御土居(長坂口) 京都観光

御土居(長坂口)

御土居(長坂口)

 

 

御土居とは?(基本データ)

名前
御土居(長坂口)(おどい(ながさかぐち))
エリア
紫野・鷹ヶ峯
ジャンル

城・城跡 史跡

建立・設立
天正19年(1591)、天下統一を果たした豊臣秀吉が長い戦乱で荒廃した京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁および鴨川の氾濫から市街を守る堤防として「御土居」を築き、要所に七口が設けられる
江戸時代となり天下泰平の世が続くと次第に無用のものとなり、一部を除き大半が取り壊される
1930年(昭和5年)、市内に残る御土居のうち8か所が日本の都市の発達をたどる重要な遺構として史跡指定
1965年(昭和40年)、北野天満宮境内の御土居が追加指定され9か所に
アクセス
  • 京都市営バス「鷹峯上ノ町」(6・北1号系統)下車 北へ徒歩約3分
  • 京都市営バス「土天井町」(6・北1号系統)下車 南へ徒歩約3分
駐車場
なし
拝観料
なし
お休み
特になし
拝観時間
見学自由
住所
〒603-8448
京都府京都市北区鷹峯旧土居町2(光悦堂向かい)
電話
-
FAX
-
公式サイト
史跡 御土居 京都市
御土居跡(PDF) 京都市埋蔵文化財研究所
聚楽第と御土居 京都市

御土居の地図

御土居のみどころ (Point in Check)

京都市北区・中京区・上京区などに点在する、豊臣秀吉によって作られた土塁。
外側の堀とあわせて「御土居堀」と呼ばれる場合もあります。

1590年(天正18年)に天下統一を成し遂げ天下人となった豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造計画の一環として、聚楽第の建設や、寺町、天正の地割などとともに行った政策の一つで、1591年(天正19年)に多くの経費と労力を費やして京都を囲むようにして土塁が築かれました。

この点、御土居には主に2つの目的があり、一つは外敵の来襲に備えるための防塁としての役割で「軍事防衛」の意味、もう一つは鴨川の氾濫から市街を守る堤防としての役割で「洪水対策」の目的があったといわれています。

その延長は22.5kmにも及び、東は鴨川(寺町東)、北は鷹ヶ峯・上賀茂、西は紙屋川、そして南は九条に沿う形で築かれ、土塁の内側を「洛中」、外側を「洛外」と呼び、両者を明確に区別する役割もあったといいます。

そして京都から全国へと通じる主要な街道には「京の七口」と総称される出入口が作られ、関所が設けられて出入が管理されました。
もっとも七口といっても7つしかなかった訳ではなく鞍馬口(くらまぐち)・大原口(おおはらぐち)・荒神口(こうじんぐち)・粟田口(あわたぐち)・伏見口(ふしみぐち)・東寺口(とうじぐち)・丹波口(たんばぐち)・長坂口(ながさかぐち)など、全部で10か所ほどあったといいます。

しかし江戸時代に入り天下泰平の世が訪れるとともに外敵の脅威もなくなったため次第に無用の存在となり、慶長年間(1596~1615)には一部が壊され、東辺の河原町通・寺町通沿いは早い時期から市街地へと変貌を遂げ、またその後も市街地が洛外に広がるにつれて、堤防の役割を果たしていたものなどを除いて次々と取り壊されていきました。

このため現在では北辺を中心に西辺・東辺の一部に僅かに名残りを残すのみとなっていますが、近世に入り京都の街の歴史的沿革を知る上で、また広く日本における都市の発達の過程を知るための重要な遺構として再評価され、1930年(昭和5年)、市内に残る御土居のうち保存状態の良い8か所が、国の「史跡」に指定。更に1965年(昭和40年)にもう1か所、北野天満宮境内のものが追加され、現在9か所が国の「史跡」に指定されています。

[1]中京区西ノ京中合町
[2]上京区北野馬喰町 北野天満宮境内
[3]北区平野鳥居前町
[4]北区紫野西土居町
[5]北区鷹ヶ峯旧御土居町3
[6]北区鷹ヶ峯旧御土居町2
[7]北区大宮土居町
[8]北区紫竹上目町・上堀川町の賀茂川沿い
[9]上京区寺町広小路上ル 盧山寺山内

上記の御土居は公有地のものや民有地のもの、柵で囲まれて立ち入ることもできないものや、あるいは北野天満宮や盧山寺の境内にあるなど、形態は様々で、またこれらの指定地以外にも、北区の大宮交通公園内や中京区の北野中学校内などに部分的に御土居が残っている場所もあるといいます。

このうち北区大宮土居町の御土居は通称「玄啄下の御土居」といわれ、9ヶ所の中では最もスケールが大きく状態良く残されていて、堀も深いといい、また北区鷹峯旧土居町、仏教大学の北、京都朝鮮第三初級学校の東隣にある「御土居史跡公園」は、国史跡に指定されている「御土居」上に作られた公園で、一見すると普通の公園ですが、「御土居」の上にベンチが並んでおり、御土居を体感できる貴重な場所として知られています。

御土居の施設案内

 

史跡指定の御土居

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    紫竹御土居(加茂川中学前)

    北区紫竹上目町・上堀川町
    賀茂川沿いに近い加茂川中学前付近にあり御土居の北東角にあたるという
    横の暗渠から若狭川が流れる

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    大宮御土居(玄啄下の御土居)

    北区大宮土居町
    保存状態が最も良く、250mにわたり現存している
    ただし金網で覆われ外から見学できるのみ
    南側に招善寺および大宮西野山児童公園、大宮西野山児童館

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    鷹峯御土居(長坂口)

    北区鷹ヶ峯旧御土居町2
    鷹峯街道(現在は府道31号)にある京の七口の一つ長坂口付近で御土居の北西角にあたる
    御土居餅を販売する光悦堂にて鍵を借りて見学することができる

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    鷹峯御土居(御土居史跡公園)

    北区鷹ヶ峯旧御土居町3
    公園として整備されており、土塁の頂きまで登ることができる

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    紫野御土居

    北区紫野西土居町
    住宅地の一角

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    平野御土居

    北区平野鳥居前町
    台形の土塁の上に芝が植えられ土塁の形が良く分かる史跡
    道路脇に御土居から出土した石仏が祀られている

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    北野御土居(北野天満宮境内)

    上京区北野馬喰町
    北野天満宮の境内西側で、近年は紅葉の名所としても有名
    見晴らし台やケヤキの大木などもある

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    西ノ京御土居(市五郎大明神神社)

    中京区西ノ京中合町
    土塁に接して社殿があり、御土居そのものが御神体となっている
    また鳥居が並ぶ参道が堀跡といわれている

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    盧山寺御土居(盧山寺境内)

    上京区寺町広小路上ル
    盧山寺の山内にあり、史跡指定では東側に残されている貴重な御土居
    境内墓地の東側に50mほどが残る

史跡指定外の御土居の遺構

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    大宮交通公園(平一稲荷社(平一大明神))

    北区大宮西脇台
    園内南側に土塁の一部が残り、脇には平一稲荷社(平一大明神)が祀られている

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    紙屋川北大路

    北大路通との交差付近の紙屋川沿い
    紙屋川児童公園まで地形を利用して作られた堀の遺構が残る

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    北野天満宮北門前の石仏

    北野天満宮北門向かいあたりに御土居の土塁から出土した石仏が祀られている

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    惣構土居堀(北野中学校校庭内)

    中京区西ノ京中保町
    北野神社御旅所やや北にある北野中学校内校庭付近
    史跡に指定されていないものの御土居とされる貴重な土塁が残り、堀跡はプールになっている

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    御土居の袖

    北野中学校の辺りからJR円町駅のやや南まで西側に凸状に張り出している部分のこと
    なぜ不自然な形状をしているのかは不明だという

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    豊康龍神

    下京区壬生森前
    同地には御土居があり弁財天が祀られていたという
    昭和初期に一度取り壊されたが、町内で不幸が相次ぎ、町内守護神として社が建立された

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    JR京都駅0番線のりば

    下京区東塩小路
    JR京都駅0番線のりば

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    渉成園(枳殻邸)

    印月池の中島の築山に御土居が利用されたといい、南東端にあたると考えられている

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    府立医大付属図書館の復元御土居

    さつきつつじで象られたものが河原町通沿いにある

御土居の主な年間行事・カレンダー

花ごよみ

 
梅(ウメ)

北野天満宮は梅の名所として有名だが、北野御土居内にも梅の木がある

 
桜(サクラ)

鷹峯御土居(長坂口)、鷹峯御土居(御土居史跡公園)に桜

 
皐月(サツキ)

平野御土居の石仏の背後にサツキの刈り込み

 
紅葉(こうよう)

北野御土居(北野天満宮内)は紅葉の名所として有名

御土居のレポート・旅行記

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