聞名寺(明眼地蔵)
聞名寺(明眼地蔵)とは?(基本データ)
- 名前
- 聞名寺(明眼地蔵)(もんみょうじ(あけめじぞう))
- エリア
- 岡崎・吉田・鹿ケ谷
- ジャンル
- 建立・設立
- 平安初期、第58代・光孝天皇の小松殿に地蔵菩薩を安置し、その没後天台宗の小松寺としたのがはじまり
鎌倉時代に一遍が時宗道場の「小松院聞名寺」とする
桃山時代、豊臣秀吉の寺町整備により寺町夷川に移転
1708年(宝永5)、宝永の大火により焼失、その後現在地に - 創始者
- [開基] 第58代・光孝天皇
[中興] 一遍 - 宗派
- 時宗遊行派
- 院号
- 小松院
- 本尊
- 阿弥陀三尊像
- ご利益
- 病気平癒(眼病)
- 寺紋
- 隅切り三(時宗宗紋)
- 札所等
- 洛陽第十七番地蔵尊
- アクセス
- 駐車場
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- 拝観料
- 無料
- お休み
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- 拝観時間
- 境内自由
- 住所
- 〒606-8352
京都府京都市左京区東大路仁王門上る北門前町485 - 電話
- 075-771-8703
- FAX
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- 公式サイト
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聞名寺(明眼地蔵)の地図
聞名寺(明眼地蔵)のみどころ (Point in Check)
京都市左京区東大路仁王門上る北門前町、東山二条の交差点の南東角にある妙傳寺の南側の東大路通沿いにある時宗遊行派の寺院。
本尊は阿弥陀三尊像ですが、地蔵堂に祀る眼病にご利益のある「明眼地蔵(あけめじぞう)」で知られています。
平安初期、大内裏の東、大炊御門大路の北(現在の室町通竹屋町下ル道場町)にあった第58代・光孝天皇(こうこうてんのう 830-87)の「小松殿」に地蔵菩薩を安置され、その没後に天台宗の「小松寺」としたのがはじまり。
この点、光孝天皇は第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう 808-50)の第3皇子で、「小松帝」とも称され、常陸太守や中務卿、上野太守、大宰帥、式部卿などを歴任した後、884年(元慶8年)に55歳にして即位。
これは当時の実力者であった太政大臣・藤原基経(ふじわらのもとつね 836-91)の奏請によるもので、その後は政治については基経を通じて奏上させる形を取ることになり、これが実質的な「関白」の初めとされ、この時代に藤原氏の摂関政治が確立されたといわれています。
その後、鎌倉時代に時宗の宗祖・一遍(いっぺん 1239-89)が中興して時宗道場の「小松院聞名寺」と改め、更に桃山時代には豊臣秀吉の寺町整備により寺町夷川に移転。
それから江戸中期の1708年(宝永5年)に「宝永の大火」により焼失し、その後現在地にて再建されています。
境内正面右手の地蔵堂に安置されている「明眼地蔵(あけめじぞう)」は光孝天皇が皇子時代(時康親王)に眼病を患った際、天皇の夢に現れた老翁のお告げに従い慈覚大師円仁に地蔵菩薩を彫らせて祀ったところ、たちまち病が平癒したといい、以来「眼病治癒」に霊験あらたかとして広く信仰を集めています。
聞名寺(明眼地蔵)の施設案内
境内
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山門
入口に「明眼地蔵大菩薩」と書かれた赤い提灯が吊り下がる
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寺号標
山門手前右に「洛陽第十七番 地蔵尊 大炊道場 聞名寺」と「身代地蔵尊」の2つの石標
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「香川景樹翁蹟宝」の石標
山門前左
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参道
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身代地蔵尊
山門くぐって右
周囲に無数の小さな地蔵尊群が奉納されている
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大日如来
身代地蔵尊の左隣
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地蔵堂
大日如来の左隣
眼病にご利益のある明眼地蔵を祀る
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救世観世音菩薩
地蔵堂の手前左
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寺務所
地蔵堂の左
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庫裏
本堂左
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本堂
本尊・阿弥陀三尊像は2018年(平成30年)の調査で鎌倉期の仏師・快慶(かいけい)の一番弟子とされる行快(ぎょうかい)の作であると判明
高さ83cmの阿弥陀立像と両脇の観音菩薩、勢至菩薩で構成される
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七重石塔(光孝天皇塔)と十三重石塔
本堂手前右
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従一位 金剛稲荷大明神
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安楽地蔵
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宝篋印塔
倶會一處
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墓地への道
本堂右横
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阿弥陀石仏
墓地に置かれる
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墓地
江戸後期に京都で活躍した歌人・香川景樹およびその一族の墓などがある
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周辺
聞名寺(明眼地蔵)の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 8/24
地蔵盆
月並行事
- 毎月24日
明眼地蔵縁日
月に1度の御開帳日