壬生寺 京都観光

壬生寺

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壬生寺

厄除け節分会と壬生狂言で有名な新選組ゆかりの寺

律宗大本山。991年に園城寺の快賢が地蔵信仰を広める寺として創建。 白河天皇の発願で始められた厄除け節分会は京都の年中行事に。 鎌倉後期に融通念仏の円覚が中興、悪疫駆除のため始めた無言劇の壬生狂言は重要無形文化財。 新撰組ゆかりの地で隊長・近藤勇の銅像や隊士の墓である壬生塚も

壬生寺とは?(基本データ)

名前
壬生寺(みぶでら)
エリア
二条城
ジャンル

寺社 厄除け 子供守護 十二薬師 洛陽三十三所観音 洛陽天満宮二十五 新撰組 門前名物 灌仏会・花まつり お精霊さん・万灯会 除夜の鐘 節分祭 能・狂言 六斎念仏

正式名
心浄光院宝憧三昧寺(ほうどうさんまいじ)
建立・設立
991年(正暦2年)、地蔵菩薩半跏像を本尊に五条坊門壬生にて「小三井寺」として創建
承暦年間(1077~80)、白河天皇が行幸し「地蔵院」の号を賜る
1213年(建保元年)、大和守・平宗平が現在地の五条坊門坊城へ移転、のち火災で焼失
1259年(正元元年)、宗平の子・平政平が再建し寺名を「宝幢三昧寺」に改称
1300年(正安2年)、円覚が入寺し中興、仏の教えを無言劇に仕組んだ「壬生狂言」を創始
1863年(文久3年)、新選組が壬生の八木家と前川家を屯所としこれに近い壬生寺の境内を隊士の兵法練場として使用
1962(昭和37年)7月、放火により本堂が焼失、1970(昭和45年)に再建
創始者
[開基] 快賢(かいけん)
[中興] 円覚(えんがく)
宗派
律宗大本山
山号
なし
本尊
延命地蔵菩薩(重文)
寺紋
桜紋
札所等
京都十二薬師霊場 第4番
洛陽三十三所観音霊場 第28番(中院)
洛陽天満宮二十五社順拝 第4番
アクセス
  • 京福電鉄(嵐電)嵐山本線「四条大宮」駅下車 西へ徒歩約7分
  • 阪急京都線「大宮」駅下車 西へ徒歩約7分
  • JR嵯峨野線(山陰本線)「丹波口」駅下車 北へ徒歩約10分
  • 京都市営バス「壬生寺道」(3・8・11・13・特13・臨13・26・28・29・67・69・71・91・203号系統)下車 南へ徒歩約3分
  • 京都バス「壬生寺道」(71・72・73・74・75系統)下車 南へ徒歩約3分
駐車場
門前にコインパーキング
自家用車8台分
拝観料
境内自由
■壬生塚参拝料
└100円
■歴史資料室入室料
├大人 200円
└小・中・高校生 100円
お休み
無休
拝観時間
■寺務所
└9:00~17:00
■授与所
└8:30~16:30
■歴史資料室
└8:30~16:30
■壬生塚
└8:30~16:30
住所
〒604-8821
京都府京都市中京区坊城通仏光寺北入る壬生梛ノ宮町31
電話
075-841-3381
FAX
075-841-4481
公式サイト
壬生寺
壬生寺 Twitter
壬生寺 Facebook
壬生寺 Instagram
第4番札所 壬生寺 京都十二薬師霊場会
第二十八番札所 壬生寺中院 洛陽三十三所観音巡礼
京都守護職 新選組巡礼会 Twitter

地図

壬生寺のみどころ (Point in Check)

京都市中京区壬生梛ノ宮町、京都市中心部の「壬生」に位置する、京都では珍しい律宗寺院。
「壬生」の地名の由来はかつてこの地が低湿地だったことから、「水生」より「壬生」という地名になったといわれています。

南都六宗の一つ、奈良・唐招提寺を総本山とする律宗の別格本山で、「地蔵院」とも号し、「壬生地蔵」と通称される京都でも有数のお地蔵さんの寺として知られています。

本尊は平安後期を代表する仏師で寄木造の大成者としても知られる定朝(じょうちょう)作の「延命地蔵菩薩立像」で重文。
1962年(昭和37年)の火災の後、総本山・唐招提寺より移されたもので、安産・健康・病気平癒・長寿・知恵・金運・衆人尊敬・五穀豊穣・神の加護・極楽浄土の十益(じゅうえき)を授けるといわれて信仰を集めています。

この他にも水掛け地蔵や夜啼き地蔵など、約三千体の地蔵を祀っており、その一部の石仏は8月下旬に京都市内各地で行われる「地蔵盆」に貸し出されるといいます。

平安中期の991年(正暦2年)に園城寺(三井寺)の快賢(かいけん)が母の菩提を弔うために創建。

古くより「厄除・開運」のご利益で知られ、平安後期には白河天皇(しらかわてんのう)より篤く信仰し、1077年(承暦元年)には「地蔵院」の勅号を賜っています。

有名な2月の「節分会」はその白河天皇が壬生寺が京都の裏鬼門にあたることから始めたもので、表鬼門を守護する吉田神社の節分祭と並び京都を代表する節分行事として知られています。

当日は厄除けを祈願しようと「大念仏厄除」と書かれた奉納用の素焼きの「炮烙(ほうらく)」や厄除けだるまを求めて全国から多くの参拝者が押し寄せます。

また大念仏堂での「壬生狂言」は仏教の教えを民に説いて見せる民俗芸能で、鎌倉時代から現在に至るまで700年の歴史と伝統を持ち、国の重要無形民俗文化財にも指定。
毎年節分と春と秋に行われており、春の大念佛会では節分会で奉納された炮烙を舞台から落として割ることで厄除開運のご利益を授かる「炮烙割り(ほうらくわり)」も披露され、毎年大勢の見物客で賑わいます。

毎年お盆の時期には先祖の精霊を供養する「万灯供養会」も開催され、本堂前には1000個以上の灯籠や、ミャンマーに見られるパゴダを模したという円錐形の「千体仏塔」にも灯りが灯り、幻想的な雰囲気が漂います。

万灯供養会では8月9日の「精霊迎え火」、16日の「精霊送り火」のほか、9日には「壬生六斎念仏」、14日には二胡の演奏、16日には「中堂寺六斎念仏」の奉納も行われます。

そして壬生寺といえば境内に新選組の兵法調練場があった「新選組ゆかりの地」としても有名で、境内の「壬生塚」には局長・近藤勇の胸像のほか11名の隊士の墓もあるほか、門前の和菓子の名店・京都鶴屋の敷地内の「八木家」とその向かいの「旧前川邸」には新撰組屯所跡も残っています。

春には桜の名所でもあり、また都市中心部の境内地を活用し「壬生寺保育園」や特別養護老人ホーム「壬生老人ホーム」、有料老人ホーム「ウエルエイジみぶ」を運営し、社会福祉事業も行っていることでも知られています。

地蔵信仰を広め、新選組ゆかりの寺としても知られる律宗寺院

快賢による創建と白河天皇の帰依

奈良時代の761年(天平宝字5年)、聖武天皇の勅願により鑑真(がんじん)が開山とも伝わりますが、「壬生寺縁起」では平安中期の991年(正暦2年)、滋賀県にある園城寺(三井寺)の快賢(かいけん)が自身の母の菩提を弔うために仏師・定朝に三尺(約1m)の地蔵菩薩像を造らせ、1005年(寛弘2年)に五条坊門壬生に堂舎を建てて「小三井寺(こみいでら)」と号したのがはじまりとされています。

平安後期には第72代・白河天皇(しらかわてんのう 1053-1129)によって篤く信仰され、1077年(承暦元年)に地蔵院の勅号を賜っています。

ちなみに壬生寺が京都の裏鬼門にあたることから、天皇の発願によりはじめられたのが、毎年2月に行われている「節分厄除大法会」だといいます。

「壬生大念仏狂言(壬生狂言)」で知られる円覚上人が中興

鎌倉初期の1213年(建保元年)には平宗平(たいらのむねひら)が現在地に移して伽藍を造設。
1257年(正嘉元年)に伽藍が全焼しますが、1259年(正元元年)に大和守で宗平の子・平政平(まさひら)が再興しています。

更に、鎌倉後期の正安年間(1299~1302)には、「融通念仏」で知られる道御(円覚上人)(どうぎょ(えんがくしょうにん) 1223-1311)が寺を中興。

この時に勧進のための大念仏会の際に児女にまで念仏の妙理を理解させるために始めたと伝わるのが「壬生大念仏狂言(壬生狂言)」であり、1300年(正安2年)より700年以上の歴史を持ち、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

新選組ゆかりの地

幕末には京都の治安維持を目的に活動した「新選組(当初は壬生浪士組)」の本拠(屯所)が壬生村の八木家に置かれたため、壬生寺の境内は新選組の兵法調練場として使用されました。

そのため現在は「新撰組ゆかりの地」として、境内の「壬生塚」に局長・近藤勇(こんどういさみ 1834-68)の銅像や、新選組隊士の墓が安置されています(近藤勇の墓とされるものは他にも会津若松市、三鷹市などに存在するとのこと)。

現代の火災による全焼と再建

1811年(文化8年)に再建された本堂は、戦後の1962年(昭和37年)7月25日の放火による火災で全焼。
この際に鎌倉後期作とされ「壬生地蔵」として信仰されていた旧本尊・地蔵菩薩半跏像も焼失し、他にも多数の寺宝が失われています。

その後、本堂は1967年に再建され、1970年(昭和45年)の落慶法要の際に律宗総本山の奈良・唐招提寺より延命地蔵菩薩立像(重文)を本尊として迎えて現在に至っています。

創建より地蔵菩薩を祀り、地蔵信仰を広める寺として庶民の信仰を集めています。

壬生寺の施設案内

アクセス

最寄駅は阪急大宮駅と嵐電四条大宮駅。
ともに四条大宮の交差点に出口があり、交差点から四条通を西(嵐電のある側)へ進んでいき、壬生川四条の交差点をもう少し進むと、ほどなく左手に元祇園梛神社(梛ノ宮神社)が見えてくるので、その手前で左折します。

左折後は坊城通というやや細い道を南へ進んでいき、嵐電の踏切を越え、左手に新撰組屯所跡の旧前川邸、右手に金つばの幸福堂のある四差路に出ます。

そこを曲がらずに更にまっすぐ南へ進むと、右手に和菓子屋の鶴屋鶴寿庵と新撰組屯所跡の八木邸があり、その前を通り過ぎるとほどなくして壬生寺の表門(東門)が姿を現します。

バスを利用する場合も梛神社前の「壬生寺道」バス停が最寄のため、同じように坊城通を南へ進んでいくルートになります。

碁盤の目の京都の市街地の中心部にあるため、他の道を通っても行けますが、一般的にはこのルートで参拝されているようです。

他にも境内北側の綾小路通沿いに北門、境内南側の仏光寺通沿いに南門、境内西側の千本通沿いに壬生寺西口があります。

そして車を利用する場合は、境内周辺の道路は細い一方通行の道が多いため、注意が必要です。

境内

境内は主に「本堂」をはじめとする8つの堂とパゴダ様式の「千体仏塔」、新選組隊士の墓のある「壬生塚」などで構成されて、境内は自由に参拝できますが、壬生塚と歴史資料室のみが有料エリアとなっています。

まず表門(東門)をくぐって中に入ると正面に本堂が見え、本堂までまっすぐ参道が続いています。

左手は老人ホームとその前が駐車場になっていて、右手には一夜天神堂や境内図があり、少し奥へ進むと阿弥陀堂、弁天堂、そして水掛地蔵と続き、本堂前の広場へと出ることができます。

「阿弥陀堂」は近藤勇の銅像や新選組隊士の墓のある「壬生塚」への入口になっていて、堂内には歴史資料室と授与所もあります。 また京都十二薬師霊場の第4番礼所本尊の「歯薬師如来」は阿弥陀堂内の資料室に脇仏として祀られています。

阿弥陀堂・弁天堂・水掛地蔵の向かいには十一面観音菩薩を本尊とする塔頭「中院」や、手水舎、鐘楼があり、中院は洛陽三十三所観音霊場の第28番札所にもなっています。

そして「本堂」は1962年(昭和37年)の火災で焼失したため、現在のものは1970年(昭和45年)に再建されたもの。

この本堂前から右手にある「壬生寺会館」までは広場のようになっていて、節分会の時には梛神社から表門(東門)までの坊城通や、表門(東門)から本堂までの参道、そしてこの広場の周辺に屋台などが出て、大いに賑わいます。

本堂の右手(北側)には「寺務所」と「朱印所」があり、更に奥の北側へ進むと、壬生寺会館と老人ホームの間を通り北門へと出ることができます。

そして北門の手前に壬生狂言の舞台である「大念佛堂」(重文)とその通用門がありますが、この門は関係者の通用門になっていて、一般参拝者は通常は「壬生寺会館」より入場し舞台前に設置されている座席から壬生狂言を見物することになります。

一方、本堂の左手(南側)にはパゴダ様式の仏塔に千体の石仏を円錐形に安置した「千体仏塔」と手洗所があり、その奥に南門があります。

周辺

壬生寺のある壬生は「新選組ゆかりの地」であることから、境内東の坊城通沿いの「八木家」や「旧前川邸」などのほか、周辺には新撰組ゆかりの史跡が多く点在しています。

その他に徒歩圏内で行ける有名な観光名所としては、四条大宮を北へ徒歩15分から20分程度進んでいくと世界遺産の二条城へ向かうこともできます。

また四条大宮は嵐電の発着駅であるため、嵐山など嵐電沿線の観光名所にもアクセスしやすい立地になっています。

表門~本堂

  • 表門(東門)
    表門(東門)

     

  • 石標
    石標

     

  • 参道
    参道

     

  • 一夜天神堂
    一夜天神堂

     

  • 境内図
    境内図

     

  • 宝筐印塔
    宝筐印塔

     

  • 歌碑
    歌碑

     

  • 紅八重枝垂桜
    紅八重枝垂桜

     

  • 夜啼き地蔵(おせき地蔵)
    夜啼き地蔵(おせき地蔵)

     

  • 阿弥陀堂・歴史資料室
    阿弥陀堂・歴史資料室

     

  • 中院
    中院

     

  • 手水舎
    手水舎

     

  • 弁天堂
    弁天堂

     

  • 水掛地蔵
    水掛地蔵

     

  • 本堂
    本堂

     

  • NO IMAGE
    壬生寺庭園

     

事務所~大念仏堂~北門

  • 寺務所入口
    寺務所入口

     

  • 寺務所・朱印所
    寺務所・朱印所

     

  • ソメイヨシノ
    ソメイヨシノ

     

  • 石仏群
    石仏群

     

  • 手水鉢
    手水鉢

     

  • 歌碑
    歌碑

     

  • 明星桜
    明星桜

     

  • 三界万霊碑
    三界万霊碑

     

  • 水子地蔵
    水子地蔵

     

  • クスノキ
    クスノキ

  • クスノキ
    クスノキ

     

  • 明星桜
    明星桜

     

  • 壬生寺会館
    壬生寺会館

     

  • 大念仏堂(狂言堂)
    大念仏堂(狂言堂)

     

  • 大念佛堂通用門
    大念佛堂通用門

     

  • 三福川稲荷堂
    三福川稲荷堂

     

  • 北門
    北門

     

千体仏塔~南門

  • 鐘楼
    鐘楼

     

  • 御手洗
    御手洗

     

  • 山茶花
    山茶花

     

  • 千体仏塔
    千体仏塔

     

  • 南門
    南門

     

壬生塚

  • 壬生塚
    壬生塚

     

  • 授与所
    授与所

     

  • 橋

     

  • 手水
    手水

     

  • 龍神像
    龍神像

     

  • 壬生官務家墓塔
    壬生官務家墓塔

     

  • 「あヽ新撰組」歌碑
    「あヽ新撰組」歌碑

     

  • 壬生寺歴代住職供養塔
    壬生寺歴代住職供養塔

     

  • 総検校 吉川湊一 墓塔
    総検校 吉川湊一 墓塔

     

  • 人丸塚
    人丸塚

     

  • 新選組隊士の墓
    新選組隊士の墓

    左から芹沢鴨と平山五郎の墓、隊士7名の合祀墓、河合耆三郎の墓、近藤勇遺髪塔

  • 近藤勇胸像
    近藤勇胸像

     

  • 新選組顕彰碑
    新選組顕彰碑

     

  • 新選組隊士慰霊塔
    新選組隊士慰霊塔

     

  • 百度石
    百度石

     

  • 狛犬瓦
    狛犬瓦

     

  • 古瓦
    古瓦

     

  • 新選組ゆかりのノート
    新選組ゆかりのノート

     

関連

周辺

壬生寺の主な年間行事・カレンダー

年中行事

1/1~1/3
修正会(しゅしょうえ)

「修正会」とは、正月元旦から3日までの間に行われる法要で、新年を祝うとともに天下泰平・仏法興隆・寺門繁栄などを祈願する
壬生寺では正月三が日の間、金運上昇・子孫繁栄にご利益のある境内の秘仏「弁財天」が特別に開帳される

2/2~2/4
節分会厄除大法会(せつぶんやくよけだいほうえ)

裏鬼門である南西にあたり3日間にわたって様々な催事が開催、露店も立ち並び多くの参拝者で賑わう
白河天皇の発願によって始められたといい伝えられ、900年余りの長い伝統と歴史を持つ
2/2の前日に聖護院山伏衆と壬生寺保育園児らの稚児が寺の周囲を歩く「お練り供養」と山伏による「大護摩祈祷」
2/2・2/3には13~20時にかけ国の重要無形民俗文化財に指定されている「壬生狂言」を1時間ごとに8回上演(境内北側の重文・狂言堂にて、全30番組のうちの1つ「節分」のみの上演)
さらに本堂にて「厄除け護摩祈祷」を終日厳修するほか、年齢によって厄除けを祈願する「星祭り修行」、「昇殿特別祈祷」も
2/4には「招福ぜんざい」の無料接待
また「炮烙(ほうらく)」と呼ばれる素焼きのお皿に、家族や知人の数え年・性別を墨書きして奉納する厄除招福の「炮烙奉納」は有名で、この寺のみの珍しい風習
奉納された皿は4月の壬生狂言の序曲「炮烙割り(ほうらくわり)」の際に割られ、奉納した人はその年お災厄を免れ福徳を得られると伝わる

2/2・2/3
壬生狂言 節分の公開(みぶきょうげん せつぶんのこうかい)

「狂言」は能と能の間に演じられる演劇で、能が悲劇的な内容が多いのに対し笑いの要素が強いのが特徴
このうち「大念仏狂言」は念仏の布教のために演じられるようになったもので、壬生寺の壬生狂言、千本ゑんま堂のゑんま堂狂言、清凉寺の嵯峨大念仏狂言は「京都三大念仏狂言」とされている
仮面を付けた演者が鉦(かね)や太鼓、笛の音にあわせて無言で演じるのが大きな特徴だが、これはまだマイクや拡声器のない時代に念仏の妙理と勧善懲悪・因果応報の道理を分かり易く伝えられるよう、大げさな身ぶり手ぶりで表現する無言劇の形が採られたのだという
「壬生狂言」は鎌倉時代に壬生寺中興の祖・円覚上人によって始められ、「壬生さんのカンデンデン」の愛称で親しまれ、国の重要無形民俗文化財にも指定されている
春の大念佛会の先駆けとして、節分会参詣者の厄除・開運を祈願し、壬生狂言全30番の演目のうち、11番の「節分」の演目のみが繰り返し上演される
境内北側の重文・狂言堂にて13:00から20:00まで毎時0分ごとに8回上演される

3月春分の日
彼岸会法要(ひがんえほうよう)

「彼岸(ひがん)」とは、太陽が真東から真西に沈むことから、西方浄土の「あの世」と「この世」が最も近づく春分・秋分の日を中日(ちゅうにち)とした7日間を指す
一般的にこの時期には日頃無事に過ごせていることに感謝し、先祖の墓参りをしたり、寺院では先祖の霊を慰め、成仏を祈る法要が執り行われる

3/27頃
壬生菜まつり

 

4/8
花まつり(はなまつり)

三仏会の一つで、仏誕生会(ぶつたんじょうえ)、降誕会(ごうたんえ)、潅仏会(かんぶつえ)などの名前で行われるほか、俗に「花まつり」とも呼ばれる
釈迦の誕生日を祝う法要で、阿弥陀堂の前で白象の背に花御堂(はなみどう)を飾り、誕生仏(灌佛)に甘茶をかけて供養を行う
ちなみに誕生仏は釈迦が誕生した際に右手で天、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えた姿を象ったものだという
13:30より堂前にて式典の後、釈迦の像(灌佛)を白像に乗せて境内周辺道路をパレードする
壬生寺保育園の園児とお稚児さんによる可愛らしいお練り行列や、14:30からは仏教の教えを絵解きする紙芝居の実演も
4月8日が土日の場合は園児たちの登園の都合上金曜日に開催される

4/29~5/5の7日間
壬生狂言 大念佛会(みぶきょうげん だいねんぶつえ)(春の公開)

「狂言」は能と能の間に演じられる演劇で、能が悲劇的な内容が多いのに対し笑いの要素が強いのが特徴
このうち「大念仏狂言」は念仏の布教のために演じられるようになったもので、壬生寺の壬生狂言、千本ゑんま堂のゑんま堂狂言、清凉寺の嵯峨大念仏狂言は「京都三大念仏狂言」とされている
仮面を付けた演者が鉦(かね)や太鼓、笛の音にあわせて無言で演じるのが大きな特徴だが、これはまだマイクや拡声器のない時代に念仏の妙理と勧善懲悪・因果応報の道理を分かり易く伝えられるよう、大げさな身ぶり手ぶりで表現する無言劇の形が採られたのだという
「壬生狂言」は鎌倉時代に壬生寺中興の祖・円覚上人によって始められ、「壬生さんのカンデンデン」の愛称で親しまれ、国の重要無形民俗文化財にも指定されている
年中行事の法要として1300年(正安2年)より途絶えることなく続けられており、最終日の夜の部には「結願式(けちがんしき)」の公開も行っている
全30番の演目があり、毎日5番ずつ演じられ、冒頭では2月の「節分会」で奉納された炮烙を舞台から落として割ることで厄除開運のご利益を授かる「炮烙割り(ほうらくわり)」も披露される
境内北側の重文・狂言堂にて13:00から17:30頃まで上演し、5/5のみ18:00~22:00頃までの夜間の部もある
有料で当日券・自由席のみ(満席時は入場制限あり)

7/16
新選組隊士等慰霊供養祭(しんせんぐみたいしとういれいくようさい)

1864年7月16日の祇園祭前日の宵山に新選組が倒幕派志士の密談中に討ち入った「池田屋事件」にちなみ、毎年7月16日に開催
[供養祭]
13:30より隊長・近藤勇像のある境内の壬生塚にて、隊士の子孫や歴史愛好家らが参列し読経および一般焼香
幕末に尊い命を捧げた新選組隊士を偲んで静かに冥福を祈るとともに、併せて郷土の治安と平和も祈願される

また第2部として、参列者同志の交流・親睦と供養祭の普及を図るため、壬生寺会館ホールにて技芸奉納や歌謡ショーなども開催される
[詩吟奉納]深山流吟詠会ほか有志による
[剣技奉納]士気の会ほか有志による
[歌謡ショー]三橋美智也音楽事務所後援による
「ああ新選組」の歌碑などでも縁の深い往年の名歌手・三橋美智也(みはしみちや 1930-96)を偲んで行われる

[池田屋事変記念パレード]
更に同日16:00~17:30には京都新選組同好会により壬生寺~八坂神社でのパレードも行われる

7/25
大般若経転読法要(だいはんにゃきょうてんどくほうよう)

「大般若経」600巻を短時間に読み上げる法要で、「転読」という速読法が用いられる
「大般若経(だいはんにゃきょう)」は正式には「大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみったきょう)」といい、全16部全600巻からなる膨大な大乗仏教の経典
唐の玄奘三蔵が別々に成立した長短様々な般若経典を「仁王経」と「般若心経」を除いて集大成したもので、仏教の中心思想である一切皆空の理(ことわり)、すなわち最高の真理である「般若(はんにゃ))から見れば、全てのものは実体がない「空(くう)」だという教えを説いているという
「転読(てんどく)」とは、経典の一語一句を読誦する真読に対し、経典の初・中・後の数行の略読を繰り返し全巻を読誦したものとすることをいい、「大般若経」の600巻の転読ではよく行われている
「大般若経」は除災招福や鎮護国家などに有益であるとされ、703年(大宝3年)の文武天皇の代に転読が行われたことが「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記されており、それ以後も宗派の別なく勅命によりこの転読が行われてきたという

8/9~16
盂蘭盆万灯供養会(うらぼんまんとうくようえ)

先祖の霊を供養するお盆の伝統行事
京都市内で行われる万灯会としてはもっとも期間が長く、8月9日から8日間に渡って行われる
また1153年(仁平3年)には行われていた記録の残る歴史あるお盆の行事
期間中、本堂前には先祖の追善供養を願って献灯された1000個以上の灯籠が並べられ、日没とともに点灯
天気が良ければ千体仏塔にも灯りが灯され、境内は幻想的な空気に包まれる
また普段は拝見出来ない本尊の地蔵菩薩立像の姿を拝むこともできる
日没~21:30で境内は自由に拝観できる
初日にあたる8/9と8/10は「精霊迎え火」と呼ばれ、8/9には20:00より本堂前の舞台にて「壬生六斎念仏」が奉納される
「五山の送り火」も行われる最終日の8/16は「精霊送り火」と呼ばれ、「精霊送り施餓鬼(せがき)法要」が営まれた後、送り火が焚かれるほか、20:30より本堂前の舞台にて「中堂寺六斎念仏」が奉納される

8/9
壬生六斎念仏奉納(みぶろくさいねんぶつほうのう)

「六斎念仏」は太鼓や鉦を打ち「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えながら踊る民族芸能
平安時代中期に空也上人が一般庶民に信仰を広めるために始めたと伝わる踊念仏に起源を持ち、月に6日ある忌み日「六斎日」に行われたことから「六斎念仏」と呼ばれるようになったという
現在は京都を中心に六斎日に関係なくお盆の前後や地蔵盆に行われている
太鼓、鉦、笛の3種の楽器を用い地歌(じうた)や長唄(ながうた)といった伝統的な邦楽を演奏するほか、音楽以外にもアクロバティックな獅子舞の芸なども披露される
六斎念仏は幾つもの土地によって受け継がれ、「壬生六斎念仏踊り(みぶろくさいねんぶつおどり)」は、京都市の「壬生」地区で行われる六斎念仏踊りのことで、略して「壬生六斎(みぶろくさい)」とも
「万灯供養会」の初日である8月9日の20:00より本堂前仮設舞台にて奉納、全席立ち見席で拝観無料(雨天決行)

8/16
中堂寺六斎念仏奉納(ちゅうどうじろくさいねんぶつほうのう)

「六斎念仏」は太鼓や鉦を打ち「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えながら踊る民族芸能
平安時代中期に空也上人が一般庶民に信仰を広めるために始めたと伝わる踊念仏に起源を持ち、月に6日ある忌み日「六斎日」に行われたことから「六斎念仏」と呼ばれるようになったという
現在は京都を中心に六斎日に関係なくお盆の前後や地蔵盆に行われている
太鼓、鉦、笛の3種の楽器を用い地歌(じうた)や長唄(ながうた)といった伝統的な邦楽を演奏するほか、音楽以外にもアクロバティックな獅子舞の芸なども披露される
六斎念仏は幾つもの土地によって受け継がれ、「中堂寺六斎念仏踊り(ちゅうどうじろくさいねんぶつおどり)」は、京都市の「中堂寺」地区で行われる六斎念仏踊りのこと
中堂寺地区は北は松原通・南は花屋町通、東は大宮通・西は御前通を境とした京都市下京区の北西部に位置する地域のことで、北に壬生、西に西院と隣接している
「万灯供養会」の最終日である8月16日の「精霊送り火」の法要が行われた後、20:30分から本堂前仮設舞台にて奉納、全席立ち見席で拝観無料(雨天決行)

9月秋分の日
彼岸会法要(ひがんえほうよう)

「彼岸(ひがん)」とは、太陽が真東から真西に沈むことから、西方浄土の「あの世」と「この世」が最も近づく春分・秋分の日を中日(ちゅうにち)とした7日間を指す
一般的にこの時期には日頃無事に過ごせていることに感謝し、先祖の墓参りをしたり、寺院では先祖の霊を慰め、成仏を祈る法要が執り行われる

10月の連休の3日間(体育の日含む)
壬生狂言 秋の公開(みぶきょうげん あきのこうかい)

「狂言」は能と能の間に演じられる演劇で、能が悲劇的な内容が多いのに対し笑いの要素が強いのが特徴
このうち「大念仏狂言」は念仏の布教のために演じられるようになったもので、壬生寺の壬生狂言、千本ゑんま堂のゑんま堂狂言、清凉寺の嵯峨大念仏狂言は「京都三大念仏狂言」とされている
仮面を付けた演者が鉦(かね)や太鼓、笛の音にあわせて無言で演じるのが大きな特徴だが、これはまだマイクや拡声器のない時代に念仏の妙理と勧善懲悪・因果応報の道理を分かり易く伝えられるよう、大げさな身ぶり手ぶりで表現する無言劇の形が採られたのだという
「壬生狂言」は鎌倉時代に壬生寺中興の祖・円覚上人によって始められ、「壬生さんのカンデンデン」の愛称で親しまれ、国の重要無形民俗文化財にも指定されている
秋の公開は元々臨時で行われていたもので1871年(明治4年)を最後に103年間も途絶えていたが、狂言の発展や後継者養成のため1974年(昭和49年)に復活されたという
境内北側の重文・狂言堂にて13:00~17:30まで上演
有料で当日券・自由席のみ(満席時は入場制限あり)

12/31
除夜の鐘(じょやのかね)

梵鐘は1848年(嘉永元年)鋳造で重さ約1.35t、鐘楼は1851年(嘉永4年)の再建
大晦日の23:40より第1打は貫主が撞き、第2打から先着順に108回、希望者十数人一組で綱を引き撞く
先着300名に甘酒の無料接待
元日に初詣・1/2に交通安全祈祷・1/3に写経会

月並行事

毎月24日
地蔵御縁日

水掛地蔵尊御前にて法要

毎月28日
不動明王御縁日

 

花ごよみ

3月下~4月上
桜(サクラ)

あまり採り上げられることは少ないが、桜を寺紋に持ち、見事な桜が境内を彩る桜の穴場的スポット
表門(東門)をくぐってすぐ右手の一夜天神堂の横に1本と、夜啼き地蔵そばにも紅八重枝垂桜が1本
本堂右の石仏群の脇に「区民誇りの木」に指定されている見事な染井吉野(ソメイヨシノ)が1本
寺務所・授与所の右に植えられている「明星桜(みょうじょうざくら)」は、平安時代に九州佐賀に赴任した公家・浦内淡路守惟久(うらうちあわじのかみこれひさ)が都を偲び望郷の念で壬生寺より苗木を取り寄せた桜が、1992年(平成4年)に壬生寺の創建1000年を記念して伊万里より里帰りしてきたという由緒を持つ
他にも壬生寺会館の右手前の壬生寺保育園の前に明星桜がもう1本、更に壬生寺会館の手前左側にも桜が数本続く
壬生塚にも近藤勇像のそばや龍神像のある池の周辺などで桜が見られるほか、2016年には新選組を愛する同好家が集まり結成された「京都新選組同好会」の結成40周年記念事業として、新選組の隊旗「誠」にちなんで命名された「誠桜」が壬生塚内に寄進された
また境内近くの新撰組屯所跡「八木家」の庭先にも見事な桜の木がある

11月中~11月下
紅葉(こうよう)

境内には桜の木が多いことから、秋には紅葉も楽しめる
社務所前や壬生塚の近藤勇像そばなどで紅葉した木を見ることができる

11~1月
山茶花(サザンカ)

表門(東門)を入ってすぐ右手の一夜天神堂の傍ら
南門そばの手洗所の横に設置されているベンチの所にも山茶花の生垣

壬生寺の口コミ

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