-0073
京都府京都市東山区祇園町北側319
電話
075-561-0224
FAX
075-561-0225
公式サイト
祇園東歌舞会
祇園東お茶屋組合
祇園東歌舞会 Facebook
祇園東歌舞会 Instagram
おおきに財団 財団法人京都伝統伎芸振興財団
藤間紋寿郎のホームページ
祇園会館

祇園東(祇園をどり)の地図

祇園東(祇園をどり)のみどころ (Point in Check)

京都市東山区花見小路通四条上ル東側に位置する祇園の花街で、祇園甲部、先斗町、宮川町、上七軒とともに京都の五花街の一つ。
花街のエリアは四条花見小路北東部、すなわち四条通以北、花見小路以東で、東大路と花見小路の間で四条通北側の東富永町・中末吉町・新橋の3つの通りにまたがる地域となっています。

そもそも「舞妓(まいこ)・芸妓(げいこ)とは、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添えることを生業とする女性の事をいいます。

舞妓とは芸妓になる前の15~20歳くらいまでの見習い期間をいい、通常は舞妓として約5年間修行した後に芸妓になります。

ちなみに舞妓になるまでにも準備期間があり、これを「仕込み(しこみ)」といいます。
花街のしきたりや京ことばなどを約1年学んだ後に「店出し・見世出し(みせだし)」をして晴れて舞妓となります。

彼女たちはそれぞれが「置屋(おきや)」と呼ばれる家に所属し、そこから「お茶屋(おちゃや)」や「料亭(りょうてい)」へ送り出され、宴席で芸を披露します。
お茶屋と料亭の違いは料理を直接提供するか否かで、お茶屋は直接提供はせず、「仕出し屋(しだしや)」から取り寄せることになります。
そしてこれらのお茶屋や置屋などが集まって形成されているのが「花街(かがい)」です。

歌舞練場(かぶれんじょう)とは、京都の花街(かがい)にある劇場のことで、芸妓・舞妓たちが歌や舞踊、楽器などの稽古をする練習場であると同時に、その発表のための場所でもあります。

現在京都には祇園甲部(ぎおんこうぶ)・先斗町(ぽんとちょう)・宮川町(みやがわちょう)・上七軒(かみしちけん)・祇園東(ぎおんひがし)のいわゆる「五花街」が現存しており、それぞれが専用の歌舞練場を持っています。

そして各花街は春と秋にそれぞれの歌舞練場を舞台に舞踊公演を行っており(祇園東のみ秋だけの公演)、芸妓・舞妓たちにとってはお茶屋や料亭・旅館などでのお座敷接待以外の主要な活動の一つとなっています。
またその他にも五花街の合同公演として6月下旬に行われる「都の賑い」も主要な舞踊公演の一つです。

ちなみにこれらの舞踊公演以外にも古くより花街に伝わる伝統行事がいくつかあり、五花街に共通したものとしては、正装の黒紋付に縁起物の稲穂のかんざしをつけて新年の挨拶を行う1月7日の「始業式(しぎょうしき)」(上七軒のみ1月9日)や、日頃お世話になっている師匠やお茶屋に感謝の気持ちを伝える8月1日の「八朔(はっさく)」、12月初旬の南座の歌舞伎の顔見世興行に芸舞妓が揃って観劇する「顔見世総見(かおみせそうけん)」、そして一年のお礼と新年に向けた挨拶をする12月13日の「事始め(ことはじめ)」は有名です。

その他にも祇園祭の花傘巡行や時代祭などの京都を代表する行事のみならず、各花街独自に参加する伝統行事も多数あり、また近年はメディアへの露出や京都市などが開催する各種イベントなどに参加する機会も増えるなど、京都の観光のシンボルとして重要な役割を果たしています。

祇園の花街は江戸初期に八坂神社の門前で営業された水茶屋がはじまりとされ、八坂神社、清水寺への参拝客を相手とした「茶屋」とそこで働く「茶点て女」が起源とされています。

後に行政からも花街として公認されることとなり、その際に団子をモチーフにした紋章が作られ、現在も祇園甲部と祇園東の紋章として使われています。

江戸末期にはお茶屋が500軒、芸妓、舞妓、娼妓合わせて1000人以上いたといい、文人や政治家等に愛され大いに繁栄しました。

このように元々は八坂神社の門前町として江戸時代から栄えてきた祇園の花街でしたが、1881年(明治14年)に京都府第3代・北垣知事の命で祇園の花街は「甲部」と「乙部」の二つに分けられ、現在の祇園甲部から分離独立する形で新たな花街が誕生することになります。

この点、祇園東のエリアである祇園甲部の北側、現在の祇園会館西の一帯は、江戸時代には近江国(滋賀県)の膳所(ぜぜ)藩の京屋敷があった場所で、1870年(明治3年)にその屋敷が取り払われると、多くの茶屋ができて営業を開始し、地元では「膳所裏(ぜぜうら)」と呼ばれていました。

この膳所藩の広大な屋敷近辺とその屋敷跡地一帯のお茶屋が花街と指定され、当初は「祇園乙部」と称していましたが、政治家や文人たちの利用も多く、戦後の1949年(昭和24年)には祇園「東新地」と改称され、更に1955年(昭和30年)頃からは「祗園東」と呼ばれるようになり現在に至っています。

舞踊の流派は篠塚流、井上流を経て現在は「藤間流」で、毎年秋に10日間に渡って「祇園をどり」を開催することで知られていますが、祇園甲部の「都をどり」、先斗町の「鴨川をどり」、宮川町の「京おどり」、上七軒の「北野をどり」と、他の花街のメインの踊りがいずれも春開催なのに対し、京都の花街の中で唯一秋の11月開催となっています。

1952年(昭和27年)の初演から「祇園会館」を舞台に演じられ、「藤間流」の振付による華やかで華麗な舞台内容が特徴的であり、最後には恒例の「祇園東小唄」が芸妓・舞妓総出で披露されます。

この他にも6月に開催されるおおきに財団主催の五花街合同公演「都の賑い」をはじめ、様々な行事やイベントで活躍しており、中でも2月節分の八坂神社での豆撒きや4月の平安神宮の神賑行事での奉納舞、祇園祭の花傘巡行などが知られています。

一帯は近年は飲食店やスナックのビルも多く建ち並ぶエリアですが、その谷間で12軒のお茶屋が営業を続けており、開発により古い町並みが失われつつあるものの、火伏の神「観亀(かんき)稲荷神社」や京都で最古の癒し所といわれる「日吉堂」などのある趣のある通りなども残されています。

中でも観亀神社は祇園東においては氏神として厚く信仰されており、2月には「二の午祭」、5月には「例祭(大祭)」、11月には「お火焚き祭」が行われ、祇園東の芸舞妓も参加するといいます。

祇園東(祇園をどり)の施設案内

 

関連施設

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    祇園東お茶屋組合

     

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    祇園会館

     

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    観亀神社(観亀稲荷神社)

     

お茶屋

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    岡とめ

     

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    叶家

     

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    栄政

     

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    繁の家

     

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    田中菜美

     

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    富菊

     

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    中勇

     

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    福家

     

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    まん

     

周辺

その他の花街

祇園東(祇園をどり)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/7
始業式(しぎょうしき)

五花街で行われる新年を祝う伝統行事で、芸妓・舞妓たちのほか、花街関係者やお茶屋、置屋の女将(おかみ)らが一同に集まって行われる
祇園甲部は八坂女紅場、先斗町は鴨川学園、宮川町は東山女子学園、祇園東はお茶屋組合の2階でそれぞれ1月7日、上七軒のみ上七軒歌舞練場で1月9日の開催
主役の芸妓・舞妓たちは黒紋付三本襟足の正装で出席し、花簪(はなかんざし)の代わりに正月用の縁起物の「稲穂」のかんざしを身に着けるのがならわし
関係者と「おめでとうさんどす」と挨拶を交わし、その年の精進を誓うほか、前年の売上成績の良いお茶屋や芸妓・舞妓の表彰式も行われ、最後の締めには新年を寿ぐ舞の奉納も
始業式の開始前に凛とした姿で会場へと向かう姿や、終了後に各お茶屋などへ挨拶回りに向かう姿は年始の風物詩となっており、ともに多くのカメラを携えたギャラリーが詰めかける

2/3
八坂神社節分祭奉納舞踊(やさかじんじゃせつぶんさいほうのうぶよう)

「節分祭」は古来より陰陽道では季節の変わり目である節分は陰と陽が対立し生まれた邪鬼が災難をもたらすと伝えられており、これを追い払い一年間の無病息災や五穀豊穣を祈願して行われる行事
八坂神社境内の舞殿(ぶでん)にて、祇園の四花街の芸舞妓による華やかな舞踊奉納と福豆撒き(ふくまめまき)が見どころで、境内に鬼はいないとの前提で掛け声は「福は内」だけなのも特徴の一つ
祇園東の担当は2月3日の「節分祭当日」の15:00から

2/3
節分お化け(せつぶんおばけ)

「節分お化け」とは、節分の日に仮装など普段と異なる姿に扮することで鬼を化かし、驚かして追い払う風習
平安時代にまで遡るとされている行事といわれ、節分の厄払いといえば現在では豆まきなどの追儺儀式が有名だが、京都では江戸時代から昭和初期にかけ町内を中心に盛んに行われていたという
戦後廃れてしまい、一時は花街で芸妓・舞妓が行なう行事としてのみ知られていたが、近年再び節分おばけの行事を盛り上げようという動きもみられる
花街では節分の前後3日間のみ普段の芸舞妓の格好とは違った扮装をしてお座敷を回ることが許されているらしく、お座敷でも普段とは違う特別な芸を披露したり、またお茶屋も色々な趣向を凝らしたお化けイベントを開催している
節分の夜の花街周辺では、運が良ければ仮装をした「お化け」姿の芸舞妓を目撃することができるという

3月初~3月中
京都・東山花灯路(ひがしやまはなとうろ)

京都の夜の新たな風物詩となることを目指して、2003年(平成15年3月)から始められた「灯り」をテーマに始められたイベントで、北は青蓮院から知恩院、円山公園、八坂神社、高台寺を通り、二年坂や産寧坂を経て南は清水寺に至る約4.6kmの路地を行灯で照らす
その他にも公園や普段は夜間拝観は行っていない周辺の寺社などでもライトアップや様々な行事・イベントが開催される
花街からは祇園甲部・先斗町・宮川町・上七軒・祇園東が日替わりで八坂神社にて舞を披露する

4/16
平安神宮例祭 神賑奉納舞踊(へいあんじんぐうれいさい しんしんほうのうぶよう)

平安神宮の4月15日の「例祭」の翌日の「例祭翌日祭(れいさいよくじつさい)」では、例祭斎行を奉祝して10:00より各付属団体の会員らが参列し「神饌講・澄心会・献花会・献茶講大祭」が盛大に行われる
併せて12:00から大極殿前の特設舞台にて、は包丁式や神楽舞、舞楽、各花街の舞妓による舞踊などが華やかに上演される「神賑行事(しんしんぎょうじ)」が開催される

5月上
観亀稲荷神社例祭 宵宮祭

祗園東の花街の氏神である観亀神社(観亀稲荷神社)の例大祭前日の夜に開催される
18:30~22:00頃まで、ビールカウンター、ゲームコーナー、ミニ福袋販売、神社内お茶席などで芸舞妓が接待するほか、提灯行列も行われる
翌日の例大祭にも芸舞妓が神事に参加する

6月下
都の賑い(みやこのにぎわい)

6月に南座で開催される祇園甲部・先斗町・宮川町・上七軒・祇園東の五花街の合同伝統芸能特別公演
1994年(平成6年)から毎年行われ、各花街の芸舞妓約80名がが一堂に会し、夢のような舞台を繰り広げる京都の初夏の風物詩
五花街がそれぞれに趣向を凝らした演目を披露した後、呼び物の合同演目「舞妓の賑い」では五花街から各4人ずつ、総勢20人の舞妓が勢揃いし、華麗な舞を披露する
開催期間中の夕方からは京都市内の京料理の老舗料亭5店舗やホテルを会場に花街ごとのお座敷が設けられ、芸妓・舞妓のおもてなしによる宴が楽しめる「五花街の夕べ」も開催される

7/24
祇園祭 花笠巡行奉納舞(ぎおんまつり はながさじゅんこうほうのうまい)

「花傘巡行(はながさじゅんこう)」は元々は「祇園祭」の7月24日の「後祭」が1966(昭和41年)に7月17日に合流したことで行事が喪失したのを受けて開催されるようになったものだが、2014年(平成26年)に後祭が復活した後も引き続き行われている
芸能的色彩の濃い巡行行列となっており、花街からも上七軒を除く祇園の4つの花街の芸舞妓が、毎年2花街ずつ隔年で参加している
巡行行列は10:00に八坂神社をスタートし、市内を練り歩いた後に八坂神社に帰着、到着後の12:00頃より舞殿にて久世六斎や祇園獅子舞など、数々の舞踊、芸能が奉納されるが、その一つとして芸舞妓による「花笠巡行奉納舞」も行われる
演目は祇園甲部は民話「舌切り雀」を題材にした「すずめ踊り」、先斗町は「歌舞伎踊り」、宮川町は「コンチキ音頭」、祇園東は「小町踊り」で、年により担当の花街が変わる

7月下
ゆかた会

舞以外にも日頃から稽古を積み重ねている長唄三味線や鼓、笛やお囃子などの発表会で、お揃いの浴衣姿で日頃の稽古の成果を師匠や馴染みの客に披露する夏の風物詩

8/1
八朔(はっさく)

「八朔」とは、旧暦8月1日すなわち「八月朔日」を略した言葉で、古来より恩義のある人に贈り物をする風習があった
例えば農家においては、旧暦の8月頃になると早稲の穂(田の実)が実るため、その「田の実」を日頃「頼み」ごとをしてお世話になっている貴人恩人に送る風習が古くからあったといい
また江戸幕府においては、1590年(天正18年)8月1日が徳川家康が初めて江戸城に入城した日で、正月に次ぐ祝日としていたという
花街ではこの風習が今も残っており、毎年新暦の8月1日に行われる伝統行事で、舞妓・芸妓たちが日頃から芸事でお世話になっているお茶屋や師匠に、感謝の思いを伝える姿は夏の風物詩として定着している
祇園甲部のみ黒紋付三本襟足の正装で行われる

10/22
時代祭(じだいまつり)参加

「時代祭」は平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、1895年(明治28年)に初開催
明治維新により著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として平安神宮が創建され、町おこしにかける人々の熱意の象徴として創始された
祇園祭・葵祭とともに京都三大祭の一つに数えられ、京都全市域からなる全11社の市民組織「平安講社」の運営により毎年平安遷都の日である10月22日に開催される
「時代風俗行列」は12:00より山国隊の奏する笛、太鼓の音色を先頭に行列は京都御所の建礼門前を出発、行列は8つの時代を20に分けられ約2000人が参加し、京の街を練り歩く
京をゆかりに活躍した歴史上の人物に扮した行列が、明治維新から平安京の造営された延暦寺代へと古い時代にさかのぼって登場し、最後に御鳳輦の神幸列、そして弓箭組列が続いていく
綿密な時代考証の下、京都の伝統工芸技術の粋を集めて復元された1万2000点にもおよぶ調度、衣裳、祭具も見どころ
このうち各花街(京都花街組合連合会)の芸舞妓が年交代で行列に参加するのは清少納言や紫式部、小野小町、常盤御前にが女性で唯一馬にまたがる巴御前などが登場する「平安時代婦人列」や「江戸時代婦人列」「中世婦人列」

11/1~11/10
祇園をどり

花街のをどりで唯一の秋開催で、芸舞妓たちが日頃の稽古の成果を披露する晴れの舞台
1949年(昭和24年)に「祇園乙部」から「祇園東新地」に名を改めてほどなく、1952年(昭和27年)に上演したのが始まりといわれ、以降毎年11月に祇園会館にて開催されている
「藤間流」の振付による華やかな舞台が披露された後、フィナーレは芸舞妓たちがが総出で華麗に舞う「祇園東小唄」で締めくくられる
開演前にお茶席が楽しめるお茶券付観覧券も販売

11/23
祇園小唄祭(ぎおんこうたさい)

五花街の舞妓が年交代で行事に参加する
「祇園小唄(ぎおんこうた)」は「月はおぼろに東山」の歌詞ではじまる昭和の名曲(作曲は佐々紅華(さっさこうか 1886-1961)で、祇園をこよなく愛したという作家・長田幹彦(ながたみきひこ 1887-1964)の150万部の大ベストセラー小説「祇園夜話(ぎおんやわ)」を映画化した1930年(昭和5年)の「祇園小唄絵日傘(ぎおんこうたえひがさ)」の主題歌として大流行した
そして京舞井上流四世・井上八千代が振り付けをした花街を代表する舞踊曲でもあり、舞妓にとっては修行期間にあたる「仕込み」の頃より毎日のように舞う曲だという
「祇園小唄祭」は2002年(平成14年)より始められたこの曲を顕彰する行事で、毎年11月23日の勤労感謝の日に開催
八坂神社の隣にある円山公園の有名な祇園枝垂桜のそばにある瓢箪池の畔に建てられた歌碑「祇園小唄の碑」の前で舞妓2人が歌詞を朗読、献花を行い、この曲に対して感謝の気持ちを捧げる

12月初
南座顔見世総見(みなみざかおみせそうけん)

五花街の芸妓・舞妓が舞や芸事の上達につながるようにと、勉強のため南座の歌舞伎「吉例顔見世(きちれいかおみせ)興行」を観劇する恒例行事
各花街ごとに1日ずつ全員揃って出かけ、芸妓・舞妓は舞台に向かって両脇にある1階の桟敷席、師匠やお茶屋の女将ら花街の関係者は観客席にて観劇
舞妓がこの時に挿す花簪(はなかんざし)は餅花に南座正面に掲げられる「まねき」を模したものが2つ付けられ、幕間に役者の楽屋を訪ね、無地の「まねき」に贔屓の歌舞伎役者の名前を立役は墨で女形は朱で直筆してもらうのが習わしとなっており、12月いっぱい使用される
東西人気役者の競演に花を添える年末の風物詩の一つで、この日を狙って席の予約を取る客も多いほか、南座前はその姿を撮影しようとするカメラマンや観光客などで溢れ返る
ちなみに「顔見世」は毎年11月30日から12月26日まで南座で行われる歌舞伎の興行で、「まねき」は劇場に隙間なく客に入ってもらいたいとの願いを込め、長さ1間・幅1尺・厚さ1寸(約180cm×約30cm×約3cm)のまねき板に「勘亭流(かんていりゅう)」と呼ばれる線は太く、角をつけず丸みを帯びた独特の書体を使って、隙間を埋めるように役者の名前を書いていく(11月に京都の妙傳寺でまねき書きが行われる)

12/13
事始め(ことはじめ)

五花街で年末の12月13日に行われる伝統行事で、芸妓・舞妓たちが1年の締めくくりとして日頃お世話になっているお茶屋やお店、お稽古ごとの師匠などに出向き、一年のお礼と新年に向けた挨拶をする
「事始め」の12月13日はすす払いや餅つきをして正月準備にかかる日とされるが、これは江戸時代に朝廷や幕府の年中行事「すす払い」として始まったとされる風習で、この日をもって正月の準備に入る
花街ではお世話になっている舞の師匠に鏡餅を納め「おめでとうさんどす、相変わりませずおたのもうします」と挨拶し、師匠は祝儀の舞扇(まいおうぎ)を手渡し「おきばりやしたね、来年もおきばりやす」と一年の労をねぎらう光景が年末の風物詩となっている
中でも祇園甲部において芸舞妓たちが京舞井上流の家元・井上八千代宅を訪れる姿は、毎年マスコミ報道などでも採り上げられるなどよく知られている
ちなみに事始めが終わると年末にかけては「おことうさんどす」と挨拶を交わすようになるが、これは元々は「お事多さん」、つまり「事が多い」「お忙しいことですね」という意味で、迎春準備に忙しい中で気を遣う意味合いが込められているという

毎日・月並行事

月ごと
花簪(はなかんざし)

舞妓の挿す簪(かんざし)は季節を彩るシンボルとして、月替わりで変更されるのが習わしとなっており、特に草花にちなんだものが多いことから「花かんざし」と呼ばれている
職人の手作業により丁寧に作り上げられ、細やかな細工に特徴のある京都独特の伝統工芸品

1月 寒菊に「松竹梅」
2月 「梅」
3月 「菜の花」
4月 「桜」
5月 「藤」または「あやめ」
6月 「柳と撫子(なでしこ)」または「紫陽花(あじさい)」
7月 「団扇(うちわ)」
8月 「薄(すすき)」または「朝顔」
9月 「桔梗(ききょう)」
10月 「菊」
11月 「紅葉」または「銀杏(いちょう)」
12月 餅花に「南座の歌舞伎の顔見世興行のまねき」

ちなみに12月の「顔見世のまねき」には、総見の前に役者の楽屋を訪ね、無地の「まねき」に贔屓の歌舞伎役者の名前を直接書き入れてもらうという
また正月の「始業式」では根元に鳩の付いた「稲穂」のかんざしを芸妓は左、舞妓は右に、祇園祭では白銀の「梵天(ぼんてん)」と呼ばれる飾りが加えられる

祇園東(祇園をどり)のギャラリー


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