高雲寺
惟喬親王の高雲宮址を寺に、「雲ケ畑松上げ」でも有名
臨済宗永源寺派。文徳天皇と右大臣藤原良房の娘明子との間に第四皇子が誕生すると、第一皇子にもかかわらず皇位継承から外された悲運の皇子・惟喬親王が晩年隠棲した高雲の宮を869年に出家の際寺院に。 毎年8月24日夜に火除けと五穀豊穣を祈願する献火行事「雲ケ畑松上げ」を出谷町の福蔵院と共に開催
高雲寺とは?(基本データ)
- 名前
- 高雲寺(こううんじ)
- エリア
- 北山三村
- ジャンル
- 建立・設立
- 850年(嘉祥3年)、文徳天皇と右大臣・藤原良房の娘・明子との間に第四皇子惟仁親王(後の清和天皇)が誕生、ほどなく惟仁親王が皇太子に指名され、第一皇子であった惟喬親王は都を去り郊外の洛北・左京区小野に隠棲(のち各地を転々)
869年(貞観11年)、晩年隠棲した雲ケ畑の地で仏門に帰依し出家、高雲の宮を改め「高雲寺」を創建 - 創始者
- 文徳天皇第1皇子・惟高親王(これたかしんのう)
- 宗派
- 臨済宗永源寺派
- 山号
- 九龍山(くりゅうざん)
- 本尊
- 釈迦牟尼
- 寺紋
- アクセス
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒603-8863
京都府京都市北区雲ケ畑中畑町190 - 電話
- 075-406-2176
075-406-2001(北区役所雲ケ畑出張所) - FAX
- -
- 公式サイト
- 雲ヶ畑松上げ 雲ヶ畑保勝会
高雲寺の地図
高雲寺のみどころ (Point in Check)
京都市北区雲ケ畑中畑町、京都北部の雲ケ畑に3つある寺院の一つで、臨済宗永源寺派の寺院。
山号は九龍山(くりゅうざん)、本尊は釈迦牟尼。
平安前期の850年(嘉祥3年)、第55代・文徳天皇(もんとくてんのう 826-58)と右大臣・藤原良房(ふじわらのよしふさ 804-72)の娘・藤原明子(ふじわらのめいし 829-900)との間に第4皇子・惟仁親王(これひとしんのう 850-81)(後の第56代・清和天皇)が誕生。
するとほどなくして惟仁親王が皇太子に指名され、第1皇子にもかかわらず皇位継承から外された悲運の皇子・惟喬親王(これたかしんのう 844-97)は都を去り、郊外の洛北・左京区小野に隠棲した後、山崎、水無瀬など各地を転々とします。
そして晩年は雲ケ畑の地に「高雲の宮(こううんのみや)」を建てて隠棲しますが、869年(貞観11年)、親王は仏門に帰依し出家。
その際に高雲の宮を寺院に改め「高雲寺」としたのがはじまり。
創建当時は真言宗の祈祷所として栄え、祈祷を行う際には村役人をはじめ里人が集まって謡曲の「田村」を奉納したり、寺に柩を近づけないなどの風習があったと伝えられています。
その後、江戸後期の文政年間(1818-30)に近江国永源寺(現在の滋賀県東近江市)の末寺となり、臨済宗に転じました。
寺に伝わる寺宝としては惟高親王が書写したといわれる大般若経「惟高般若(これたかはんにゃ)」六百巻のほか、近郷の人々がこれを拝むとすぐに病が治ったと伝わる「大般若経説相図」や貞観時代(859-77)作の薬師如来像、山越如来像などがあるといいます。
また行事としては当寺のある中畑町および出谷町において、毎年8月24日夜に出谷町の福蔵院と共に開催する愛宕山への献火行事「雲ケ畑松上げ」が有名で、1983年(昭和58年)に「京都市無形民俗文化財」にも登録されています。
高雲寺の施設案内
境内
-
-
門前寺号標
銭をモチーフにしているのが印象的
-
-
-
駒札
-
-
-
参道石段
-
-
-
地蔵
参道突き当たりにあり、右が本堂への石段、左が墓地への木橋
-
-
-
墓地への木橋
-
-
-
本堂への石段
-
-
-
本堂
-
-
-
句碑
「親王へ 火の文字今も 里の盆 香澄」と刻まれている
-
周辺
高雲寺の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/11
ご祈祷 大般若会
大般若経全200巻を転読
- 3月春分
春彼岸施餓鬼(春のお彼岸祭)
- 8/24
雲ケ畑松上げ
もとは惟喬親王を慰めるための行事であったとい、現在は盆の精霊送りと同時に愛宕明神に火災予防と五穀豊穣を祈願する行事
福蔵院境内(出谷町)と高雲寺境内(中畑町)の2か所で4m四方ほどの櫓が組まれ、20時頃より文字の形に組んだ松明に点火
点火される文字は毎年異なり、準備一切を任される16歳から35歳までの地元住民で構成される「若中会」を除いては、点火されるまで秘密にされている
1983年(昭和58年)に「京都市無形民俗文化財」に登録