大徳寺 黄梅院
大徳寺 黄梅院とは?(基本データ)
- 名前
- 大徳寺 黄梅院(だいとくじ おうばいいん)
- エリア
- 紫野・鷹ヶ峯
- ジャンル
- 建立・設立
- 1562年(永禄5年)、父・信秀の追善供養のため信長が「黄梅庵」として創建
1589年(天正17年)、「黄梅院」と改められ大徳寺の塔頭寺院となる - 創始者
- [開基] 織田信長
[開山] 大徳寺98世・春林宗俶 - 宗派
- 臨済宗大徳寺派 大徳寺塔頭
- 山号
- 本尊
- 釈迦如来
- 寺紋
- 一文字に三つ星(一文字三星)(毛利家家紋)
- アクセス
- 駐車場
- ■大徳寺駐車場
├バス20台分 2,000円
└自家用車50台分 1時間まで500円、以後30分毎100円 - 拝観料
- 大人600円
高校生400円
中学生300円
小学生以下無料(但し保護者同伴に限る) - お休み
- 通常非公開
■春と秋に特別公開
├春期 3月下~5月上旬
└秋期 9月下~12月上旬 - 拝観時間
- 10:00~16:00
- 住所
- 〒603-8231
京都府京都市北区紫野大徳寺町83-1 - 電話
- 075-492-4539
- FAX
- 075-492-3210
- 公式サイト
- 大徳寺 黄梅院 京都春秋
京都大徳寺黄梅院【公式アカウント】 Instagram
黄梅院挙式 京都誓いの婚礼
黄梅院 本堂 文化遺産データベース
大徳寺 黄梅院の地図
大徳寺 黄梅院のみどころ (Point in Check)
京都市北区紫野大徳寺町、堀川北大路より約400m西に大伽藍を構える、臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭寺院の一つで、織田信長が創建し、現在は毛利家の菩提所となっている寺院。
大徳寺の広大な寺域の南東側に位置し、龍源院を本庵とする南派に属する寺院で、本尊は釈迦如来。
1562年(永禄5年)、当時28歳の織田信長(おだのぶなが 1534-82)が初めて入洛した際、父・織田信秀(おだのぶひで 1510-51)の追善供養のため大徳寺98世・春林宗俶(しゅんりんそうしゅく 1488-1564)を迎えて創建、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)(きのしたとうきちろう 1537-98)に命じて小庵を建て「黄梅庵」と命名したのがはじまり。
庵名はで釈尊(釈迦)から32代目の法孫で中国禅宗の五祖・弘忍大満(ぐにんだいまん 602-75)ゆかりの地である中国の黄梅県破頭山東禅寺に由来するものだといいます。
1582年(天正10年)に「本能寺の変」によって信長が亡くなると、その後を継いだ秀吉は大徳寺で盛大な葬儀を執り行っていますが、この際に秀吉は信長の塔所とするため黄梅庵を改築しますが、主君の塔所としては小さすぎるという理由から、大徳寺の山内に新たに寺院を建て、信長の法名・総見院殿にちなんだ「総見院」と命名し信長の菩提所としています。
その後、春林の法嗣である大徳寺112世・玉仲宗琇(ぎょくちゅうそうしゅう 1522-1605)が入寺すると、1583年(天正11年)に築を新たにし、1586年(天正14年)にまず秀吉が本堂と唐門を改装、更に1589年(天正17年)には戦国大名で豊臣政権では五大老も務めた毛利元就の三男・小早川隆景(こばやかわたかかげ 1533-97)が普請奉行として鐘楼、客殿、庫裡などを改築するとともに寺名を「黄梅院」と改め、大徳寺の塔頭の一つとなりました。
秀吉没後は小早川家との繋がりで毛利家の菩提寺となり今日に至っており、また黄梅院は小早川隆景の法名でもあるといいます。
現存する建物は桃山期のものが多く残り、本堂(客殿)・庫裡・唐門は国の重要文化財に指定され、中でも「庫裡」は現存する日本の禅宗寺院の庫裡としては最古のものだといい、また「鐘楼」に使用されている「釣鐘」は秀吉子飼いの武将・加藤清正によって献上されたものだといいます。
その他にも茶室「昨夢軒」は千利休の茶道の師である武野紹鴎の作で伏見城の遺構を移築したものと伝わり、書院南庭の「直中庭(じきちゅうてい)」は秀吉の希望により千利休が晩年に作庭した枯山水庭園で、秀吉の軍旗「千成瓢箪」を象った池が配されている名園です。
また貴重な文化財も数多く所蔵しており、「本堂」には狩野永徳や長谷川等伯と並ぶ桃山時代の日本画家で毛利家の御用絵師として雲谷派を築いた雲谷等顔(1547-1618)らの計44面の障壁画(襖絵)があり、本堂とともに重要文化財に指定されています。
通常非公開の寺院ですが、毎年春と秋に特別公開されており、とりわけ紅葉と新緑、そして苔の豊かな寺院で、見頃の時期には美しい景観が境内を彩ります。
大徳寺 黄梅院の施設案内
境内
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表門
毛利元就の三男・小早川隆景の寄進によるもの
なだらかな兜型の門で、2005年(平成17年)には修理が施された
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駒札
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参道と前庭
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鐘楼
表門の左手
使用されている釣鐘は1592年(天正19年)に秀吉子飼いの武将・加藤清正が献上したもので、朝鮮伝来のものと伝わる
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墓所の案内碑
「蒲生氏郷公墓地」「小早川隆景卿墓所」など4つの石標が建つ
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受付
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中門
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門・待合
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茶室「向春庵」
1998年(平成10年)に新築された数寄屋建築の茶室棟
5畳半小間仕立ての茶室「鳳來庵(ほうらいあん)」や、立礼席とよばれる椅子式の茶室「關庵(かんあん)」のほか、20畳の広間「玄徳軒」を有する
回廊で小間の茶室「一枝庵」とつながる
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門と待合
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茶室「一枝庵」
1999年(平成11年)の新築
一畳台目向板・半板入りの小間席
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唐門(玄関)
庫裡の左手
本堂と同じく1586年(天正14年)に豊臣秀吉が改築落慶
国の重要文化財に指定
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庫裡(くり)
1589年(天正17年)に表門と同じく小早川隆景の寄進により建立
切妻造妻入・柿葺の建物
日本の禅宗寺院で現存する最古のもので国の重要文化財に指定
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書院「自休軒(じきゅうけん)」
大徳寺の開山・大燈国師の遺墨「自休」を扁額に懸けて軒名とした
武野紹鴎作の茶室「作夢軒(さくむけん)」がある
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茶室「昨夢軒」
武野紹鴎好みの4畳半の茶室
院内では最古の歴史を伝える
書院「自休軒」の中に組み込まれているところから囲い込み式と言われている
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直中庭(じきちゅうてい)
千利休が晩年の66歳の時に作庭した書院南庭
秀吉の希望によって秀吉の軍旗「千成瓢箪」を象った空池を手前に配する
紅葉と苔の豊かな庭園
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朝鮮灯篭
加藤清正が朝鮮より持ち帰ったと伝わる
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破頭庭(はとうてい)
本堂前庭
天正年間の作庭
手前半分に白川砂、向かい半分に苔を配し、観音・勢至の2石でまとめられた簡素な枯山水の庭園
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本堂(客殿)
1586年(天正14年)の豊臣秀吉による改築の後、1588年(天正16年)に小早川隆景の寄進により建立
この時期の客殿と庫裏が揃って残る例はきわめて少ないといい国の重要文化財に指定
禅寺特有の様式である本瓦葺・入母屋造の建物で、内部は室中と仏間を中心に、檀那の間・衣鉢の間・礼の間・大書の間が配されている
内部の障壁画(襖絵)は狩野永徳や長谷川等伯と並ぶ桃山時代の日本画家で毛利家の御用絵師として雲谷派を築いた雲谷等顔によるもので、室中に「竹林七賢図」16面、檀那の間に「西湖図」14面、礼の間に「芦雁図」14面の計44面あるという
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閑坐庭(かんざてい)
本堂横の坪庭
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作仏庭(さぶつてい)
本堂北側に位置
現代に作庭されたもの
北東に枯山水の滝を表す立石を配し、南への流れの中に小船を浮かべ、本堂前庭の破頭庭へと連なる作りとなっている
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