伏見桃山城運動公園
キャッスルランド跡地に整備、伏見桃山城がシンボル
伏見城跡に1964年に開園した伏見桃山城キャッスルランドの閉園後2007年に跡地に整備された公園。 閉園時に取壊し予定だった伏見城の模擬天守は市民の運動によりシンボルとして残され週末夜にライトアップされるほか映画やドラマの撮影にも利用、春は桜も満開に。 その他野球場や多目的グラウンドも
伏見桃山城運動公園とは?(基本データ)
- 名前
- 伏見桃山城運動公園(ふしみももやまじょううんどうこうえん)
- エリア
- 伏見・桃山
- ジャンル
- 建立・設立
- 2007年(平成19年)4月1日、伏見桃山城キャッスルランドの跡地を公園として整備
- アクセス
- 駐車場
- ■タイムズ伏見桃山城
├自家用車186台 30分100円(当日最大料金800円)
└大型車・バス(高さ2.3m超)7台のみ 30分300円(当日最大2,400円) - 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 園内自由(模擬天守内部は非公開)
■伏見桃山城ライトアップ
└週末金土日19:00~21:00(夜間閉園のため公園内からの観賞は不可) - 住所
- 〒612-0853
京都府京都市伏見区桃山町大蔵45 - 電話
- 075-602-0605
- FAX
- -
- 公式サイト
- 伏見桃山城運動公園 京都市体育協会
伏見桃山城運動公園 京都市地域体育館・運動公園
伏見桃山城運動公園のお城について 京都市体育協会
伏見城 京都市
伏見・お城まつり
伏見・お城まつり Facebook
伏見桃山城運動公園の地図
伏見桃山城運動公園のみどころ (Point in Check)
京都府京都市伏見区桃山町古城山、京都市街の南東、伏見の地にある桃山丘陵の上、かつて戦国から江戸初期にかけてこの周辺にあったといわれる「伏見城」の跡地に整備された公園。
この点「伏見城」は1594年(文禄3年)に天下人・豊臣秀吉が隠居後の邸宅として伏見の地に築城した平山城(ひらやまじろ)で、その後天下を取った徳川家康の手によって再興された後、第3代将軍・徳川家光の時代に取り壊されました。
ちなみに秀吉時代に地震で一度倒壊ののち再建されているため、秀吉期に2回、家康期に1回の合計3回築城されています。
1度目の築城は1591年(天正19年)に、甥・豊臣秀次(ひでつぐ)に関白の地位と聚楽第を譲り太閤となり、また1592年(天正20年・文禄元年)には秀吉の生母・大政所が亡くなったこともあり、その隠居所として伏見の地に築かれました。場所は現在公園のある桃山丘陵(木幡山)の南西、宇治川にほど近い巨椋池(おぐらいけ)を臨む指月(しげつ)の森の丘陵・指月山(現在の京都市伏見区桃山町泰長老付近)とされていることから「指月城(指月山伏見城)」とも呼ばれています。
その後、1593年(文禄2年)に嫡男・捨丸(のちの豊臣秀頼)が誕生したことにより、秀頼に将来大坂城を譲ることを想定して、伏見城の大規模な改修を行うとともに、合わせて宇治川の流れを変えて巨椋池に街道を通す大規模な土木工事や、また翌94年には明の使節を迎えるべく宇治川の対岸・向島にも普請を拡げて伏見城の支城・向島城を築城し、城下町の整備なども進められ、工事には25万人が動員されたともいわれています。
城は1594年(文禄3年)に完成し、本丸に5層の天守閣を構え、名護屋丸、二の丸、松の丸、治部少丸のほか、学問所や御花畑山荘などがあり、中心となる殿舎は金銀で飾られ壮麗を極めたといいますが、1596年(慶長元年)閏7月に伏見地方を襲った「慶長の大地震」によりあっけなく倒壊してしまいます。
翌1597年春に2代目の城が再建されることとなりますが、今度は指月の地より北東へ約500mの位置にある木幡山(こばたやま)(桃山丘陵)に築城されたことから「木幡山伏見城」とも呼ばれます。
山頂を本丸とし、西の丸、松の丸、名護屋(なごや)丸、日下部(くさかべ)丸などからなり、伏見城が完成すると秀吉は大坂城と伏見城を行き来する一方で、晩年は伏見城で過ごすことが多かったといい、1598年(慶長3年)8月18日、伏見城にて五大老にわが子・豊臣秀頼を託し没しています。
秀吉の死後は子の豊臣秀頼が大坂城を本拠としたことから、翌年には五大老の一人・徳川家康が入城することとなりますが、1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」を前に家康が会津の上杉征伐のため東下すると、その留守を突いた小早川秀秋、島津義弘ら4万の西軍の兵による攻撃に遭い敢え無く落城。
この際に城代として伏見城を守っていた家康の重臣・鳥居元忠とその家臣たちが自刃し壮絶な最後を遂げたことは養源院・源光庵・宝泉院などにある「血天井」であまりにも有名です。
その後、関ヶ原の戦いに勝利した家康は1601年(慶長6年)3月に伏見城に入城。
同時期には二条城の築城も進められていましたが、大坂城攻撃の拠点としての位置付けもあったことから、藤堂高虎を普請奉行に伏見城の復旧にも着手し3代目の伏見城が再建。規模は秀吉時代のものより小さいながらも堅城であったといいます。
ちなみに1603年(慶長8年)、家康は征夷大将軍の宣下を受けて江戸幕府を開きますが、その宣下式は伏見城にて行われています。
そして1605年(慶長10年)、家康は一時期二条城に移るものの、本丸部分の完成の後は伏見城に戻り、その後は二条城が儀典用、伏見城が居館用として利用されることとなります。
しかし「大坂の陣」で大坂城が落城し豊臣家が滅亡すると伏見城はその役目を終えることとなり、また「一国一城令」の趣旨からも二条城とともに両城を維持するのは困難であるとして1619年(元和5年)に廃城が決定。
1623年(元和9年)の第3代将軍・徳川家光の将軍宣下の後に取り壊され、1625年(寛永2年)には破却が完了しています。
城自体はなくなりましたが、もっとも天守や櫓などの城の建造物は京都の社寺や全国の諸大名に分け与えられ、伏見城の遺構として多くが現存しており、その名残りを留めています。
この点、本丸御殿は二条城へ、また隅櫓(やぐら)は大坂城、淀城、江戸城、福山城などへ移され「伏見櫓」として名前が残っているものもあるといいます。
寺社としては
御香宮神社表門←大手門
西本願寺唐門
豊国神社唐門←唐門
二尊院総門
観音寺(上京区)山門
その後、城址一帯は開墾され、数多くの桃の木が植えられたことから「伏見桃山」の地名で呼ばれるようになり、また伏見城の通称として「桃山城」や「安土・桃山時代」の名の元にもなりました。
そして江戸時代には城跡は伏見奉行所の管理とされ、幕末まで立入が禁じられていたといいます。
その後、近代に入ると本丸跡など城址の主郭部分は明治天皇の陵墓「伏見桃山陵」の陵域内となり、名護屋丸の南には昭憲皇太后の東陵が設けられ、これらの場所は宮内庁の管轄下にあり、現在も無許可での立入りはできません。
その一方で城址北西部の長束(なつか)郭・伏見城の御花畑山荘跡には、第二次大戦後の1964年(昭和39年)に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」がオープンし、園内にはテーマパークの目玉施設として当時の金額で6億円かけて林原美術館所蔵「洛中洛外図」に描かれた伏見城を参考に5重6階の大天守および3重4階の小天守、櫓門などを伴った「模擬天守」が鉄筋コンクリート構造にて復興・建造されています。
その後、2003年(平成15年)1月に遊園地は経営母体の近鉄グループのリストラの一環で閉園が決まり、この際に模擬天守は取り壊される予定でしたが、地元住民の要望や京都市民の運動によって伏見のシンボルとして保存されることが決定し、京都市に無償で贈与されることとなりました。
そしてこれを受けて敷地を含めた一帯は京都市によって「伏見桃山城運動公園」として整備されることとなり、2004年(平成16年)に整備が開始し、2007年(平成19年)4月1日に敷地面積約91,000平方メートルの公園がオープンすることとなります。
歴史上の伏見城とは全く別ものの鉄筋コンクリート造の模擬天守であり、歴史的・文化的価値はありませんが、見ごたえ・迫力は充分であり、映画やドラマの撮影等にも活用されているといいますが、模擬天守については耐震基準を満たしていないことから内部は現在非公開となっています。
そして2014年(平成26年)9月には、復興天守築城50周年を祝して記念行事も催されました。
園内は桜の名所、市民憩いの場となっているほか、野球グラウンドやサッカー・ラグビー対応の多目的グラウンド、更に隣接する水堀の一部と伝わる伏見北堀公園には、体育館やテニスコートも整備され、多くの市民に利用されています。
伏見桃山城運動公園の施設案内
園内
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入口門(車道)
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案内板
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入口門(歩道)
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有料駐車場(コインパーキング)
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第1駐車場
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入口
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第2駐車場
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橋
城門前
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城門(正門・櫓門)
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案内図
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伏見桃山城の石碑
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天守閣前広場
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京都一周トレイル東山コース案内図
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樹霊碑
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天守への石段
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天守閣入口門
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小天守閣
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大天守閣
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藤棚
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朱塗りの小橋
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第16師団司令部の石碑
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WC
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バイク・自転車置き場
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北口
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野球場
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管理棟
コインロッカー、更衣室、シャワー室
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WC
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多目的グラウンド
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テニスコート&多目的グランド
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池(堀跡)
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伏見北堀公園
水堀の一部
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伏見北堀公園地域体育館
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アスレチック
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伏見桃山陵
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伏見桃山陵入口
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参拝道
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伏見城石垣に使用されていたと思われる石材
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昭憲皇太后伏見桃山東陵
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石段
230段
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伏見城の遺構
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御香宮神社 表門
伏見城の大手門を移築したものと伝わる
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西本願寺 唐門(日暮らし門)
伏見城の遺構と伝わる
「日暮らし門」は彫刻の余りの見事さに日の暮れるのを忘れて見入ってしまうことから
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豊国神社 唐門
伏見城の唐門を豊国神社再建にあたって南禅寺金地院から移築したもので、国宝に指定
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二尊院 総門
伏見城薬医門の遺構と伝わり、京都市の有形文化財に指定
江戸初期の1614年に京都の豪商・角倉了以により移築された
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観音寺 山門(百たたきの門)
京都市上京区にある寺院
山門は旧伏見城の牢獄の門を移建したものと伝わり、罪人を釈放するにあたり門前で百回叩いたことからこの名で呼ばれるように
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二条城 本丸御殿
二の丸御殿とともに世界遺産・二条城の中心をなす建物の一つで、伏見城の御殿の一部を再利用して建造されあ
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高台寺 表門・観月台および茶室・時雨亭および傘亭
いずれも伏見城の遺構と伝わる
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南禅寺金地院 方丈
伏見城の旧殿を移築したものと伝えられ、重要文化財に指定
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桃山東小学校 伏見城石垣
石垣の15m分が移築・復元
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御香宮神社 伏見城跡残石
石垣の一部
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西京極総合運動公園 入場ゲート
石垣が入場ゲートのモニュメントとして使われている
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源光庵 血天井
鷹峯
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養源院 血天井
東山七条
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宝泉院 血天井
大原
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正伝寺 血天井
北区西賀茂
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興聖寺 血天井
宇治
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妙心寺天球院 血天井
花園
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神応寺 書院の血天井
八幡
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栄春寺(指心庵) 総門・伏見城総構え(土塁)・血天井
伏見区桃山町丹下
総門は伏見城の遺構と伝わるほか、境内に伏見城総構え(土塁)の石垣が唯一現存、また観音堂に血天井
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伏見城御舟入址
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伏見奉行所跡
伏見城の廃城後の1624年(寛永元年)に富田信濃守の屋敷のあった場所に伏見奉行所が建設された
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伏見城の遺構(京都府外の主なもの)
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西教寺(さいきょうじ) 客殿
滋賀県大津市
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福山城 伏見櫓
広島県福山市
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江戸城 伏見櫓
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周辺
伏見桃山城運動公園の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 4月初
伏見・お城まつり(春)
11:00~15:00
御香宮神社表門から伏見桃山城までお花見ウォーキング、ステージなど
[公式]- 10月ないし11月
伏見・お城まつり(秋)
普段閉鎖されている大天守閣の特別公開や天守閣内特別展示、戦国武将に扮した時代活劇、大道芸、音楽ステージ、物販・飲食ブースなど
ライトアップされる夜の部もあり
お城まつり公式マスコットとして「伏見もも丸」がおり、他の様々なイベントに登場しお城まつりをPRしている
[公式]
月並行事
- 毎週金土日
伏見桃山城ライトアップ
19:00~21:30
夜間閉園のため公園内での観賞は不可