涌出宮(和伎神社) 京都観光

涌出宮(和伎神社)

涌出宮(和伎神社)

 

 

涌出宮(和伎神社)とは?(基本データ)

名前
涌出宮(和伎神社)(わきでのみや(わきにいますあめのふきめじんじゃ))
エリア
木津川
ジャンル

寺社

正式名
和伎座天乃夫岐売神社(わきにいますあめのふきめじんじゃ)
建立・設立
766年(天平神護2年)
祭神
[主祭神] 天乃夫岐売命(あめのふきめのみこと)
[併祀] 田凝姫命(たこりひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、瑞津姫命(たきつひめのみこと)
ご利益
雨乞い、五穀豊穣、厄除け・病魔退散、開運招福
例祭
2月第3土日(居籠祭)
他に女座の祭り(3月春分の日)、饗応の相撲(9月最終日曜)などが知られる
神紋・社紋
下がり藤
アクセス
  • JR奈良線「棚倉」駅下車すぐ
  • 木津川市コミュニティバス(山城線)「棚倉駅」下車すぐ
駐車場
なし
拝観料
無料
お休み
無休
拝観時間
境内自由
住所
〒619-0202
京都府木津川市山城町平尾里屋敷54
電話
0774-86-2639
FAX
-
公式サイト
涌出宮の宮座行事 文化遺産オンライン

涌出宮(和伎神社)の地図

涌出宮(和伎神社)のみどころ (Point in Check)

京都府木津川市山城町平尾里屋敷、JR奈良線の棚倉駅のすぐ東に広がる鎮守の森に鎮座する神社。
正式名は「和伎座天乃夫岐売神社(わきにいますあめのふきめじんじゃ)」で、通称は「涌出宮(わきでのみや)」。
木津川市山城町の氏神で、綺田地区および平尾地区が氏子区域となっています。

一帯は「涌出宮遺跡」として古代遺跡の指定も受けている弥生時代の集落の跡で、境内からは当時使われていた石包丁などの石器や土器が数多く出土し、竪穴式住居跡も確認されているといいます。

社伝によると、奈良時代の766年(天平神護2年)、現在の三重県にあたる伊勢国渡会郡五十鈴川の舟ケ原から、天乃夫岐売命(あめのふさめのみこと)を勧請したのがはじまりとされ、主祭神の天乃夫岐売神の神名は他に見えませんが、天照大神(あまてらすおおかみ)の御魂の事を指し、畏れ多く神秘であるが故にこのように称したといいます。

その後、天照大神と素戔嗚命(すさのをのみこと)との誓約によって生まれになった神々であり、宗像三女神として知られる田凝姫命(たこりひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、瑞津姫命(たきつひめのみこと)の三神が同じく伊勢より勧請され併祀されました。

この点、神社の正式名は祭神の名から「和伎座天乃夫岐売神社(わきにいますあめのふきめじんじゃ)」といいますが、伊勢から天照大神をこの地に勧請したところ、一夜にして森が出現=涌き出して四町八反余りが神域となったことから、その神徳を称えて「涌出の森」と呼称されるようになったと伝わり、神社の名前も「涌出宮(わきでのみや)」の通称で知られています。

山城の国祈雨神十一社の一社として、昔から朝野の崇敬を集めてきた。清和天皇(859)や、宇多天皇(889)が奉幣使を立て、雨乞祈願をされたところ、霊験により降雨があったと記されている。

平安時代の927年(延長5年)にまとめられた当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧「延喜式神名帳」にも記載のある古社で、「祈雨神祭八十五座」「山城の国祈雨神十一社」の一つにも数えられているように、雨を降らせる神として朝廷からも崇敬され、清和天皇や宇多天皇も雨乞祈願の使者を遣わしたといいます。

幾度かの焼失と再建を経て、現在の本殿は江戸中期の1692年(元禄5年)の再建で、拝殿とともに京都府登録文化財に指定。

また1983年(昭和58年)4月15日にはイチイガシの古木に囲まれた「涌出の森」に鎮座する神社一帯が「和伎座天乃夫岐売神社文化財環境保全地区」として「京都府文化財環境保全地区」にも指定されています。

そして当社には近畿地方の近江・山城・大和によくみられる伝統的な氏子組織である宮座によって支えられた「宮座行事」が中世以来続いており、氏神祭祀の古風な儀礼をよく保存する典型的な例として重要であるとして、1986年に国の「重要無形民俗文化財」に指定されています。

与力座、古川座、歩射座(びしゃざ)、尾崎座、大座(おおざ)、殿屋座(とのやざ)、岡之座、中村座の8つの宮座があり、これらの氏子組織の運営によって2月の「居籠祭(いごもり祭)」、3月の「女座の祭」、9月の「あえの相撲」、10月の「百味の御食」と様々な行事が行われていますが、中でも2月に開催される「居籠祭(いごもり祭)」は天下の奇祭として有名です。

第8代・孝元天皇の皇子で、当時山城地方を任されていた武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)は第10代・祟神天皇(すじんてんのう)に対して反乱を起こして木津川で大激戦となりますが、敗れて討ち取られたといい、その記述は「古事記」にも「日本書紀」にも見られるといいます。
そしてこの反乱の後に疫病が大流行し人々を悩ませたことから、戦死者の霊を慰めるためにはじめられたのが居籠祭であり、南山城地方最古の祭りとして知られ、今の形になったのは室町時代頃と伝えられています。

その年1年の豊作を祈る農耕儀礼として毎年2月中旬に開催されており、「居籠る」とは外出を慎んで心身を清めるという意味で、かつての村人たちは居籠祭の神事の間は家に居籠って一切音を立てなかったといわれ「音無しの祭」とも呼ばれていたといいます。

祭は2日の第3土日の2日間、与力座、古川座、尾崎座、歩射座の4つの宮座により、室町期の農耕儀礼の古式に則って執り行われ、1日目には与力座による古川座、尾崎座、歩射座に対する饗応の後に大松明が燃やされ、2日目には同じく与力座による古川座、尾崎座、歩射座に対する饗応の後、お田植え祭でクライマックスを迎えます。

涌出宮(和伎神社)の施設案内

 

境内

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    一の鳥居

    JR棚倉駅の目の前、西向きに建つ石鳥居

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    社号標

    西鳥居右手前

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    駒札

     

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    参道

    一の鳥居から東へと伸びる

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    二の鳥居

    南向きに建つ朱塗りの鳥居

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    参道

    二の鳥居から北へと伸びる

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    御鎮座1200年祭神殿大改修記念碑

    四脚門の手前左

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    四脚門

    室町期の建造で木津川市の有形登録文化財

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    手水舎

    四脚門くぐってすぐ左手

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    絵馬掛

    四脚門くぐって右

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    神馬像

    絵馬掛の隣

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    社務所・神楽殿・休憩所

    神域に入って右側
    1991年(平成3年)に新築

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    居籠舎(いごもり舎)

    本殿・拝殿の前に建つ拝所

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    拝殿

    京都府登録文化財

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    本殿

    1692年(元禄5年)の再建で京都府登録文化財

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    石祠

    本殿の背後に3基が並ぶ

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    三社(熊野神社・市杵島神社・大国主神社)

    本殿右

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    天神社

    本殿右にある三社の更に右

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    稲荷社

    本殿右奥

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    春日社

    本殿左

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    三社(八幡社・日枝社・熱田社)

    本殿左

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    東口

    四脚門の前より右手にも出入口がある

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    戦没者合祠之碑

    四脚門と東口の間にある

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    南口

    二の鳥居より南にも出入口がある

周辺

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    JR棚倉駅

     

涌出宮(和伎神社)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

2月第3土日
居籠祭(いごもりまつり)

「宮座行事」の一つで、その年1年の豊作を祈る豊作祈願祭
「居籠る」とは外出を慎んで心身を清めるという意味で、かつての村人たちは居籠祭の神事の間は家に居籠って一切音を立てなかったといわれ「音無しの祭」とも呼ばれていた 第10代・祟神天皇(すじんてんのう)に対して反乱を起こして敗死した第8代・孝元天皇の皇子・武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)の霊を慰めるためにはじめられたと伝わり、南山城地方最古の祭りとして知られ、今の形になったのは室町時代頃という
与力座、古川座、尾崎座、歩射座の4つの宮座により、室町期の農耕儀礼の古式に則って執り行われ、夜店も出て賑わう
古川座は、涌出宮の祭神が伊勢よりこの地に遷座された際に神を出迎えた人々の末裔で、その警護に当たったとされているのが歩射座、祭神が遷座した際に神事を助けたのが尾崎座だという
祭は2日の第3土日の2日間にわたって行われ(以前は2/15~2/17の3日間)、1日目には与力座による古川座、尾崎座、歩射座に対する饗応の後、大松明が燃やされ、2日目には同じく与力座による古川座、尾崎座、歩射座に対する饗応の後、お田植え祭でクライマックスを迎える
なお伝説では安彦が斬首された際に首は川を越えて祝園まで飛び、胴体は棚倉に残ったと言われていて、木津川の対岸に鎮座する祝園神社(ほうそのじんじゃ)にも「いごもり祭」が伝わっており、祝園神社では安彦の首を型どった竹輪を祭に用い、他方、涌出宮では胴体を型どった大松明を燃やす

【第3土曜日】
「森まわし(もりまわし)神事」 深夜
居籠祭のはじまる前夜の未明に与力座の者2人が白装束で鈴を鳴らしながら神社近くの11か所の塚を廻り神を迎えてくる神事だが、他見をはばかる神事

「勧請縄(かんじょうなわ)奉納の儀」 午前
古川座が作った縄を奉納

「門の儀(かどのぎ)」 19:30~20:10頃
与力座の人々が烏帽子・袴に身を包み拝殿に並んだ古川座・歩射座・尾崎座の座衆に神酒や膳を配り接待する
「いたもと」の指示で給仕が行われ おかぎという榊が授与される

「大松明の儀」 20:10頃~21:00前には終了
神火で旧年の穢れを祓う儀式
伝説では安彦が斬首された際、首は川を越えて祝園まで飛び、胴体は棚倉に残ったといい、祝園神社では安彦の首を型どった竹輪を使う一方、涌出宮では胴体を型どった大松明を燃やすという
点火してしばらくすると松明の一部を門の外に出し、宮司が祝詞を奏上した後、燃え盛る炎に向けて白米などを投げ入れる「ごまいさんまい」を行う

【第3日曜日】
「七度半の使い」
与力座の一人が古川座衆の総本家に挨拶に出向く

「饗応の儀(あえのぎ)」 14:00~16:00頃
修祓・祝詞奏上・そのいちによる神楽舞・鈴祓い
前日の門の儀と同じく与力座の人々が古川座、尾崎座、歩射座の宮座の座衆を接待する

「お田植祭」 16:00頃~16:30頃
五穀豊穣を祈って種蒔きから田植えまでの稲作の作業を演じる
頭に真綿を載せた「ぼうよ」の男児、巫女の一人「そのいち」の女性、冠を着けた「とも」の女児が松の枝を苗に見立てた「松苗」を拝殿の床に植える所作をした後、松苗を座衆や祭を見に訪れた人に配る

夕刻17:00頃より勧請縄を新しいものに取り替え
翌日の深夜に「御供炊き神事」の後、御供を神社東側の四ツ塚に供える「四ツ塚神事」が行われるが、いずれも他見をはばかる神事

各日の深夜
「野塚神事」
小型の野道具(唐犂・馬鍬・鋤・鍬)を野塚に納めに行くが、他見をはばかる神事

3月春分の日
女座の祭り(おなござのまつり)

「宮座行事」の一つで、子孫繁栄や豊作を祈願して大根で作った男根の擬物(なぞらえもの)を奉納する神事
修祓・祝詞奏上の後、岡之座と中村座の女衆(現在は岡之座のみ)が大根を神前に供え、神楽の奉納、鈴祓いと続き、その後希望者には据分けがある
子授けの効有り
10:00~10:30 準備(供物等の撮影可)
10:30~11:00 神事

9月最終日曜
饗応(あえ)の相撲

「宮座行事」の一つで、大座、殿屋座、岡之座、中村座の4つの座からの代表の子供が2組に分かれて神前相撲を行い豊作を祈願する
12:00 直会
13:30頃 奉納子ども相撲
晴天時は境内、雨天時は拝殿にて行われる
以前は9/30に開催されていた

10月第3日曜
百味の御食(ひゃくみのおんじき)(秋祭り)

「宮座行事」の一つ
大座、殿屋座、岡之座、中村座の4つの座によって行われ、約20名の座衆が榊を口に咥え、地域の田畑や山で採れた果物や野菜などの百味を供物として神様に奉納し五穀豊穣に感謝する神事
以前は10/17に開催されていた

月並行事

 
 

 

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