明神川(上賀茂社家町) 京都観光

明神川(上賀茂社家町)

明神川(上賀茂社家町)

上賀茂を流れる、川に架かる社家の橋が印象的な小川

上賀茂を流れる川。賀茂川から分流し上賀茂神社境内でならの小川となり、境内を出て社家町で明神川となる。 土塀の屋敷が集まる社家町を含め一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定、川に架かる社家の橋が印象的。 川沿いにある大きな楠の藤木社は上賀茂神社の末社で明神川の守護神として信仰

明神川(上賀茂社家町)とは?(基本データ)

名前
明神川(上賀茂社家町)(みょうじんがわ(かみがもしゃけまち))
エリア
北山・上賀茂
ジャンル

伝統的景観保全地区

建立・設立
1988年(昭和63年)、一帯が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定
札所等
伝統的建造物群保存地区
アクセス
  • 京都市営地下鉄烏丸線「北大路」駅下車 徒歩約20分、車・タクシーで約5分
  • 京都市営地下鉄烏丸線「北山」駅下車 徒歩約20分、車・タクシーで約5分
  • 京都市営バス「上賀茂神社前」(4・46・67号系統)下車 徒歩約5分
  • 京都市営バス「上賀茂御薗橋」(9・37・北3号系統)下車 徒歩約10分
  • 京都バス「上賀茂神社前」(30・32・34・35・36急系統)下車 徒歩約5分
  • 京都バス「上賀茂御薗橋」(高野車庫行)下車 徒歩約10分
駐車場
上賀茂神社駐車場
├大型バス 無料
└自家用車170台分 30分毎100円(境内維持管理協力金)
拝観料
無料
お休み
なし
拝観時間
いつでも可
住所
京都府京都市北区上賀茂(山本町・池殿町・中大路町・南大路町・藤ノ木町)
電話
-
FAX
-
公式サイト
上賀茂伝統的建造物群保存地区保存計画 京都市情報館
上賀茂郷界わい景観整備地区整備計画 京都市情報館
京都市上賀茂(社家町 京都) 文化遺産オンライン

明神川(上賀茂社家町)の地図

明神川(上賀茂社家町)のみどころ (Point in Check)

明神川源流~上賀茂神社「ならの小川」

「明神川」は京都市北区上賀茂を流れる鴨川由来の全長約4.5kmの水路で、今から1300年以上前に上賀茂地域に移住してきた賀茂族が開削し、この地域に繁栄をもたらしたといいます。

賀茂川を源流として上賀茂神社境内の北端から北西に位置する上流へ900mの所にある志久呂橋の下流の「明神井堰」から取水され、「京都ゴルフ倶楽部上賀茂コース」というゴルフ場内を流れ、途中敷地内にある上賀茂神社の神館跡・御生所のそばで「御生川」となった後、上賀茂神社の境内へと向かいます。

そして境内へと流れてきた水は現在はゴルフ場となっている円山(小丸山)にある蟻ヶ池と小池からの流れが境内の直前で合流し楼門前へと流れ出てくる「御物忌川(おものいがわ)」の水と片岡橋と玉橋をくぐった先で合流し、以降は「御手洗川(みたらしがわ)」と名前を変えて橋殿(舞殿)の下を流れ、渉渓園そばの夜具橋をくぐった所で「ならの小川」と名前を変え、三ノ鳥居(奈良鳥居)前に架かる神事橋を過ぎると一気に南下し、一の鳥居のやや東側に架かる酒殿橋をくぐって境外へと出ていきます。

これらの流路のうち「御手洗川」は京都三大祭りの「葵祭」にて斎王代が禊の儀を行うほか、6月末の「夏越の祓」や年末の「大祓式」にて人形流しが行われる場所として知られています。

また「ならの小川」は「小倉百人一首」にも撰ばれている藤原家隆(1158-1237)の公家たちが人形の紙を川に投げ入れ、罪や穢れを祓い清めた夏越の祓の禊ぎの情景を思い起こさせる「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」という歌でも知られている川で、この家隆が詠んだ歌を刻んだ歌碑がならの小川の西岸に建てられています。

現在は川沿いの道を散策したり子供を連れた家族連れなどが水遊びをして楽しむなど、憩いの場として親しまれているほか、秋には紅葉が美しいことでも知られている場所です。

上賀茂社家町と「上賀茂伝統的建造物群保存地区」

賀茂神社の境内を流れ出たならの小川は、直後に流れは2つに分岐して、一つは南西へと流れて賀茂川へ、もう一つは上賀茂神社の前を東西に通る上賀茂本通(藤ノ木通)の南側を並行する形で東へと流れていき、以降は再び「明神川」の名前となります。

そしてこの上賀茂神社前から明神川に沿って東へと続く上賀茂本通(藤ノ木通)の道沿いには、室町時代から代々上賀茂神社に神官として仕えた社家(しゃけ)と呼ばれる人たちの屋敷が立ち並び、「社家町(しゃけまち)」と呼ばれる町並が形成されていることで知られています。

神職は仕える神社のすぐ側に家を構えることが多いため、特に大きな神社ともなれば数多くの神職たちの屋敷が建ち並び大規模な社家町が形成されることも珍しくはありませんが、江戸時代の上賀茂神社の社領は2500石余とかなりの広大な規模であったため、その規模は大きく275軒あったといわれています。

明治以降は世襲制が廃止されたために社家の数は徐々に減少していき、明治の終わり頃にはおよそ150となり、現在は20数軒が残るのみとなっていますが、それでも全国的には社家町がまとまって残っているのは島根県の出雲大社と奈良県の春日大社ぐらいで、上賀茂の社家町のようにまとまった規模で残されているのは全国的にみても珍しいといいます。

それに加えて上賀茂神社の社家町においては建物が上賀茂神社の本殿より高くなってはならないとされていたことから、平屋ないしは二階建ての建物までに抑えられてきたことで、整然とした美しい街並みが形成され、

更に「豕扠首(いのこさす)」と呼ばれる独特の妻飾りを持つ主屋を、上部に鳥居の貫(ぬき)に似た横木を付け鳥居に見立てた門と土塀とで囲い込み、前庭や生垣の樹木と門前を流れる明神川、そして川に連続して架かる門前の小さな橋などが独特の趣ある景観を構築しており、歴史的かつ文化的に保護する価値の高いものとして、1988年(昭和63年)に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

また伝統的建造物群保存地区の周辺地域22hが1997年(平成9年)に京都市より「界わい景観整備地区」の指定を受け、景観保全の取り組みが進められています。

このうち「上賀茂伝統的建造物群保存地区」の指定範囲は2.7haで、上賀茂神社一の鳥居の東側の三叉路から、上賀茂本通(藤ノ木通)を東へ進んだ約300m、上賀茂神社の境外末社で、明神川の守護神として信仰されてきたという樹齢500年の楠が印象的な藤木社(ふじきのやしろ)までの間までの建物が対象となっています。

対象となっている屋敷は土産物屋や料亭などの店舗や病院、そして普通の民家となっているものもあり、その多くは観光目的での見学はできませんが、一般開放を行っている社家としてよく知られているのが「西村家別邸」です。

元々は代々神社に仕えた神職の家柄である錦部家(にしごり)の邸宅でしたが、明治20年代に西陣にて織物業を営んでいた7代目・西村清三郎が別邸として購入し、現在の主屋は1904年(明治37年)に建造されたものです。

そして庭園については現存する社家庭園の中でも最も昔の面影をとどめる貴重なものとして1986年(昭和61年)6月2日に「西村家庭園」として「京都市指定名勝」に指定されています。

西村家庭園は平安後期の1181年(養和元年)に上賀茂神社の第18代神主・藤木重保が作庭したものといわれていますが、重保は千載・新古今・玉葉・風雅などの勅撰和歌集にも作品が収録されている歌人としても有名な人物で、社前で歌合わせを度々主催したほか、1182年(寿永元年)には曲水の宴を設けたことも記録に残されており、また第77代天皇である後白河法皇はことのほか賀茂社を崇敬し重保の在職中に再三にわたって行幸されたと伝えられています。

この点、社家庭園ではこの地域特有のものとして、土塀下の石垣に小さい取水口を設けて明神川の水を邸内へ引き込み、再び川に戻すという水利用形式が見られるのですが、西村家別邸においてもまさにその形式が導入されていて、他の社家庭園では池とするのがほとんどな中、当家の庭園は曲水の宴を催すために「曲水川」と呼ばれる2筋の遣水(やりみず)として利用されているのが印象的です。

そして神官はこの邸内に引き入れた水を使って禊ぎをして身を清めたといわれていて、庭園の一角には冷水を浴び身体の穢れを取り去る水垢離(みずごり)の場とされたと思われる深さ1m余りの円形のくぼみが「井戸」として残されています。

更にもう一つの特徴として上賀茂神社の御神体山である神山(こうやま)の「降臨石」をかたどったと伝えられる石組みも設置されていて、社家の庭園らしさを際立たせています。

上賀茂社家町と「上賀茂郷界わい景観整備地区」

「上賀茂伝統的建造物群保存地区」の指定範囲の外にも社家の遺構とされる建物は残されていて、そのうち「井關家住宅(井関家住宅)」「梅辻家住宅」「岩佐家住宅」の3つが京都市指定登録文化財に登録されています。

藤木社のT字路を1筋東へ進んだ角にある「井關家住宅(井関家住宅)」は代々上賀茂神社に仕えていた社家で、賀茂16流のうち「直(なお)」の流れに属する家柄で、社家住宅としての外観を整えた江戸後期の主屋に明治初期に3階建に増築されたという望楼風の建物「石水楼(せきすいろう)」が印象的。
かつて社家の家では神事などに使うため譲葉、榊、小賀玉木の3つを必ず植えていたといううちの一つである大きな「小賀玉木」も植えられており、上賀茂の社家住宅の屋構えをよく伝えている貴重な遺構です。

現在はちりめんを使った手作りの匂い袋や色鮮やかな式の花がデザインされた香袋などを販売する和雑貨屋「香舗いせき」として営業を行っています。

その東側にある「梅辻家住宅(うめつじけじゅうたく)」は1871年(明治4年)の「国家神道令」によって世襲制が廃止されるまで神主や禰宜(ねぎ)、祝(はふり)・権禰宜・権祝などの9つの社務職を独占していたという松下・森・鳥居大路・林・梅辻・富野・岡本の「賀茂七家(かもしちけ)」のうち唯一現存している屋敷で、建物は伝統的な上賀茂の社家の建物である居室部「主屋」と、確証はないものの御所の学問所を移築し加えたものであると伝えられている座敷部「書院」からなり、上賀茂の社家住宅の代表例として貴重な建物の一つで、通常非公開ですが、時期を選んで特別公開されることもあるようです。

そして藤木社のあるT字路から南へと続く南大路辻子沿いにある「岩佐家住宅」も岩佐家は代々上賀茂神社に仕えていた社家の一つで、江戸中期までに建築されたと推定される主屋のほか土蔵、表門、土塀に加え主屋の南に庭園が残されており、建物には鳥居形の玄関や供待ち、束と貫で飾る妻面の外観などに社家住宅としての特色が見られるほか、庭園も明神川の支流から水を引き込んで造られ注連縄飾りや三方飾りに使われる譲葉(ユズリハ)の植栽が社家庭園として特徴的であり、1986年(昭和61年)6月2日に「京都市指定有形文化財」および「京都市指定名勝」に指定されていますが、こちらは通常非公開となっています。

その他の社家に関連した見どころとしては、上賀茂神社の社家の生まれで江戸後期の京都の文人の代表的存在で京都歌壇を二分するほどの勢力を持ち、「雲錦亭」と呼ばれる文化サロンを主宰したの国学者で歌人の賀茂季鷹の旧居「山本家住宅」が界わい景観建造物に指定されているほか、大正から昭和期にかけて芸術家として活躍し美食家としても知られた北大路魯山人(きたおおじろさんじん 1883-1959)も実は上賀茂の社家・北大路家の出身であり、上賀茂神社の境外摂社で天然記念物のカキツバタの群生で知られる「大田神社」の社前には生誕の地であることを示す「北大路魯山人生誕地石碑」が建てられています。

最後に明神川の流れは上賀茂本通の社家町を東へと流れていく間、幾つも分岐し、かつては生活用水や農業用水、現在も「上賀茂用水路」という農業用水になって「すぐき菜」の産地としても知られる周囲の田畑を潤しています。

また主流の方は住宅地の間を更に東へ流れ、まもなく暗渠に入り、多くの分流となり、あるいは再合流したりしながら、最後は琵琶湖疏水分線に合流して終わりを迎えます。

明神川(上賀茂社家町)の施設案内

 

明神川源流・京都ゴルフ倶楽部 上賀茂コース

  • NO IMAGE
    柊野堰堤

    堰堤下の水路は明神川の水源

  • NO IMAGE
    明神井関

    上賀茂神社境内の北端から上流へ900mの所にある
    賀茂川畔に明瞭な水路が見え始めるのは、志久路橋下手の馬小屋「岸本乗馬センター」の前あたり

  • NO IMAGE
    MKボウル 上賀茂

    この南付近で賀茂と離れて上賀茂神社へ向かう

  • NO IMAGE
    葵の森橋(あおいのもりはし)

    柊野別れ北側に架かる橋

  • NO IMAGE
    金時橋

    府道61号(雲ヶ畑街道)との交差点)

  • NO IMAGE
    京都ゴルフ倶楽部 上賀茂コース横の上賀茂神社入口

     

  • NO IMAGE
    京都ゴルフ倶楽部 上賀茂コース

    明神川の流れは神館跡(こうだてあと)(みあれ野)・御生所付近で御生川と名を変えて上賀茂神社へ
    一方、場内にある丸山と小丸山の間を通る「蟻ヶ池」からの流れと、小丸山の東に位置する小池の流れは上賀茂神社の境内直前で合流し「御物忌川(おものいがわ)」となって本殿前へと流れていく

上賀茂神社境内

  • NO IMAGE
    社務所北側の参道

     

  • NO IMAGE
    社務所北側の御手洗川の流れ

     

  • NO IMAGE
    樟橋(長寿橋)

     

  • NO IMAGE
    上賀茂神社

     

  • NO IMAGE
    上賀茂神社楼門前の御物忌川との合流点

    御物忌川は神具を洗ったといわれる川で、現在はゴルフ場となっている円山(小丸山)の小池や柊野の耕地整理組合用水路から楼門前を流れる川で、楼門前の片岡橋と玉橋はこの川に架かる橋
    賀茂川から分岐し、ゴルフ場を通って上賀茂神社境内へと入ってきた御生川(明神川)の水は、御物忌川の水と楼門の西側で合流し、ここから「御手洗川」と名前が変わる

  • NO IMAGE
    禰宜橋

    橋殿の西隣に架かる

  • NO IMAGE
    橋殿(舞殿)

    建物の下を流れる

  • NO IMAGE
    祝橋

    橋殿の東隣に架かる

  • NO IMAGE
    御手洗川

    京都三大祭りの「葵祭」にて斎王代が禊の儀を行うほか、6月末の「夏越の祓」や年末の「大祓式」にて人形流しが行われる川として知られている

  • NO IMAGE
    渉渓園

     

  • NO IMAGE
    夜具橋

    この橋の先から名前が「ならの小川」となり、南へと流れていく

  • NO IMAGE
    神事橋

    三ノ鳥居(奈良鳥居)前

  • NO IMAGE
    藤原家隆の歌碑

     

  • NO IMAGE
    ならの小川

    奈良社の傍らを通るから奈良の小川、楢の木々の間を通るので楢の小川という説もあるが、現在周辺には楢の木はないという
    「ならの小川」は百人一首にも詠まれる

  • NO IMAGE
    酒殿橋

    一の鳥居東側の入口に架かり、ならの小川の流れはこの橋をくぐり上賀茂神社の境外へと流れ出ていく

  • NO IMAGE
    内川橋

    上賀茂本通に架かる
    ここで流れは2つに分岐し、一つは菖蒲園川として南西へと流れ賀茂川に合流、もう一つは明神川として上賀茂本通に並行する形で東へと流れ、社家の町並みの景観の一角を担う

  • NO IMAGE
    菖蒲園川

    上賀茂神社の境内を出て2つに分岐した流れの一つで、南西へと流れ、最後は賀茂川へと合流する
    古くは南西へ進んでから賀茂川の北側を並行する形で賀茂地区の南側を流れていたが、その部分は暗渠化されていて、賀茂川への放水路として整備された流れのみが地上からは見ることができる

  • NO IMAGE
    菖蒲園川の賀茂川流入口

     

上賀茂伝統的建造物群保存地区(社家の町並み)

  • NO IMAGE
    上賀茂本通(社家の町並み)

    上賀茂神社前ロータリーから深泥池そばの下鴨中通(鞍馬街道)にある六叉路交差点まで

  • NO IMAGE
    明神川

     

  • NO IMAGE
    池殿橋

    流れは東の社家町へ

  • NO IMAGE
    社家町space椋

    伝統建造物
    [公式]

  • NO IMAGE
    京雷堂(津田家住宅)

    伝統建造物
    土産物屋 現在の所有者は滋賀から京都へ出てきた商家の出身で神職の家系ではないが、江戸末期から建つ古い建物を一般公開している
    [公式]

  • NO IMAGE
    漬物店「なり田」

    伝統建造物
    創業1804年(文化元年)の「すぐき」で知られる老舗の京漬物・佃煮の店
    同じ年に「すぐきほ他村へ持ち出すことを禁ず」と朱書きされた御触書が出されたという
    [公式]

  • NO IMAGE
    京都産業大学上賀茂総合研究館・同窓会館

    伝統建造物

  • NO IMAGE
    旧上賀茂郵便局

    伝統建造物
    京都産業大学上賀茂総合研究館の向かい、池殿辻子の南西角
    引き戸の桟が郵便の〒マークになっている

  • NO IMAGE
    池殿辻子

    上賀茂本通の西村家別邸などがあるT字路から南へと伸びる道で、名前は周辺の地名である上賀茂池殿町から
    上賀茂本通を東西に進むと南北の道は十字に交差せずに鍵の手(いわゆるT字路)に食い違っているが、これは集落を敵から防衛するため攻められたときに一気に進めないように工夫して街づくりがされた名残りで、全国の城下町などによく見られる

  • NO IMAGE
    京料理さくらい

    伝統建造物

  • NO IMAGE
    西村家別邸

    伝統建造物
    一般開放を行っている社家としてよく知られている
    元々は代々神社に仕えた神職の家柄である錦部家(にしごり)の邸宅で、明治20年代に西陣にて織物業を営んでいた7代目・西村清三郎が別邸として購入
    現在の主屋は1904年(明治37年)の建造で、平安後期の1181年(養和元年)に上賀茂神社の第18代神主・藤木重保が作庭したものと伝わる庭園は現存する社家庭園の中でも最も昔の面影をとどめる貴重なものとして1986年(昭和61年)6月2日に「西村家庭園」として「京都市指定名勝」に指定されている
    重保は千載・新古今・玉葉・風雅などの勅撰和歌集にも作品が収録されている歌人としても有名な人物で、社前で歌合わせを度々主催したほか、1182年(寿永元年)には曲水の宴を設けたことも記録に残されているほか、後白河法皇はことのほか賀茂社を崇敬し重保の在職中に再三にわたって行幸されたと伝えられている
    庭園は敷地の中ほどにある主屋の北と南、そして南東にある奥庭の3つがあり、この地域の社家庭園特有のものとして、土塀下の石垣に小さい取水口を設けて明神川の水を邸内へ引き込み、再び川に戻すという水利用形式が見られるが、当家でもその形式が導入され、他の社家庭園では池とするのがほとんどな中、曲水の宴を催すために「曲水川」と呼ばれる2筋の遣水(やりみず)として利用しているのが大きな特徴
    その他にもこの邸内に引き入れた水を使い神官が禊ぎをして身を清めた水垢離(みずごり)の場と思われる深さ1m余りの円形の「井戸」や上賀茂神社の御神体山である神山(こうやま)の「降臨石」をかたどったと伝えられる石組みなどもある

  • NO IMAGE
    玉屋

    伝統建造物
    「玉屋かも川店」の本店
    明治中期、上賀茂神社の神職を務める社家の並ぶ通りに仕出し店として誕生し、創業者から5代
    2階には40畳のお座敷を設け、地元の方々に冠婚葬祭の会食場として利用された
    平成初期に「玉屋かも川」が完成した後も、変わらず地元民から愛されている
    [公式]

  • NO IMAGE
    中大路辻子

    上賀茂本通からT字に南へと伸びる道の一つで、名前は周辺の地名である上賀茂中大路町から

  • NO IMAGE
    上賀茂社家町食堂伊之助

    伝統建造物
    江戸期より当家代々に継承されてきた家号に由来し、当家が代々生活を営んでいたこの地にて開業する際に「上賀茂社家町食堂 伊之助」を当店の屋号として使用
    [公式]

  • NO IMAGE
    葛栖庵

    伝統建造物
    宿泊所とあるが詳細不明

  • NO IMAGE
    みつばち薬局 上賀茂店

    伝統建造物

  • NO IMAGE
    金谷歯科クリニック

    伝統建造物

  • NO IMAGE
    鈴木万堂(鈴木萬堂)

    伝統建造物
    店舗部分は対象外

  • NO IMAGE
    「上賀茂伝統的建造物群保存地区」の案内板

    藤木社の隣

  • NO IMAGE
    藤木社(ふじのきのやしろ)

    伝統建造物
    明神川が南へ折れ曲がる三叉路に位置し、保存地区の東端にある上賀茂神社の境外末社
    樹齢約500年といわれる大きな楠(クスノキ)が御神木で、2007年(平成19年)に京都市の指定保存樹となっている
    瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)を祀り、明神川の守護神として信仰されてきたという

伝統的建造物群保存地区範囲外(南大路辻子)

  • NO IMAGE
    南大路辻子

    上賀茂本通の藤木社のあるT字路から南へと伸びる道で、名前は周辺の地名である上賀茂南大路町から

  • NO IMAGE
    天下一品京都本部

     

  • NO IMAGE
    上賀茂小学校正門

     

  • NO IMAGE
    瑞雲庵(ずいうんあん)

    北区上賀茂南大路町62
    元々は両替商の邸宅だったという築約100年の木造2階建の民家を一部リノベーションしたもので、他に蔵、茶室、庭園などがある
    公益財団法人西枝財団の設立者・西枝攻の「古き良きものを後世に残していきたい」という強い想いから、次代を担う若手創造者支援を主な目的とした展示スペースとして年2回、助成事業の一環として一般解放しているという
    [公式]

  • NO IMAGE
    岩佐家住宅

    藤木社のあるT字路から南へと続く南大路辻子沿いの上賀茂南大路町の南側にある
    岩佐家は代々上賀茂神社に仕えていた社家の一つで、現在の邸宅は江戸中期までに建築されたと推定されており、主屋のほか土蔵、表門、土塀に加え主屋の南に庭園が残されている
    最も古いとされる「土蔵」は1764年(宝暦14年)の建造で、主屋は遅くとも1785年(天明5年)にはほぼ現在の間取りとなっていたという
    主屋の座敷南側の庭園は明神川の支流から水を引き込んで造られた池庭で、1782年(天明2年)には現在の庭園の原形が造られたといい、池が水垢離(みずごり)の場として造られたことを裏付けるみそぎの三宝を供えたという石が残るほか、注連縄飾りや三方飾りに使われる譲葉(ユズリハ)の植栽は社家庭園に特徴的
    上賀茂の社家住宅の成立の歴史を知る上で貴重であるとして主屋以下の建物と庭園が1986年(昭和61年)6月2日に「京都市指定有形文化財」および「京都市指定名勝」に指定されているが、内部は通常非公開
    ただ表門そばに見事な桜の木があり、見頃の時期には美しい花を咲かせているのを鑑賞することができる

伝統的建造物群保存地区範囲外(藤木社より東)

  • NO IMAGE
    井関家住宅(香舗いせき)

    藤木社が角にある上賀茂本通と南大路辻子とのT字路を東へ1筋進んだ角にある
    井関家は代々上賀茂神社に仕えていた社家で、賀茂16流のうち「直(なお)」の流れに属する家柄
    正面北寄りに鳥居型の内玄関と式台が並ぶ平屋建の「主屋」は座敷床の間の奥行が浅いなどの古式な手法がみられることから、江戸後期のものと推定
    中央の「石水楼(せきすいろう)」という望楼風の建物が印象的だが、これは明治初期に3階建に増築されたもので、石水楼からは四面が開け大文字山がよく見えるという
    この他にも主屋の後方にある1847年(弘化4年)の「土蔵」や「表門」、通りに面して「土塀」などが残り、また枯山水の庭園には石灯籠や手水鉢の前の龍の口の排水口があるほか、かつて社家の家では神事などに使うため譲葉(ゆずりは)、榊(さかき)、小賀玉木(おがたまのき)の3つを必ず植えていたといううちの一つである大きな「小賀玉木」も植えられており、上賀茂の社家住宅の屋構えをよく伝えている貴重な遺構として1988年(昭和63年)5月2日に「京都市登録有形文化財」に登録
    現在はちりめんを使った手作りの匂い袋や色鮮やかな式の花がデザインされた香袋などを販売する和雑貨屋「香舗いせき」として営業を行っている

  • NO IMAGE
    梅辻家住宅(うめつじけじゅうたく)

    藤木社が角にある上賀茂本通と南大路辻子とのT字路を東へ進んだ先にある
    賀茂社では鎌倉時代までは社務職は賀茂県主の後裔という「賀茂十六流」の家柄からのみ選ばれていたが、鎌倉期以降は松下・森・鳥居大路・林・梅辻・富野・岡本の「賀茂七家(かもしちけ)」が賀茂一族に代わって社務職を社家として代々独占、1871年(明治4年)の「国家神道令」によって世襲制が廃止されるまで続いたという
    その「賀茂七家」の屋敷うち唯一が現存しているもので、現在の主屋の建築年代は不明であるが、祈祷札に記された1838年(天保9年)頃にはほぼ現在の形になっていたものと思われる
    建物は主に伝統的な上賀茂の社家の建物である居室部の「主屋」と、確証はないものの御所の学問所を移築し加えたものであると伝えられている座敷部の「書院」からなる
    「賀茂七家」の中では現存唯一の遺構で、上賀茂の社家住宅の代表例として貴重であるとして1986年(昭和61年)6月2日に「京都市指定有形文化財」に指定

  • NO IMAGE
    大田神社前交差点

     

  • NO IMAGE
    賀茂季鷹の旧居と歌碑(山本家住宅)

    北区上賀茂竹ヶ鼻町20、大田神社前交差点を南に下がり、明神川を越えて一筋目を西に入った所にある賀茂季鷹の旧居
    賀茂季鷹(かものすえたか 1754-1841)は江戸末期の国学者で有名な歌人で、姓は山本
    上賀茂神社の社家に生まれ、有栖川宮職仁親王(ありすがわのみやよりひとしんのう)に仕えて寵遇され、和歌の手ほどきを受けた後、親王の没後に江戸にて文人墨客と交わるとともに国学を学び、20年間の遊学の後に京に戻った後は上賀茂社の神職を継ぐとともに、当地に吉野の桜と龍田の紅葉を植栽して「雲錦亭」と名付けて住むとともに文化サロンを主宰した
    和歌や狂歌に秀でた季鷹は京都の文人の代表的存在となり、後年は小沢蘆庵亡き後の京都歌壇を香川景樹と二分するほど勢力があったという
    旧居には現在も子孫の方が住んでおり、建物は京都市の界わい景観建造物に指定(界わい景観整備地区では「秋元家」として登録されている)
    「雲錦亭」は1801年(寛政13年)、「歌仙堂」は1811年(文化8年)の建造と伝わる
    2006年(平成18年)9月に設置された賀茂季鷹の歌碑があり、季鷹自筆の和歌「三芳野の よしや雲には まがふ共 雪とな散そ 山さくら花」が刻まれている

  • NO IMAGE
    やすらい踊りの石碑

    大田神社前交差点のやや南東、ここで暗渠に

  • NO IMAGE
    大田神社

     

  • NO IMAGE
    北大路魯山人生誕地石碑

     

  • NO IMAGE
    福徳社

     

  • NO IMAGE
    上賀茂郷界わい景観整備地区の標柱

    福徳社のそば

  • NO IMAGE
    岡本やすらい堂

     

  • NO IMAGE
    岡本口児童公園

     

  • NO IMAGE
    上賀茂用水路

     

明神川(上賀茂社家町)の主な年間行事・カレンダー

年中行事

2/24
上賀茂神社 幸在祭(さんやれさい)

上賀茂地域の農家で古くより行われている元服式(成人祭)
15歳の少年の氏子たちが羽織姿で太鼓を打ち鳴らしながら上賀茂神社、摂社・大田神社、田の神と山の神に元服を奉告 正午頃

5/15
上賀茂やすらい祭

 

月並行事

 
 

 

花ごよみ

 
 

 

明神川(上賀茂社家町)のレポート・旅行記

    表示する記事はありません

もっと記事を見る

明神川(上賀茂社家町)の口コミ

平均:  
 (0 件のレビュー)
口コミ投稿フォーム
1
2
3
4
5
送信する
     
キャンセル

口コミを投稿する

TOPへ

access-rank