乙女神社
お参りすると美女が授かる天女の羽衣伝説ゆかりの神社
京丹後七姫伝説の一つ、天女の羽衣伝説ゆかりの神社。 峰山町西部の国道312号から南へ約2km入った所、日本最古、羽衣伝説発祥の地とされる磯砂山の麓に鎮座。 主人公である天女のもうけた3人の娘の一人豊宇賀能賣神を祀り、お参りすると美女が授かると伝わる。秋は門前の天女の里とともに紅葉の名所
乙女神社とは?(基本データ)
- 名前
- 乙女神社(おとめじんじゃ)
- エリア
- 京丹後
- ジャンル
- 建立・設立
- 創建年代不詳
- 祭神
- 豊宇賀能賣神(とようけびめのかみ)
- ご利益
- 子宝・安産、夫婦和合、家内安全
- 例祭
- 神紋・社紋
- 札所等
- 京丹後七姫めぐり(羽衣天女)
- アクセス
- 駐車場
- 20台(無料)
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒627-0053
京都府京丹後市峰山町鱒留蛭子堂433 - 電話
- 0772-69-0450(京丹後市観光振興課)
- FAX
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- 公式サイト
- 羽衣ステーション 峰山町観光協会
天女の里交流施設
磯砂山 京都府観光ガイド
磯砂山周辺 山陰海岸ジオパーク
京丹後七姫伝説 京丹後市観光協会
京丹後七姫めぐり 京都府観光ガイド
丹後七姫劇団
乙女神社の地図
乙女神社のみどころ (Point in Check)
京都府京丹後市峰山町鱒留蛭子堂、峰山町西部の国道312号から南へ約2km入った所、日本最古、羽衣伝説発祥の地とされる磯砂山の麓に鎮座する神社。
この点、京丹後市峰山地域には、古くから語り継がれる二つの羽衣伝説があることで知られています。
まず1つ目は、羽衣を隠された天女が老夫婦の娘となり、酒造で里が豊かになるという話で、「丹後風土記」に記述のある文字として残された日本最古の羽衣伝説で、謡曲「羽衣」はこの丹後のお話をもとにして作られたといわれています。
そしてそれとは別にもう1つこの地元に伝わっているのが、天女と狩人・三右衛門(さんねも)によるエピソードです。
昔、比治(ひじ)の里に三右衛門という狩人が住んでいて、ある日、磯砂山(いさなご山)の頂の池で水浴びをする8人の天女を見かけ、その羽衣の一つを隠したといいます。
羽衣を隠された天女は天に帰ることを諦めて三右衛門の妻となり、二人の間には三人の美しい娘が誕生、また天女は農業や養蚕、機織りや酒造りが上手で家はもとより比治の里はたいそう豊かになったといいます。
しかし天恋しさに堪え切れなくなった天女は三右衛門の留守中に隠された羽衣を見つけ出し、「七日七日に会いましょう」と再会を約して大空へと舞い上がっていったといいます。
その際に当初は7日ごとに会うという約束をしようとしたところが、天邪鬼が狩人には7月7日に会おうと伝えたため、年に1度しか会えなくなったという、牽牛と織姫のお話、すなわち七夕祭とも結びつく話で、娘を残して天に帰ってしまった天女は毎年7月7日の夜に星となって三右衛門と三人の娘に会いにやってくるそうです。
当社の詳しい創建の経緯は不明ですが、その「天女の羽衣伝説」ゆかりの神社であり、天女のもうけた3人の娘の一人である豊宇賀能賣神(とようけびめのかみ)を祭神として祀っており、お参りすると美女が授かるといわれています。
そして現在は静御前や小野小町、細川ガラシャや乙姫など、京丹後に語り継がれる7人の美女にまつわる伝説の地をめぐる「京丹後七姫めぐり」の一つとしても知られています。
また天女が舞い降りたとされる「磯砂山(いさなごさん)」は標高661mの山で、天女が水浴びをしたという「女池」が中腹にあるほか、羽衣天女のモニュメントのある頂上からは大江山や天橋立まで見渡せるといいます。
また山の麓、神社の向かいにある自然体験施設「天女の里」はキャンプサイトやロッジ、研修施設などを備えるとともに鱒釣り体験などもでき、子供や家族連れで楽しいひと時を過ごすことができます。
秋は門前の天女の里とともに紅葉の名所で、神社周辺には35本、天女の里のもみじの森には100本以上の楓が植えられており、11月中旬には「もみじ祭り」も開催されるといいます。
乙女神社の施設案内
境内
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門前石段
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「羽衣伝説と乙女神社」の説明版
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鳥居
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社号標
鳥居の左
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手水鉢
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本殿
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吉野神社
本殿の左
大山祇神、火産霊命
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八柱神社
本殿の右
豊受大神、御伴神
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周辺
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女池
磯砂山中腹にある
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磯砂山
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羽衣天女のモニュメント
磯砂山山頂にある
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関連
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多久神社
京丹後市峰山町丹波涌田山
真井伝説による天女・豊宇賀能咩命(とようかのめのみこと)を祭神とする
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奈具神社
京丹後市弥栄町船木
比治の里を追われた天女が行きついた先で、この村を安住の地としたという
そして後に村人たちによって豊宇賀能咩命(とようかのめのみこと)として祀られたとされる
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