山家城址公園
江戸時代の山家藩・谷氏の陣屋跡を史跡公園として整備
綾部市広瀬町山家地区、由良川と上林川の合流地点の丘の上にある。 江戸時代に同地を治めた山家藩谷氏の陣屋跡を公園として整備、模擬復元された城門の2階に資料館、正面には谷家を祀る谷霊神社、西側には空堀も。 桜の名所として知られ樹齢300年以上の巨大な桜は京都府自然200選の一つで桜まつりも開催
山家城址公園とは?(基本データ)
- 名前
- 山家城址公園(やまがじょうしこうえん)
- エリア
- 綾部
- ジャンル
- 建立・設立
- 1563年(永禄6年)頃、付近一帯を支配していた和久氏が標高232mの甲ヶ峯山頂に「山家城(甲ヶ峰城)」を築く
1579年(天正7年)、和久氏は明智光秀の丹波攻めの際に城の破却命令に従わなかったため滅ぼされる
1582年(天正10年)、秀吉の臣として活躍していた谷衛友が丹波国何鹿郡のうち1万6千石で山家郷に封ぜられのち山麓に「山家陣屋」を構える
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いが勃発すると西軍に属し前哨戦となった細川幽斎が守る舞鶴・田辺城攻めに参加するが、和歌の師でもあった幽斎を積極的に攻める意思はなく城に向けて空砲を撃ち戦意をカムフラージュ(いわゆる「谷の空鉄砲」)、東軍勝利の後細川幽斎のとりなしにより所領安堵された衛友は山家藩初代藩主となり明治維新まで続く
1870年(明治3年)、山家陣屋が火事で焼失
1871年(明治4年)、廃藩置県に伴い廃城令の対象に
1987年(昭和62年)11月、陣屋敷地を山家城址公園として整備
1992年(平成4年)、城門が模擬復元される - 創始者
- [築城] 谷衛友
- 形式
- 陣屋(平山城)
- 遺構
- 模擬門、曲輪、堀切
- アクセス
- 駐車場
- 公園前に約10台(無料)
- 拝観料
- 無料
- お休み
- 無休
- 拝観時間
- 見学自由
※模擬櫓門2Fの山家資料館の見学は要電話予約 - 住所
- 〒629-1256
京都府綾部市広瀬町上ノ町76 - 電話
- 0773-46-0345(山家郷土歴史資料館委員会事務局)
0773-42-9550(あやべ観光案内所) - FAX
- -
- 公式サイト
- 山家城址公園 綾部市観光ガイド
山家城址公園 綾部市
やまが元気プロジェクト委員会 Facebook
山家城址公園の地図
山家城址公園のみどころ (Point in Check)
京都府綾部市広瀬町上ノ町、由良川の支流・上林川が由良川に注ぐ合流地点の東、西に上林川を見下ろす山麓の小高い丘に位置する史跡公園。
江戸時代に山家地区を治めた山家藩の藩主・谷氏の陣屋跡を公園として整備したもので、1987年(昭和62年)11月の開園、面積は21300平方メートル。
山家城は羽柴秀吉の家臣・谷衛友(出羽守)が「本能寺の変」後の1582年(天正10年)、播磨・備前での軍功により山家1万6千石を賜って美濃国より封ぜられ築いた城。
当初は和久氏時代の甲ヶ峰城にあったといいますが、山城は手狭で不便との理由からそれより少し山を下った位置に本格的な城郭ではなく陣屋構えの小規模なものが築かれたといいます。
谷衛友の父は谷衛好といい斎藤龍興の後に織田信長、羽柴秀吉に仕え、1576年(天正4年)の大阪本願寺攻めに軍功を挙げて家紋「揚羽蝶」を賜りますが、1577年(天正7年)に播磨国三木城の別所長治を攻城中に討死。
父とともに従軍していた17歳の谷衛友は父の亡骸を奪い返すとともにその仇を見事に討ち取り、その功績で秀吉から家紋「五三の桐」を受けるとともに6200石を加増され、山家に封ぜられたといい、城址内の灯籠には谷氏の「揚羽蝶」と「五三の桐」の紋が残されています。
谷衛友はその後「関ヶ原の戦い」の際に西軍に属し細川幽斎の田辺城を包囲しましたが、幽斎は谷衛友の歌の師匠であったためほとんど戦わず傍観していたとも、城に向けて空砲を撃っていたともいい「谷の空鉄砲」で名を残しています。
戦後は細川父子などの取り成しで本領安堵となり、更に2代・谷衛政の時、6000石を弟と甥などに分地し1万石となって以降は善政を敷き山家領内では江戸時代を通じて百姓一揆は1度のみだったといい、明治まで13代にわたり減封も転封もなく続きます。
山家陣屋は1870年(明治3年)の火災により焼失し、翌年の「廃藩置県」に伴う廃藩でそのまま廃されたといい、現在は園内に模擬櫓門が建てられて公園のシンボル的存在となっています。
ちなみに門の2階は「山家資料館」となっていて、谷氏の甲冑や古文書などの様々な資料が展示されているほか、また城の遺構としては公園の西側や北側に空堀や土塁、石垣が残るほか、園内には谷氏の祖先を奉った谷霊神社などがあります。
園内からは山家地域が一望でき、また自然林が多く残る緑豊かな公園として「京都の自然200選」にも選定され、地域住民の憩いの場としても親しまれ、更に園内には梅や桜、楓なども植えられており、とりわけ桜の名所として有名で、歴史を感じさせる櫓門と桜のコラボレーションが人気を集めています。
毎年4月上旬の日曜日には公園一帯で「山家さくらまつり」が開催され、山家太鼓の演奏や歌謡ショー、福餅まきや福引、ビンゴゲームなどのほか、地元特産品の販売も行われ賑わいます。
この他にも公園の向かいの山側には式内社の「伊也神社」があり、神社のある山の山頂には和久氏の中世の山城「甲ヶ峯城跡」もあります。
山家城址公園の施設案内
園内
-
-
公園入口
-
-
-
山家城址の石碑
入口右手
-
-
-
鳥居
櫓門の前に建つ
谷霊神社の鳥居
-
-
-
説明版
櫓門の手前左
-
-
-
「京都の自然二百選」の標柱
櫓門の前左
-
-
-
模擬櫓門
谷家の定紋が掲げられている
-
-
-
山家資料館
模擬櫓門の2F
-
-
-
表御門の基礎
櫓門の横に残る
-
-
-
谷霊神社
櫓門をくぐり公園に入って正面
初代の谷氏の祖霊を祀る鎮守社
社の背面は野面積みの石垣になっている
-
-
-
道標
土塁・空堀・石垣は右と表示があり案内に沿って見学できる
-
-
-
空堀
-
-
-
土塁
-
-
-
石垣
-
-
-
山家城井戸
-
-
-
観梅苑
公園入口
-
-
-
東屋
梅苑の中央にある休憩所
-
-
-
梅里苑
公園の奥
建物前から上林川に降りられる散策路がある
-
伊也神社・甲ヶ峯城跡(佐衛門屋敷跡)・照福寺跡
-
-
伊也神社
公園入口の向かいの山の中腹、山家城(甲ヶ峯城・左衛門屋敷)跡の登り口に鎮座
崇神天皇の時代に丹波道主命がこの地を訪れた際に甲ヶ峯の麓に宮を築いたのがはじまりで、何鹿郡延喜式12座の一つにも数えられる古社
天正年間の火災による焼失の後、江戸後期の1810年(文化7年)10月に従二位・清原宣光の願いにより現在地に本殿を移転新築され、1870年(明治3年)の山家陣屋の火災で類焼の後、翌年に再建された
-
-
-
参道入口の案内板
「甲ヶ峯城跡(佐衛門屋敷跡)」まで471m、「照福寺跡」まで甲ヶ峯城跡より116mと表示
-
-
-
鳥居
-
-
-
参道石段
-
-
-
二の鳥居
-
-
-
本殿
-
-
-
磐座
-
-
-
甲ヶ峯城跡(佐衛門屋敷跡)
-
-
-
照福寺跡
-
周辺
-
-
JR山家駅
-
-
-
由良川
-
-
-
上原橋
山家駅の北側、由良川に架かる歩行者用の吊り橋
-
-
-
国道27号
-
-
-
石段
上原橋の国道27号を挟んだ向かいに公園への近道の石段がある
-
-
-
上林川
-
-
-
東山公園
-
-
-
案内板
国道27号沿い
-
山家城址公園の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 4月上の日曜
山家桜まつり
山家太鼓の演奏や、地元特産品の販売や餅まき
10:00~15:00- 11月中
山家もみじまつり
琴の演奏・野点・山家の見所の写真展示・甲冑姿での記念撮影・山家城址跡ツアーなどの催しがあるほか、屋台の多数出店も
21時までライトアップ