大徳寺 孤篷庵 京都観光

大徳寺 孤篷庵

大徳寺 孤篷庵

 

 

大徳寺 孤篷庵とは?(基本データ)

名前
大徳寺 孤篷庵(だいとくじ こほうあん)
エリア
紫野・鷹ヶ峯
ジャンル

寺社 茶室 史跡 名勝

建立・設立
1612年(慶長17年)、小堀遠州が自らの菩提寺として龍光院内に建立
1643年(寛永20年)、現在地に移設
1793年(寛政5年)、火災で全焼
1797年(寛政9年)、出雲藩主・松平不昧の援助により再建
創始者
[開基] 小堀遠州
[開山] 江月宗玩
[中興] 松江藩主・松平治郷(不昧)
宗派
臨済宗大徳寺派 大徳寺塔頭
山号
 
本尊
釈迦如来
寺紋
七宝花菱(輪違いに花菱(花輪違い))(小堀家家紋)
アクセス
  • 京都市営地下鉄烏丸線「北大路」駅下車 西へ徒歩約25分
  • 京都市営バス「船岡山」(1・12・204・205・206・北8・M1号系統)下車 徒歩約5分
  • 京都市営バス「千本北大路」(1・6・12・46・59・急101・急102・204・205・206・北8・M1号系統)下車 徒歩約6分
  • 京都市営バス「佛教大学前」(1・6・46・北1・北8号系統)下車 徒歩約2分
  • 京都市営バス「大徳寺前」(1・12・急101・急102・204・205・206・北8・M1号系統)下車 徒歩約15分
駐車場
■大徳寺駐車場
├バス20台分 2,000円
└自家用車50台分 1時間まで500円、以後30分毎100円
拝観料
大人 800円
中高校生 500円
お休み
通常非公開(特別公開あり)
拝観時間
9:30~16:00(受付終了)
住所
〒603-8231
京都府京都市北区大徳寺町66
電話
075-491-3698
FAX
-
公式サイト
孤篷庵本堂(方丈)、書院及び忘筌 文化遺産データベース
公益財団法人 小堀遠州顕彰会
遠州流茶道 綺麗さびの世界

大徳寺 孤篷庵の地図

大徳寺 孤篷庵のみどころ (Point in Check)

京都市北区大徳寺町、堀川北大路より約400m西に大伽藍を構える臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の22ある塔頭寺院の一つで、作庭家として知られる小堀遠州ゆかりの寺院。
大徳寺の寺域の最西端、他の塔頭群からはやや離れた紫野高校の北側を通る坂道を上がった中ほどに位置し、本尊は釈迦如来。

この点、小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579-1647)とは、安土桃山期から江戸初期にかけて活躍した大名で、茶人、造園家。
名は政一(まさかず)といい、号は孤篷庵。

近江国小堀村(現在の滋賀県長浜市小堀町)に在郷武士の子として生まれ、父・小堀正次(こぼりまさつぐ 1540-1604)は縁戚であったという浅井氏に仕えた後、1573年(天正元年)に浅井家が滅亡した後は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の弟・羽柴秀長の家臣となったといいます。

その後1585年(天正13年)に秀長が大和郡山城に移封されると、家老となった父・正次とともに大和郡山に移り、秀長の没後は後を嗣いだ豊臣秀保もまもなく死去したため、1595年(文禄4年)に秀吉の直参となって伏見に移り、この頃に古田織部に茶の湯を学ぶことに。

更に秀吉の没後は徳川家康に仕え、父・正次の死後は小堀家を継ぎ、備中国松山藩主を経て、近江国小室藩1万2千石を領する小堀家の初代藩主となりました。

江戸幕府においては殿舎や社寺などの築造や修繕を司る「作事奉行」を務めて建築・土木・造園の分野で活躍し、1608年(慶長13年)には駿府城作事奉行を務め、その功により諸太夫従五位下遠江守に叙せられたことから「遠州」と呼ばれるようになります。
そして1624年(寛永元年)には京都において伏見奉行にも就任しており、没するまで24年もの期間在職しました。

作事奉行として二条城や名古屋城天守、駿府城、伏見城本丸書院、「大坂夏の陣」で炎上した大坂城の再築などの造営にも関わったほか、また朝廷にも認められ桂離宮、仙洞御所などの建築・造園も手がけたといい、他にも二条城二の丸庭園の「八陣の庭」や大徳寺孤篷庵の「近江八景の庭」や南禅寺方丈の「虎の児渡し」、南禅寺金地院の「鶴亀の庭」などの庭園も遠州の手によるものです。

その一方で、遠州は陶芸などの美術工芸や書画、和歌、そして茶道や華道にも優れた才能を発揮し、当代一の文化人として後水尾天皇をはじめとする寛永文化サロンの中心人物でもありました。

とりわけ茶道の世界においては1636年(寛永13年)、品川御殿の作事奉行を務めていた時に御殿で江戸幕府第3代将軍・徳川家光に献茶したのをきっかけに、徳川将軍家の茶道指南役となり、将軍や大名に茶道を指南するようになるなど、千利休、古田織部に次ぐ茶の世界の天下人ともいえる存在であったといいます。

古田織部の門下で茶の湯を学んだ後に「遠州流」を起こし、王朝文化の理念と茶道を結びつけて武家風の中にも宮廷風の雅な意匠を持ち込み、その独特な世界観・作風は千利休を祖とする草庵風の「わび(侘)・さび(寂)」に対して幽玄・有心の「綺麗(きれい)さび」と呼ばれました。

生涯に400回あまりの茶会を開き、招かれた人々は大名・公家・旗本・町人などあらゆる階層から延べ人数は2000人にも及んだといい、遠州流の門下としては松花堂昭乗や徳川家光、沢庵宗彭、狩野守信など、各分野から錚々たる人物が名を連ねています。

初め春屋宗園(しゅんおくそうえん 1529-1611)、後に江月宗玩(こうげつそうがん 1574-1643)に参禅し、墓は当院と伏見区深草大亀谷の仏国寺にあるといいます。

「孤篷庵」は江戸初期の1612年(慶長17年)、その小堀遠州が黒田長政が創建した大徳寺塔頭・龍光院内に江月宗玩を開山に子院として建立、自らの隠棲先として小さな庵を建てたのがはじまり。

庵名は小堀遠州が師事した春屋宗園から授かった号で、開祖・江月宗玩による建立之記の最後にある「容膝安閑孤掩篷 近隣船嶽遠江東 紛々黄落布金意 一草廬中現梵宮」の「孤篷」から採られたもので、「篷」はすげや茅などをこものように編んで舟の上を覆う苫(とま)のことで、「孤篷」は水面に浮かぶただ孤舟を意味し、方丈の南前方に見える船岡山を孤舟に見立てて庵号としたものだといいます。

その後、1643年(寛永20年)に現在地に移築され、遠州の没後は遠州の兄・池田七左衛門の子で遠州の甥にあたる大徳寺第184世・江雲宗龍(こううんそうりゅう 1598-1679)が後を継ぎ、孤篷庵の開山・江月宗玩に参じて法嗣となり孤篷庵に住ました。

江戸後期の1793年(寛政5年)の火災によっていったんは焼失しましたが、遠州を崇敬する風流大名・大名茶人の島根松江藩主・松平治郷(不昧)(まつだいらはるさと(ふまい) 1751-1818)の援助によって古図に基づいて再建されており、現在の「本堂(方丈)」は1797年(寛政9年)に雲林院の客殿を移築したもの、また書院「直入軒」と茶室「忘筌(ぼうせん)」は1798年(寛政10年)に建造されたもので、いずれも国の重要文化財に指定されています。

このうち「忘筌(ぼうせん)」の席は12畳の書院式茶室で、上半分を明かり障子とし下半分を吹き抜けとするたたずまいは露地とともに優れた意匠として名高く、また茶室としては他に龍光院にある国宝の茶室「密庵」を模したという「山雲床(さんうんじょう)」の席があります。

庭園は借景庭園の「本堂前庭」と「忘筌露地庭」、枯山水庭園の「直入軒前庭(近江八景の庭)」「山雲床の庭」から構成され、いずれも遠州好みではあるものの創建時の姿をとどめているかは不明であり、わずかに「忘筌前庭」のみが当時の指図に一致することが確認されているともいいますが、1924年(大正13年)に「孤篷庵庭園」として合わせて国の史跡・名勝に指定されています。

この他にも寺宝として国宝の「井戸茶碗 (銘・喜左衛門)」や重要文化財の「大燈国師墨跡」を所蔵しており、通常非公開の寺院ですが、数年に1度の割合で特別公開が行われることがあるといいます。

大徳寺 孤篷庵の施設案内

 

境内

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    寺号標

    北大路通から今宮神社の門前へと伸びる今宮門前通りの真ん中付近、大徳寺の参道とが交差する交差点の北東角に建つ

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    坂道

    紫野高校の北側を東西に走る

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    石橋

     

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    表門(北門)

     

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    「史蹟及名勝 孤篷庵」の石標

     

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    石畳の参道

     

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    待合

     

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    庫裏

     

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    本玄関

     

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    方丈(本堂)

    現在の建物は1793年(寛政5年)の火災による焼失の後、1797年(寛政9年)に雲林院の客殿を移築したもの
    入母屋造、瓦葺の建物で、国の重要文化財に指定

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    本堂前庭(方丈南庭)

    琵琶湖の水平線を表現したという直線的な刈り込みを配した幾何学的な庭で、船岡山を舟に見立てて遠望する借景庭園
    他の庭園と合わせ1924年(大正13年)に「孤篷庵庭園」として国の史跡・名勝に指定

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    編笠門

    本堂前庭の向かって左手に見える門で、修行僧が被る竹で編んだ笠に見えることからその名が付けられた

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    茶室「忘筌(ぼうせん)」

    本堂の西奥にある書院に向かう途中、方丈(本堂)の北西に接する
    9畳と3畳の相伴席からなる12畳の書院風の茶室
    1798年(寛政10年)に焼失前の起絵図から忠実に再現し再建
    名は「荘子」の雑篇にある「魚ヲ得テ筌ヲ忘ル」という部分からで、「筌」は魚を捕る道具のことであり、魚を獲るという目的を達すれば道具の存在など忘れてしまうように、言葉もそれ自身は道具に過ぎず忘れて良いものでその意味が大事である、すなわち賢人は定まった形にはこだわらないという禅の悟りの境地を示す言葉
    障子を半分降ろして上半分を明かり障子とし、下半分は吹き放しにするという舟屋の入口のような「舟入の構成」と呼ばれるたたずまいや、水面に日差しを反射させることで室内に光を取り込むという露地の手水鉢「露結」、複数の灯籠の部材を寄せ集めて一基の灯籠とした「寄せ燈篭」などは露地とともに優れた意匠として名高い
    国の重要文化財に指定

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    忘筌露地庭

    当院の庭園はいずれも遠州好みではあるものの、創建時の姿をとどめているかは不明であり、わずかに「忘筌前庭」のみが当時の指図に一致することが確認されているという
    他の庭園と合わせ1924年(大正13年)に「孤篷庵庭園」として国の史跡・名勝に指定

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    書院「直入軒(じきにゅうけん)」

    本堂の西奥にある書院座敷で、寛政11年(1799年)の棟札があり、遠州が建てた直入軒が焼失した後、近衛家の「河原御殿」の建物を移築して書院としたとも伝わる
    遠州のプライベート空間であったといい、狩野探幽の障壁画を間近で鑑賞できる
    国の重要文化財

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    直入軒前庭(近江八景の庭)

    方丈西側にある書院南庭
    遠州63歳の時の作庭といわれ、石組みと刈込を多く用いた書院式の枯山水庭園で、赤土で水、苔で陸地を表現することで琵琶湖に見立てるなど、刈り込みを配し自然の起伏を巧みに生かし、遠州の故郷である近江国の「近江八景」の景色を表現しているといい、春はツツジや若竹、秋には萩・紅葉などの四季折々の景観が美しい
    他の庭園と合わせ1924年(大正13年)に「孤篷庵庭園」として国の史跡・名勝に指定

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    茶室「山雲床(さんうんじょう)」

    書院「直入軒」の北に接する四畳半台目の茶室
    龍光院にある遠州作になる国宝の茶室「密庵」を模したという
    違い棚や密庵床が省略されているところから、不昧が密庵を範として再構成したものと考えられている
    席名は碧巌録の「話尽山雲海月情」から採ったと伝わる

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    山雲床の庭

    飛石・植栽などで構成された露地庭
    他の庭園と合わせて国の史跡・名勝に指定

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    茶室「其心庵(ごしんあん)」

    境内北西にある茶室
    近代茶道隆昌の時運に乗って小堀家の復興を果たした11世・小堀宗明(1888-62)が営んだ

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    大圓庵(だいえんあん)

    松平不昧公ゆかりの茶室を二百回忌を前に2017年(平成29年)に復元

周辺

関連

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    仏国寺

    京都市伏見区深草大亀谷古御香町、伏見桃山城運動公園の北東、御香宮神社の御旅所の近くにある黄檗宗寺院
    小堀遠州の墓があるとされているが境内墓地に隣接した墓地にあり寺の管理外だという

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    近江孤篷庵

    滋賀県長浜市上野町にある臨済宗大徳寺派の寺院
    江戸前期の1653年(承応2年)、小堀遠州の子で小室藩第2代藩主・小堀正之(宗慶)(こぼりまさゆき(そうけい) 1620-74)が遠州の菩提を弔うため京都の大徳寺から僧・円恵(えんけい)を開山として招き創建
    遠州が大徳寺に建立した孤篷庵にちなんで「近江孤篷庵」と命名した
    江戸中期の小室藩第6代藩主・小堀政方(こぼりまさみち 1742-1803)の時代に町人一揆の代表的事例として知られる「伏見騒動」に伴って小堀家が改易されたため衰え、明治維新後も無住のままに荒廃していたが、1965年(昭和40年)に小堀定泰(こぼりじょうたい 1911-)が再建
    「遠州好み」の庭も同時に補修・整備され、庭園は現在は滋賀県の名勝に指定されている

大徳寺 孤篷庵の主な年間行事・カレンダー

年中行事

5月第2土曜
遠州忌茶会

公益財団法人小堀遠州顕彰会の主催
小堀遠州の遺徳を顕彰し開催されるもので、遠州茶道宗家家元の供茶に続き法要を営み、遠州ゆかりの茶道具を用いて釜が掛けられる
[公式]

月並行事

 
 

 

花ごよみ

 
紅葉(こうよう)

 

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