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北山連峰

京都の街は京都盆地を中心に三方を山に囲まれているとよく言われますが、このうち北側にあるのが「北山連峰(きたやまれんぽう)」と呼ばれる山々です。

西から東へ見ていくと、まずは京都市の北西にそびえる愛宕山を中心とした愛宕山系の山々、これらのうち愛宕山の北側にある「裏愛宕」の山々は市内からは愛宕山に隠れてほとんど見えませんが、愛宕山系を構成する主要な山もあります。

その東にある鷹峯(鷹ケ峰)は京の七口の一つ「長坂口(ながさかぐち)」のあった場所で、鷹ヶ峰三山は花札でもお馴染みの古くより親しまれてきた山。更に「五山の送り火」で船型が点灯される船山、上賀茂に入ると上賀茂神社の御神体である神山などがあり、その北側、北区の一番北にある雲ヶ畑は鴨川源流として知られる地域です。

雲ヶ畑の東には京の奥座敷として知られる貴船と天狗伝説で知られる鞍馬の山々、更にその東には三千院で知られる大原の里があり、その西側の尾根は大原三山と呼ばれ市民に親しまれています。

鞍馬・貴船の北には京都で最も奥深い場所にある花背地区、そしてその東、大原の北側は京都市の最北端で、京都府最高峰で北山の一番東端に位置する皆子山など北山中核をなす高い山が多く連なっているのが特徴的です。

その北山を代表する特産品といえば何といっても「北山杉」。「京都府の木」にも指定されている北山杉は室町時代頃より続く600年以上の歴史を持ち、朝廷御用達の木材として仙洞御所や桂離宮、修学院離宮、大徳寺や金閣寺などといった名だたる建物にも使われています。もっとも盛んなのは北区中川を中心とした地域(国道162号に府道31号が合流するやや手前の地域)

スポット名 エリア ポイント
NO IMAGE 三頭山
(みつずこやま)
京北・周山 愛宕山系の山で標高728m、愛宕山の北側にあるいわゆる「裏愛宕」の中でも一番北にある
JR嵯峨野線の八木駅からバスで「越畑」の集落や「どんどん橋」のバス停を利用
NO IMAGE 地蔵山
(じぞうやま)
京北・周山 愛宕山系を構成する主要な山の一つで、愛宕山・竜ケ岳とともに「愛宕三山」に入れられる
標高は947.6mと京都府下で5番目に高く924mの愛宕山より高いが、愛宕山の北側「裏愛宕」にあるため、市内からは愛宕山に隠れてほとんど見えない
また愛宕山詣でをする人が多いためややマイナーな印象が否めないが、京都府内にある8つの一等三角点の中でも最高峰を誇る
登山ルートは愛宕山から北上するルートとJR嵯峨野線の八木駅からバスでアクセスが可能な北側の「越畑」の集落から登るルートがあり、このうち越畑の集落は標高400mの高さにあるため比較的登りやすいという
NO IMAGE 竜ヶ岳
(りゅうがたけ)
京北・周山 愛宕山系を構成する主要な山の一つで、愛宕山・地蔵山とともに「愛宕三山」に入れられる
標高は921mと高いが、地蔵山と同じく愛宕山の北側「裏愛宕」にあるため京都市内からは愛宕山に隠れてほとんど見えない
登山ルートは愛宕山から北上するルートが一般的
NO IMAGE 半国高山
(はんこくたかやま)
北山三村 雲ヶ畑にある標高670mの山
雲ヶ畑の真弓集落にある真弓八幡宮の鳥居右の道から西へ進むルートと、周山街道(国道162号)のバス停「小野郷」の岩戸落葉神社の横から入山して東へ進むルートなどがある
NO IMAGE 鷹ヶ峰三山
(たかがみねさんざん)
紫野・鷹ヶ峯 鷹峯(鷹ケ峰)は京の七口の一つ「長坂口(ながさかぐち)」から北へと伸び丹波国や若狭国へ続くかつての鯖街道、現在の長坂越(府道31号西陣杉坂線)の入口にあたり、この道の南西、そして金閣寺のある左大文字山の北に位置している
古くは栗栖野(くるすの)と呼ばれた地域で、天皇が行幸し鷹狩りなどを楽しむ遊猟の地であったが、1591年(天正19年)に豊臣秀吉が御土居を構築した際に洛外とされたこともあり、辻斬りや追剥が出没するなど治安が悪化
その後1615年(元和元年)に徳川家康からこの地を拝領した当時一流の文化人だった本阿弥光悦が一族縁者を引き連れて移住すると、様々な工芸の職人が移り住みいわゆる「光悦村」と呼ばれる集落が形成され、後に本阿弥家がこの地を離れるまで芸術・文化の一大拠点となった
また江戸初期に御典医・藤林道寿の一族が広さ約1.2haの薬草園「鷹ケ峰薬園」を開園し野菜を栽培した歴史があり、京野菜の産地としても知られる
現在は紅葉の名所として知られ、源光庵・光悦寺・常照寺の3つの寺が特に有名 鷹ヶ峰三山は鷹峯地域の西に連なる丘陵で、東から鷹峯(鷹ケ峰)(たかがみね)、鷲峯(鷲ケ峰)(わしがみね)、そして天峯(天ケ峰)(てんがみね)の3つの山で構成されている
古くより親しまれてきた山で、花札の8月の「芒(すすき)」は鷹峯の山を模して作られたといわれている
NO IMAGE 釈迦谷山
(しゃかだにやま)
(元愛宕山)
紫野・鷹ヶ峯 北区大宮にある山で標高291m、長坂越(府道31号西陣杉坂線)を挟んで鷹峯の東側、五山の送り火の舟形で有名な西賀茂の船山の西側に位置
781年に第49代・光仁天皇の勅命を受けた和気清麻呂が、慶俊僧都とともに愛宕山山頂の現在地に移すまで愛宕神社があった場所で、昭和初期頃までは「元愛宕山」と呼ばれていた
府道31号沿い(ヘアピンを上がり切った山の北側あたり)にあるため比較的登頂しやすいが、展望はなく、三角邸はある
NO IMAGE 城山
(しろやま)
(堂ノ庭城跡)
(長坂城跡)
紫野・鷹ヶ峯 北区西賀茂にある標高479.8mの山、京の七口の一つ「長坂口」から長坂越(府道31号西陣杉坂線)を北へ進み、京見峠を越えた先の「氷室別れ」のY字を右に折れ氷室神社や氷室集落のある北へと向かう途中の中間付近に登り道がある
城のそばに京の街を眼下に見下ろすことができる京見峠があることから、京都をうかがう丹波国衆と洛中を治める勢力との攻防の場となった城と考えられている
築城の時期や経緯は不明だが、戦国時代に織田信長に仕えた明智光秀の居城・丹波国の周山城と洛中を結ぶ道を見張るために築いた砦だとする説もあるという
山頂付近に三等三角点の標石が置かれ、その直下に配置された曲輪(くるわ)や石垣、土塁などが比較的良好な形で残されている
NO IMAGE 船山
(ふなやま)
(妙見山)
紫野・鷹ヶ峯 京都市の北西、北区西賀茂にある標高317mの山で、別名を妙見山・西賀茂山とも
京都の夏の風物詩である「五山の送り火」の「船形万燈籠」の送り火が点灯される山として知られている
船の形は847年(承和14年)に留学先の唐からの帰路に暴風雨にあった慈覚大師円仁が「南無阿弥陀仏」と名号を唱えたところ無事帰国できたという故事にちなみその時の船を象ったといわれている(円仁は天台宗を密教化し第3世天台座主として天台宗発展の礎を築いた人物だが、西方寺の開祖とも伝わる)
船形万燈籠保存会は麓の3つの町55軒の旧家の人たちで構成され、年寄・中老・若中ら約50人が山の南麓にある西方寺に集まり割木などを山上へ運んで点火準備
その後20時10分に西方寺の鐘を合図に点火、山麓では西方寺住職の読経も行われ、送り火終了後は西方寺において六斎念仏が奉納される
船型は横幅が約200m、帆柱の高さが約90m(船底まで入れると140m)あり、火床は79か所、北山通の北山大橋から北西でよく見える
護摩木の受付は8/3から8/16の当日まで西方寺門前で行われている(8/4、8/8を除く、時間は8:00~16:00で8/16のみ10:00まで、なくなり次第終了)
船山へは西賀茂車庫バス停より西へ徒歩約30分の所にある京都ゴルフ倶楽部舟山コースにある登山道から向かうのが最も容易だが、鷹峯から氷室道を北へ進んだ先にある秋葉神社の前を右に折れ山道を進むというルートを採ると、火床に着いた時に視界が開ける感動を味わえる
NO IMAGE 神山
(こうやま)
北山・上賀茂 上賀茂神社の社殿の北北西約2kmの所にある標高301.5mの山で上賀茂神社の御神体でもある
神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)が降臨した山といわれ、山頂には巨岩が環状に並ぶ「垂跡石(すいじゃくいし)(降臨石)」と呼ばれる磐座がある(禁足地)
ちなみに神山を拝む形で現在の社殿の基礎が作られたのはそれよりずっと先の天武天皇の時代の678年(白鳳6年)のこと
山は形の整った円錐形をしており、境内の細殿前にある2つの立砂(たてずな)は神が降臨した神山を模ったもの、同じ立砂はやや小ぶりだが本殿の前にも作られている
この立砂は神が降臨する際の目印といわれ、頂点に挿した松葉が正面向かって左に3本、右に2本なのは、陰陽道の考え方で奇数(陽)と偶数(陰)とが合わさることで宇宙の調和が図られ神が降臨しやすくなるため
5/12の夜に葵祭に先立って秘儀として行われる御阿礼神事(みあれじんじ)は、神山から神籬(ひもろぎ=臨時に神を迎えるための依り代)に神を迎えるもので、以前は神山の山頂で行われていたが、現在は本社に近い南麓の丸山にある御阿礼所で行なわれているという
また古来より歌枕の題材としても用いられているほか、京都産業大学の学歌にもその名が含まれている
NO IMAGE 十三石山
(じゅうさんこくやま)
北山三村 西賀茂の北部、雲ヶ畑の南にある標高496mの山、名前の由来はかつてこの山の年貢が十三石だったことに由来しているという
かつては雲ヶ畑地域への往来は、雲ヶ畑川(鴨川)沿いではなく十三石山付近の満樹峠(まんじゅとうげ)を越えていた
長坂越(府道31号西陣杉坂線)を氷室別れで氷室神社の方へ進み、神社を更に北へ進んで満樹峠を越えるルート、上賀茂の北の柊野から鴨川に沿って続く府道38号線バイパスを更に上流へと上がり、山幸橋の交差点付近のトレイルの入口から雲ヶ畑をめざして西の山道を進み満樹峠を越えるルート、そして雲ヶ畑の手前、鴨川沿いにある市の瀬バス停で降り、府道のすぐ下にある市の瀬橋で鴨川をって南へ進むルートなどがある
頂上には三角点があり、東側の眺望から比叡山からの東山連峰が展望できる
NO IMAGE 岩屋山
(いわやさん)
(志明院)
北山三村 650年(白雉元年)に役行者が開創した歴史を持つ雲ヶ畑随一の名刹・志明院の境内がある標高649.1mの山
平安遷都後の829年(天長6年)、弘法大師空海が淳和天皇の勅願により中興、鴨川の水源地を敬い祀ることで都に平穏をと願う皇室の勅願所として崇敬を集める
本尊の不動明王は弘法大師の自作と伝わり、奥の院である根本中院の本尊・眼力不動明王は宇多天皇の勅願により菅原道真が一刀三礼し彫刻したもの
杉の巨木や巨石・奇石、洞窟や飛瀑などがある厳かな雰囲気漂う霊山で、水の伝説として有名な歌舞伎十八番「鳴神」の舞台として知られるほか、宮崎駿のアニメ映画「もののけ姫」は作家・司馬遼太郎がかつてこの寺に泊った際に経験した不思議な体験をもとに作られたという
またシャクナゲ(石楠花)の群生地としても知られ、京都市の天然記念物にも指定されている
NO IMAGE 桟敷ヶ岳
(さじきがたけ)
京北・周山
北山三村
京都市北区と右京区京北町の境にある標高895.9mの山で北区の最高峰、北山を代表する山の一つで関西百名山にも選ばれている
惟仁親王(後の清和天皇)との皇位継承争いに敗れ隠遁した惟喬親王(これたかしんのう)が山上に桟敷を築いて都を眺望したという言い伝えからこの名前がついたといわれていて、山頂の南側には都眺めの岩、山麓の岩屋橋には親王を祀る惟喬神社もある
北麓は京都を代表する川である鴨川の源流の一つである祖父谷川の発する場所
岩屋橋から志明院、薬師峠、岩茸山を経て山頂に至るルートが一般的(約2時間半)、頂上は小広場となっていて二等三角点もあるが、木々に覆われており展望は北方向にわずかにあるのみ
NO IMAGE 魚谷山
(いおだにやま)
鞍馬・貴船・花背 貴船神社のある貴船山の北、雲ヶ畑の桟敷ヶ岳の南東にある標高816.2mの山
登山ルートは雲ヶ畑の出合橋から中津川を北の源流(松尾谷)へと進んでいくルートのほか、貴船神社を北に進み滝谷峠から細ヶ谷を経て山頂へ向かうルートもあるがこちらは険しい
5月初~中旬頃は谷筋にクリンソウの群落やヤマシャクヤク、秋には紅葉も美しい
途中には日本の登山史を築き北山を愛したという今西錦司のレリーフなどもある
NO IMAGE 貴船山
(きぶねやま)
鞍馬・貴船・花背 京都市左京区、鴨川上流の貴船川沿いにある貴船神社の背後にそびえる699.8mの山
東麓に貴船神社と貴船川が南北に流れ、西麓を雲ヶ畑へと続く中津川が流れる
貴船川の清流と美しい北山杉で知られ、和泉式部などの和歌にも詠まれるなど古くより人々に愛されてきたた地で、現在も「川床料理」が夏の風物詩となるなど「京の奥座敷」として多くの観光客が訪れる
貴船山を登るハイキングも人気で、叡山二ノ瀬駅の北、鞍馬川を渡った所にある富士神社のそばに登山口があり、夜泣峠を経由して山頂まで向かう、三角点はあるが眺望はない
また付近から産出される貴船石は庭石の最高級品として人気が高い
NO IMAGE 鞍馬山
(くらまやま)
鞍馬・貴船・花背 京都市左京区、東を鞍馬川、西を貴船川に挟まれた位置にある標高569m(584mとも)の山で南北に尾根が連なる
山の南側中腹にある鞍馬寺は796年(延暦15年)ないし770年(宝亀元年)に創建された古刹で、本尊は毘沙門天
密教による山岳修験道の場として栄えた霊山で、幼少の牛若丸(後の源義経)がこの地で10年間修行をしたことはよく知られている、また「鞍馬天狗」の伝説でも有名
杉やヒノキの生い茂る自然の宝庫で、植物には原生ものも多い、平安時代より桜と紅葉の名所
古名を「暗部山(くらぶ山)」とし、鞍馬に転じたとする説もあり、鞍馬山とともにどちらも和歌の歌枕になっている
山頂は本殿金堂のずっと北側にあり、途中には龍神池と呼ばれる池がある
NO IMAGE 竜王岳
(りゅうおうだけ)
鞍馬・貴船・花背 鞍馬山の鞍馬街道を挟んで南側にある標高506mの山
ハイキングコースとして整備されておらず三角点も正式な登山口やルートもないが、山頂には経塚があり、開けた展望からは正面に鞍馬寺が見えるという
NO IMAGE 天ヶ岳
(あまがたけ)
鞍馬・貴船・花背 鞍馬と大原の中間点にある静原のずっと北(鞍馬の北北東、大原の北北西)にある標高788mの山で、大原の里十名山の一つ
鞍馬駅から鞍馬川を渡り地蔵寺と八幡宮の間より東海自然歩道を進み、薬王坂の分岐を左(北東)へ進み、三又岳を経て天ヶ岳山頂へ、シャクナゲ尾根を経て寂光院から大原へと向かうコース(あるいはその逆)がよく知られている
NO IMAGE 金毘羅山
(こんぴらやま)
大原・八瀬・比叡山 大原の里の西側の山並みは西から金毘羅山・翠黛山・焼杉山といい、併せて大原三山と呼ばれ、周辺は交通の便も良いため多くのハイカーに親しまれている
このうちの一番西にある標高573mの山で別名を江文山、かつては江文寺も建っていて雨乞いの山でもあったという、大原の里十名山の一つ
名前の由来は平安末期に後白河上皇の兄・崇徳上皇が讃岐で亡くなった後、その遺品を金毘羅権現を祀るを見せかけて山頂に葬ったことから
山の形は奇怪で秩父古生層の白い露岩が目立つ山で、ロッククライミングの練習スポットとして有名なほか、春に桜や椿の群生、秋は紅葉が楽しめる
山頂そばに金毘羅大明神、山頂には三角点はあるが展望はなし
代表的なルートは戸寺バス停を西へ進み、元井出橋で高野川を渡り京都一周トレイルの案内に従い江文峠から尾根伝いに登り、琴平新宮社を経て山頂の三角点へ、その後翠黛山、寂光院を経て大原へ下山するルート
NO IMAGE 翠黛山
(すいたいさん)
大原・八瀬・比叡山 大原の里の西側にそびえる標高577mの山で、大原三山の一つであり大原の里十名山の一つ
寂光院の本堂正面に対座し、「平家物語」にも登場する山で、「翠黛」とは緑色のまゆずみで描いた美しい眉をいい、緑色に霞んで見える遠くの山という所から命名されたという
金毘羅山とセットで登山するのが代表的なルート、山頂に眺望はない
NO IMAGE 焼杉山
(やけすぎやま)
大原・八瀬・比叡山 大原の里の北西にそびえる標高718mの山で、大原三山の一つであり大原の里十名山の一つ
ヒカゲツツジ(日陰躑躅)やシャクナゲ(石楠花)の咲く山として知られている、山頂には三等三角点
代表的なのは古知谷バス停より阿弥陀寺の参道から登山口に入り、鞍部を経て山頂へ、その後寂光院の登山口を経て大原へ下山するルート
NO IMAGE 瓢箪崩山
(ひょうたんくずれやま)
大原・八瀬・比叡山 京都市左京区岩倉と大原の間(岩倉の北東、大原の南西)にある標高532.4mの山で、大原の里十名山の一つ
ユニークな名前の由来は山が瓢箪を横に寝かせたような形をしていることから
岩倉に長源寺(叡山岩倉駅を北へ)と花園町(岩倉駅の東)の2か所、大原戸寺と江文峠からも登山ルートがある
NO IMAGE 横高山
(よこたかやま)
大原・八瀬・比叡山 比叡山の北、比叡山系北部(奥比叡)の標高767mの山
京都市内から望むと水井山とは綺麗な双尾峰で「双子山」とも呼ばれる
代表的なルートは比叡山延暦寺の西塔エリアにある釈迦堂から奥比叡ドライブウェイに沿って北へ進み、玉体杉を経て横高山、水井山、そして仰木峠を経由して大原の登山口か戸寺バス停へと下るルート
あるいは京都バス大原行で登山口バス停下車、黒谷青龍寺を経由し、せりあい地蔵、玉体杉を経て横高山、水井山、そして仰木峠を経由して大原の里の戸寺へと下るルート
NO IMAGE 水井山
(みずいやま)
大原・八瀬・比叡山 比叡山の北、比叡山系北部(奥比叡)の標高794mの山で、京都一周トレイルコース中では最高峰、大原の里十名山の一つ
横高山とは双尾峰でセットで登るケースがほとんど
NO IMAGE 滝谷山
(たきたにやま)
鞍馬・貴船・花背 花背峠の北東にある標高876.2mの山、花脊別所町の裏山にあることから別所山の別名
花背峠のそばおよび花背山の家のハイキングコースから杉ノ峠、和佐谷峠を経て山頂へ、二等三角点あり
NO IMAGE 雲取山
(くもとりやま)
鞍馬・貴船・花背 京都北山のほぼ中央、芹生の北東に位置する標高911.1mの山、北山を代表する山の一つで関西百名山の一つ
日本百名山にも選ばれているのは東京、埼玉、山梨の境界にある同名の雲取山
一帯には芹生の原生林などの雄大な自然が残されており、「京都の自然200選」にも指定、キタヤマブシなど原生林ならではの草花を見ることができる
一般的なルートは花背山の家のやや南にある花脊高原前バス停より花背スキー場跡の横から寺山峠、一の谷の分岐、雲取山荘、雲取峠を経て山頂へ、三等三角点あり
NO IMAGE 大悲山
(だいひざん)
鞍馬・貴船・花背 鞍馬寺の北、京都市左京区花背の一番奥にある標高746mの山で、山の中腹にある峰定寺の山号にもなっている
峰定寺は平安後期の1154年(久寿元年)、大峯山や熊野などで修行を積んだ修験者・観空が創建した山岳信仰の寺で本山修験宗、修験道場で奈良の大峯山に対し「北大峰」とも呼ばれている
「大悲」とは千手観音の別称・大悲観音の「大いなる慈悲心」に由来しているという
崖に張り出した本堂は「懸造(かけつくり)」とも呼ばれる日本最古の舞台造り建築、で重文、「清水の舞台」に先駆け1350年(貞和6年)に再建されたもの
歴史的自然環境保全地域で京都の自然200選にも選ばれており、南斜面にモミ、ツガ、杉、檜などの常緑針葉樹やミズナラ、栗、アカシデなどの落葉広葉樹林の自然林が広がる、春はシャクナゲ、秋は紅葉も美しい
丹波帯秩父古成層から成る硬いチャートでできた岩峰と、それを取り囲むように桂川の源流の一部を構成する寺谷川などの渓流が流れ、夏でも涼しい、冬は積雪が多いため入山不可となる
京都バスの大悲山口バス停より桑谷分かれを経て徒歩約30分、更に寺から林道を約20~30分の所には御神木でもある「大悲山の三本杉」がある
NO IMAGE 峰床山
(みねとこやま)
鞍馬・貴船・花背 大原の北方、花背と久多の境の北山の最も奥深い位置にある山で、標高970mは皆子山に次ぐ京都府下第2位、近畿百名山および大原の里十名山の一つ
頂上直下には北山では珍しい高層湿原の八丁平があり、ハッチョウトンボなど貴重な動植物も多い
八丁平の北、頂上へと続くオグロ坂峠は、福井県小浜市と京都を結ぶ若狭街道の一つ
峰床山へは四方にルートがあるが、交通事情を考慮すると出町柳より京都バスの梅ノ木行で葛川学校前で下車し、江賀谷・右俣経由で東側からオグロ峠まで登るのが一般的
他に大悲山口バス停、峰定寺経由で西側から、あるいは坊村の登山口から鎌倉山を経て北東側からオグロ峠まで登るルートもある
NO IMAGE 皆子山
(みなこやま)
鞍馬・貴船・花背 北山連峰の最も東、京都市左京区と滋賀県大津市との境にある山で、標高971.5mは京都府最高峰、大原の里十名山の一つ
旧名は霞ヶ嶽といわれており、現在の山名は京大山岳部出身で日本山岳会京都支部顧問・今西錦司が命名、自分の娘にも同じ名前をつけたという
叡山・出町柳駅から京都バスが、JR湖西線・堅田駅から江若交通バスが出ており、国道367号線最大の難所といわれた途中越の峠を越えた先から主に3つのルートで登るが、東ルート以外は谷を渡るため険しい
北側ルートは坂口バス停より足尾谷林道を2km進み、足尾谷の登山口からツボクリ谷沿いに登る
東側ルートは367号沿いの平バス停から正教院の脇を通り東尾根沿いに登る
南側ルートは平バス停より林道を西へ進み、寺町出合より寺谷経由で頂上まで谷沿いに登るか、百井川沿いの林道を更に進んだ先にある皆子谷の谷沿いに登る

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