長尾天満宮
長尾天満宮とは?(基本データ)
- 名前
- 長尾天満宮(ながおてんまんぐう)
- エリア
- 山科・醍醐
- ジャンル
- 建立・設立
- 伝・949年(天暦3年)
- 創始者
- 伝・醍醐天皇
- 祭神
- 菅原道真(すがわらのみちざね)
大巳貴命(おおなむちのみこと)
素戔嗚尊(すさのおのみこと) - ご利益
- 受験合格・厄除け
- 例祭
- 11/1(例大祭)
- 神紋・社紋
- 星梅鉢紋
- アクセス
- 駐車場
- 醍醐寺駐車場
└自家用車100台分 1回700円
※車高により2,000円 - 拝観料
- 無料
- お休み
- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒601-1324
京都府京都市伏見区醍醐伽藍町21 - 電話
- 075-571-0074
- FAX
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- 公式サイト
- 長尾天満宮 醍醐の氏神 Facebook
長尾天満宮 京都を彩る建物や庭園 京都市文化市民局
長尾天満宮 iタウンページ
長尾天満宮の地図
長尾天満宮のみどころ (Point in Check)
京都市伏見区醍醐伽藍町、世界遺産にも認定されている醍醐寺・下醍醐にある金堂の北東丘陵にある神社。
祭神に学問の神様として知られる菅原道真(すがわらのみちざね 845-903)を祀る天満宮の一社で、これに加えて大国さんとして有名な大己貴命(おおなむちのみこと)と、天照大神の弟で八坂神社の祭神として有名な素戔鳴命(すさのおのみこと)の2柱が併せて祀られています。
平安中期、菅原道真が第60代・醍醐天皇(だいごてんのう 885-930)に従って長尾の地を遊覧した際、この地を気に入り自分の死後にここに墓を築きたいと醍醐寺の開祖・聖宝(しょうぼう 832-909)(理源大師)と約束。
しかし道真は903年(延喜3年)に太宰府で没したため、その没後に聖宝の弟子であった醍醐寺1世・勧賢が大宰府に使者を遣わして衣裳や遺物を持ち帰り、この地に埋めて塚を築いたと伝わっていて、現在も参道の石段を登り切った所に「菅公衣裳塚」として宝筐印塔が残されています。
その創建は道真の霊を鎮めるため醍醐天皇の勅願によって祀られたとも、醍醐天皇の没後、947年(天暦元年)に創建された北野天満宮のわずか2年後の949年(天暦3年)ともいわれています。
平安後期、源頼政は「平治の乱」で功績を立て、平清盛の推拳で従三位となり源三位頼政と称しました。
しかしその後平家に半期を翻すこととなり、1180年(治承4年)に後白河法皇の皇子・以仁王を奉じて平氏追討を企てて挙兵するも敗れ、滋賀県大津の園城寺(三井寺)から奈良へと逃れる途中、宇治の平等院で自刃しました。
「源平盛衰記」に「醍醐路に懸かりて木幡の里を伝いつつ宇治へ」と記されているように、この時に頼政が通った間道は烏橋、長尾天満宮、一言寺、日野法界寺、木幡を通り宇治に抜ける山道で、「頼政道」と呼ばれて当社の境内にはその遺構が残されているといいます。
「応仁の乱」の際には下醍醐一帯が五重塔を除いてことどとく焼失し、当社も難を免れなかったといいますが、その後1801年(寛政13年/享和元年)に再建されるも1805年(文化2年)に再び火災にかかり焼失。現在の本殿は江戸後期の1821年(文政4年)に再建されたものといいます。
また一説には1599年(慶長4年)、豊臣秀吉が醍醐天皇の遺徳を讃えるため現在の醍醐寺の金堂を紀州の満願寺より移築しようとした際、その工事中に事故が相次ぎ、菅原道真の祟りとされたことから、道真の霊を鎮めるために高台の衣装塚のそばに天満宮を創建したとも伝えられています。
古くは醍醐寺の五重塔西側の「清滝宮」とともに醍醐寺の鎮守の一つであったといいますが、現在は醍醐地区の産土神として親しまれています。
醍醐寺の仁王門の門前を左(北)へ100mほど進んだ先、醍醐寺塔頭・理性院の向かいに長尾天満宮の石標と石の鳥居があり、そこから高台に向かって参道がまっすぐに延びており、100m進むと二の鳥居、更にそこから180段の石段を登った先が神社の境内となっています。
境内は杉や檜、イロハモミジを主とした深い緑の木々に囲まれたひっそりとした境内ですが、付近の学生たちが長い石段を使ってトレーニングする姿が見られるといいます。
長尾天満宮の施設案内
境内
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一の鳥居と社号標と駒札
醍醐寺境内の北側、理性院向かい
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参道
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二の鳥居
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参道の石段
180段
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頼政道跡の石碑
石段の途中左側
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洛東用水路跡
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菅公衣裳塚と歌碑
塚は宝篋印塔で、歌碑には有名な道真の「東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」の歌が刻まれている
ここから醍醐寺の金堂が見下ろせる
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皇大神宮の鳥居と参道
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皇大神宮
天照大神・豊受大神
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境内参道
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手水舎
参道左手
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神牛
拝殿前右側
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拝殿
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社務所
拝殿左
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神輿庫
拝殿左、社務所の右隣
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絵馬掛
本殿手前左
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本殿
1821年(文政4年)の再建
三間一面檜皮葺の建物で柱や梁には胡粉下地の上に岩絵の具で彩色を施し、極彩色の文様が描かれ、脇障子には鯉の滝登りや獅子の子育てを題材とした透かし彫りの幕板がはめ込まれるなど、市内有数の装飾に富んだ造作が見られる
江戸後期の京都における装飾的な社殿建築の特徴が良く示され、また醍醐周辺地域の文化を伝える重要な建造物
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八幡社・稲荷社
本殿右側
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神饌所
本殿の左
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三社(春日社・蛭子社・住吉社)
本殿左側
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裏参道
本殿左側にある山道
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周辺
長尾天満宮の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 1/1
歳旦祭(さいたんさい)
- 1月
初詣
- 1月中
とんど祭
- 1/25
初天神
- 2/3
節分祭
- 2/25
祈念祭
- 4/3
お千度祭
- 6/25~6/30
夏越祭 御禊祓い
茅の輪くぐり
- 7/7
七夕祭(七夕まつり)
2016年から行われている
18:30~20:30
祈祷・コンサート(朗読と音楽の調べ)・御焚き上げ・紙コップ灯ろうキャンドルなどの催し- 9/1
八朔祭
- 11/1
例大祭(お旗祭)
神輿は京都でも大型の部類に入るもので、以前は108段の石段を下りて醍醐の村を巡行していたというが、現在は神輿の損傷や担ぎ手の問題まり居祭りとなっている
11/1~11/3まで神輿庫にて展示公開されるほか、奉納行事なども
11/3には子供神輿- 10~11月
七五三
- 11/23
新嘗祭
- 12/25
終い天神
- 12/31
大晦日の御禊大祓い
月並行事
- 1日・15日・25日
月次祭(つきなみさい)