東福寺 退耕庵 京都観光

東福寺 退耕庵

東福寺 退耕庵

 

 

東福寺 退耕庵とは?(基本データ)

名前
東福寺 退耕庵(とうふくじ たいこうあん)
エリア
東福寺・稲荷
ジャンル

寺社 霧島躑躅

建立・設立
1346年(貞和2年)
1599年(慶長4年)、再建
創始者
[開基] 東福寺第43世・性海霊見(しょうかいれいけん)
[再建] 安国寺恵瓊
宗派
臨済宗東福寺派 大本山東福寺の塔頭
山号
 
本尊
千手観音
寺紋
一文字に三つ星(毛利家家紋)
札所等
洛陽四十八願所地蔵めぐり 第42番(玉章地蔵)
アクセス
  • 京阪本線「東福寺」駅下車 南東へ徒歩約5分
  • JR奈良線「東福寺」駅下車 南東へ徒歩約5分
  • 京都市営バス「東福寺」(202・207・208号系統)下車 徒歩約2分
  • 名神高速道路「京都東IC」より約17分(7km)
  • 名神高速道路「京都南IC」より約12分(4km)
駐車場
■東福寺駐車場
├バス6台分(北駐車場)
└自家用車30台 無料
※秋の特別拝観期間中は閉鎖
拝観料
大人 500円
中高生 300円
小人 無料
※通常拝観は要事前予約
※特別公開される場合あり
お休み
-
拝観時間
9:00~16:00
住所
〒605-0981
京都府京都市東山区本町15丁目793
電話
075-561-0667
FAX
075-561-0667
公式サイト
戊辰役殉難士菩提所 京都市

東福寺 退耕庵の地図

東福寺 退耕庵のみどころ (Point in Check)

京都市東山区本町15丁目、臨済宗東福寺派の大本山・東福寺の北側、北門にほど近い位置にある東福寺の塔頭寺院。
本尊は千手観音。

南北朝時代の1346年(貞和2年)、東福寺第43世住持・性海霊見(しょうかいれいけん ?-1396)によって創建。

その後室町時代の「応仁の乱」による戦火で一時荒廃しますが、有名な「関ヶ原の戦い」の前年の1599年(慶長4年)に中国地方の有力大名・毛利家の外交僧として活躍した安国寺恵瓊(あんこくじえけい 1539-1600)によって再興。

現在ある客殿はこの再興時に建てられたもので、京都府指定文化財に指定。
また茶室「作夢軒(さくむけん)」は豊臣秀吉の没後に西軍に与した恵瓊が石田三成や宇喜多秀家らと徳川家康を討伐するため、関ヶ原合戦の謀議をめぐらしたと伝えられ、緊急の際の隠れ場所である「忍び天井」や護衛の武士が控えたとされる「伏侍の間」といった戦国時代の特色がその当時のままに残されているといいます。

また幕末の1868年(慶応4年)に勃発した「鳥羽伏見の戦い」においては同寺が東福寺境内の北側に位置し、伏見街道の要所にあたることから長州藩の陣が置かれ、その関係から後にその戦いの防長殉難者の菩提所となっています。

境内の庭園は書院を挟んで南北に2つの庭で構成されていて、このうち南庭は「真隠庭」と呼ばれ、室町初期、開山・性海霊見の作庭といわれ美しい苔に覆われた枯山水庭園で春はキリシマツツジが美しいことで有名。一方の北庭は池泉観賞式の庭園となっています。

この他にも同寺は平安期に活躍した女流歌人で絶世の美女といわれた「小野小町ゆかりの寺」としても知られていて、境内の地蔵堂に安置されている高さ2mの地蔵菩薩像は胎内に小町に寄せられた多数の玉章(恋文)が納められていることから「玉章地蔵(たまずさじぞう)」と呼ばれているほか、地蔵堂の前には井戸の水鏡に映った年老いた自分の姿を見て嘆いたといわれる「小野小町百歳井戸」、また客殿には「小町百歳像」も安置されています。

東福寺 退耕庵の施設案内

 

境内

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    表門

    北面して建つ

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    寺号標

    表門の手前左

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    「戊辰役殉難士菩提所」の石標

     表門の手前右

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    参道

     

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    地蔵堂

    参道右手
    「小町寺」の額を掲げ、堂内中央に高さ2mの玉章地蔵尊、右に阿弥陀尿来象、左に十一面観音像を祀る
    「玉章地蔵(たまずさじぞう)」は元々は京都市東山区の渋谷越え(しぶたにごえ)(渋谷街道)にあった小町寺にあった像で、同寺が廃寺となったため1874年(明治7年)にこちらに移されたもの

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    小野小町百歳井

    地蔵堂の前にある井戸
    この井戸の水鏡に映った年老いた自分の姿を見た小野小町は「おもかげの 変わらでとしの つもれかし たとえこの身に 限りあるとて」と詠み嘆いたとの伝説が伝わる

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    岸信介先生記念植樹

    第56・57代内閣総理大臣を務めた政治家・岸信介(きしのぶすけ 1896-1987)のお手植えの槇

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    玄関

    参道突き当たり

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    坪庭

    枯山水

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    廊下

    右手に書院、左手には書院北庭が広がり、その向こうに客殿

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    書院

    境内南東

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    書院南庭(真隠庭)

    一面の苔に覆われた庭で、春先には苔の緑と樹齢300年の霧島つつじの赤とのコントラストが見事
    1972年(昭和47年)に北庭とともに修復

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    作夢軒(さくむけん)

    四畳半台目の茶室で、緊急の際の隠れ場所である「忍び天井」や護衛の武士が控えたとされる「伏侍の間(ふせざむらいのま)」といった戦国時代の特色がみられる
    豊臣秀吉の死後に安国寺恵瓊、石田三成、宇喜多秀家が関ヶ原の戦いの謀議を行った場所とされている

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    客殿(本堂)

    書院の北側
    安国寺恵瓊により再興 京都府指定文化財
    内陣中央に本尊・十一面千手観音像、かたわらに小町百歳の像を安置する

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    書院北庭

    枯山水と池泉観賞式庭園が組み合わさった庭園で、睡蓮とモミジが美しい
    1972年(昭和47年)に南庭とともに修復

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    庫裏

    御朱印の受付

周辺

東福寺 退耕庵の主な年間行事・カレンダー

年中行事

10/27に近い日曜
明治維新防長殉難者顕彰会

高杉晋作や久坂玄瑞などの幕末明治維新で亡くなった長州藩の殉難者の法要
吉田松陰の命日の10/27に合わせて開催

月並行事

毎月第1日曜 
作夢会 月釜

作夢軒を保存するために月例で開催される茶会

花ごよみ

 
霧島躑躅(キリシマツツジ)

 

 
紅葉(こうよう)

 

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