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真盛上人二十五霊場

「天台宗真盛派(天台真盛宗)」と真盛上人

「真盛(しんせい)(1443-1495)」は、室町中期~戦国時代初期にかけて活躍した天台宗の僧で、天台宗真盛派(現在の天台真盛宗)の開祖。
謚号は円戒国師・慈摂大師。

1443年(嘉吉3年)1月28日伊勢国一志郡仰木で生まれる。父は小泉左近尉藤能、幼名は宝珠丸。
7歳で幼くして出家し、尾張国に出て台密を学んだ後、1461年(寛正2)、19歳で比叡山に登り、西塔の南上房慶秀に師事し20年あまり修行。
天台教学の奥義を極め伝灯法師の位に進んだが、1483年(文明15年)に黒谷青龍寺に隠遁。これは母の死をきっかけに自らの栄誉より念仏による救いを説くことに志を見出したためといわれている。

その2年後の1485年に浄土院の伝教大師廟に訪れた際、伝教大師最澄より源信の「往生要集(おうじょうようしゅう)」を授かる夢を見てこれに傾倒。
源信の教えに惹かれ、翌1486年(文明18年)には源信の旧跡である近江国の西教寺を再興、これを戒律と念仏一致の根本道場とした。

その後も伊賀や自らの出身地である伊勢、そして北陸(越前・加賀)など各地で教化、説戒念仏の道場を多数開いた後、1495年(明応4年)2月30日に伊賀国の西蓮寺にて53才で没。

ひたすら念仏を唱えて救いを得る一方、政治家公家や僧侶などには「無欲清浄」であることを求め、民衆のみならず将軍や天皇などからも慕われていたといい、足利義政・後土御門天皇・後柏原天皇に円頓戒を授けたことでも知られている。

「真盛上人二十五霊場」とは

「真盛上人二十五霊場(しんせいしょうにんにじゅうごれいじょう)」とは、天台真盛宗の宗祖である真盛上人のゆかりの地を巡る霊場。

三重県が最も多く14札所あり、福井県5、滋賀県5、京都府3、愛知県1で構成されている。

参拝のしかた

京都の札所一覧

寺社名 エリア ポイント
NO IMAGE 2 黒谷 青龍寺 大原・八瀬・比叡山 左京区八瀬秋元町
誓願寺 6 誓願寺 三条寺町・四条河原町
NO IMAGE 7 西方尼寺 北野・西陣 上京区今出川七本松西入

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