野仏庵
野仏庵とは?(基本データ)
- 名前
- 野仏庵(のぼとけあん)
- エリア
- 一乗寺・修学院
- ジャンル
- 建立・設立
- 昭和期
- 創始者
- 上田堪一郎(上田堪庵)(うえだたんあん)
- 宗派
- 宗教法人悟心会
- 山号
- 本尊
- [不動明王堂] 一乗寺降魔不動明王
- 寺紋
- アクセス
- 駐車場
- ■詩仙堂・八大神社拝観 共通駐車場
├乗用車 約20台 1時間500円
└バス3~4台 1時間2,000円(要電話予約) - 拝観料
- 500円(抹茶・菓子付)
※団体20名以上は要予約 - お休み
- 土日祝および水曜は開庵(不定休あり)
- 拝観時間
- 9:00~16:00
- 住所
- 〒606-8145
京都府京都市左京区一乗寺葉山町15(詩仙堂前) - 電話
- 075-721-3000
- FAX
- 075-712-8828
- 公式サイト
- 宗教法人悟心会 野仏庵
野仏庵 京都を彩る建物や庭園 京都市文化市民局
野仏庵の地図
野仏庵のみどころ (Point in Check)
京都市左京区一乗寺葉山町、石山丈山が隠棲した洛北一乗寺の詩仙堂の前にある宗教法人悟心会が運営する寺院。
元々は昭和期に茶人としても知られた実業家・上田堪一郎(上田堪庵)(うえだたんいちろう(うえだたんあん) 1906-?)の別荘として使われていたもので、由緒ある住宅や茶室を移築し、好みに合わせて改修したものといいます。
上田堪一郎(上田堪庵)は京都の湯どうふ料理の老舗「順正」の創立者で、京都有数の古美術愛好家としても知られるほか、茶の湯を趣味とする風流人・数寄者として知られ、1978年(昭和53年)には茶道黌会(さどうこうかい)を設立し茶会を多く催したといいます。
また1958年(昭和33年)には江戸初期の京都における公家文化の伝統を受け継いだ数寄屋造の茶室「堪庵(たんあん)」を京都国立博物館に寄贈していて、現在も茶会等の利用に一般開放されています。
門前入口では明治・大正・昭和期に内閣総理大臣も務めるなど政治家として活躍した元老・西園寺公望(さいおんじきんもち 1849-1940)が幕末動乱の最中に国事に奔走中、新撰組の追手から難を逃れて京都府下の丹波須知村に隠棲した際の寓居に構えた長屋門を移築したという茅葺きの「正門」と門前の狛羊が参拝者を出迎えます。
そして門をくぐると高低差のある境内は木々に囲まれた回遊式の庭園のような形になっていて、その随所に京都の町家の格子によく見られる赤いベンガラ(紅殻・弁柄)の外壁が印象的な主屋や、正門同様に丹波須知村から移築された西園寺公望ゆかりの茶席「陶庵席」、日本や中国の古典に素材に幻想の世界を迫真的に描いた怪異小説「雨月物語」の作者として知られる江戸後期の文人で国学者の上田秋成(うえだあきなり 1734-1809)ゆかりの茶席「雨月席」、そして「幽扉席」といった茶室などの建物が点在し、それらを縫うように整備された細い参道のあちらこちらではその寺名の通りに百数体にも及ぶ数多くの石像や地蔵の「野仏」たちがひっそりとたたずんでいて、訪れる者の心を癒してくれます。
竹林や楓、山野草なども美しい静寂に包まれた境内では、野仏や野花を愛でつつ、時には堂内で茶菓子なども頂きながら、ゆったりと落ち着いた時間を過ごすことができ、またその一方で正門の東側に隣接する「不動明王堂」には凄まじい怒りの形相をした「降魔不動明王座像」が祀られていて、その力で諸悪や悩みの根源を焼き尽くし悩める人々を救済に導いてくれます。
野仏庵の施設案内
境内
-
-
正門
茅葺きが印象的な入口の門
幕末動乱の最中、西園寺公望が国事に奔走中、新撰組の追手から難を逃れて京都府下の丹波須知村に隠棲した際の寓居に構えた長屋門を移築したもの
また「野仏」の額は南禅寺管長・勝平宗徹の筆による
-
-
-
狛羊
正門の両脇
-
-
-
参道
主屋へと通じる石畳の道や境内には百数体の野仏が置かれているという
-
-
-
野仏
正門から入り通路を突き当たった正面に祀られている石造の野仏
拝観受付はこの右手にある石段を上がった先
-
-
-
滝不動
石段の右手
-
-
-
石段
主屋へと続く
-
-
-
茶席「陶庵席」
正門をくぐって参道を進み、主屋へと上がる石段の途中右手にある
正門同様に丹波須知村から移築された西園寺公望ゆかりの茶席
「陶庵」は西園寺公望の雅号
-
-
-
門
主屋への入口
-
-
-
主屋
京都の近郊・淀にあった庄屋の旧宅を移築したもので、全体的に田舎風に造られているのが特徴
京都の町家の格子によく見られる赤いベンガラ(紅殻・弁柄)の外壁が印象的で、「詩仙堂」の石川丈山の書や上田堪庵による富士山の絵などが飾られている
-
-
-
鐘(拝観受付)
隠れ吉利支丹
仙台伊達藩領内にあったもので1687年の銘があるという
-
-
-
庭園
東山を借景にした枯山水の庭園で、参拝者は庭を眺めながら抹茶を頂くことができる
-
-
-
茶席「雨月席」
受付から主屋の中に入って奥へ進んだ先にある主屋に付設する茶席
「雨月物語」の作者として知られる文人で国学者の上田秋成ゆかりの茶席
元々は南禅寺の西に建てられたものを、後にこちらへ移築したという
江戸中期に完成された煎茶を楽しむための茶室で、当時の名だたる高僧たちが集まり秋成とともに茶会を催したと伝わる
窓からは京都市街が一望できる
-
-
-
講堂
写経や講和のための講義棟
演壇正面には国の重要文化財である金銅山王本地仏懸仏を安置
-
-
-
石段
下っていくと野仏の待合と茶席「幽扉席」の前に出る
-
-
-
待合と野仏
待合とその隣の茅葺屋根の元茶室には境内で一番大きな野仏が祀られている
-
-
-
延段
幽扉席と待合との間にあり雲を表現しているという
-
-
-
茶席「幽扉席」
兵庫県芦屋市から移築されたもので、武者小路千家の官休庵好みの茶席が二席ある
-
-
-
「一乗寺降魔不動明王」の石標
-
-
-
不動明王堂
野仏庵の東に隣接し、高さ3.8m、横幅3.4mの一乗寺降魔不動明王が祀られている
-
関連
-
-
湯どうふ「順正」
創建者である上田堪一郎(上田堪庵)が創業した京都の湯どうふ料理の老舗料亭
江戸後期の蘭方医・新宮凉庭が開校した医学学問所「順正書院」跡にある「南禅寺本店」のほか、清水寺の門前にある「清水順正おかべ家」などの店舗がある
-
-
-
茶室「堪庵(たんあん)」
創建者である上田堪一郎(上田堪庵)が1958年(昭和33年)に京都国立博物館に寄贈した茶室
江戸初期の京都における公家文化の伝統を受け継いだ数寄屋造の茶室
-