寺田屋
幕末の英雄坂本竜馬ゆかりの昔ながらの面影の残る船宿
1597年頃創業の伏見の船宿。幕末薩摩藩の定宿となり坂本龍馬も利用。薩摩藩の尊攘激派志士が鎮圧された寺田屋事件と龍馬が幕吏に襲われ難を逃れた事件で有名。 鳥羽伏見の戦いで焼失後旧宅に倣う形で明治期に再建。 現在は博物館兼旅館で事件の際の刀傷やお龍の風呂、庭園の龍馬像などが見所で宿泊も可能
寺田屋とは?(基本データ)
- 名前
- 寺田屋(てらだや)
- エリア
- 伏見・桃山
- ジャンル
- 建立・設立
- 1597(慶長2年)頃、伊助という名前の百姓により創業とされる
1862年(文久2年)4月23日、薩摩藩の急進派藩士35名が関白・九条尚忠および京都所司代の殺害を計画して集結、島津久光の命により薩摩藩は鎮圧を図るも乱闘となり有馬新七ら9名が死亡した「寺田屋騒動(寺田屋事件)」が発生
1866年(慶応2年)正月21日、坂本龍馬が伏見奉行所の捕方に襲われる事件が発生、妻・お龍の機転もあり難を逃れる
1868年(慶応4年)、鳥羽伏見の戦いで罹災し焼失、その後旧宅にならう形で明治期に再建される - アクセス
- 駐車場
- 2台
- 拝観料
- ■入場料
├大人 400円(団体360円)
├大学・高校・中学生 300円
├小学生 200円
└障害者 300円
※団体割引は30名以上
※幼児入場不可
■宿泊
└6,500円(要予約) - お休み
- 年始(1/1~1/3)
月曜不定休あり(シーズンオフの場合) - 拝観時間
- 10:00~16:00(受付15:40まで)
- 住所
- 〒612-8045
京都府京都市伏見区南浜町263 - 電話
- 075-622-0243
- FAX
- 075-622-0242
- 公式サイト
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寺田屋の地図
寺田屋のみどころ (Point in Check)
京都市伏見区伏見にある、坂本龍馬ゆかりの幕末資料館および旅館も兼ねる建造物。
「伏見」は古くからの京都と大坂を移動する際の水上交通の要衝で、とりわけ江戸時代には淀川上をたくさんの船が行き交い大変賑わっていたといい、京橋付近は淀川水運の京都側の発着地だった場所でした。
寺田屋はその伏見で1597年(慶長2年)頃に伊助という百姓が、「南浜」という船着場の前に船宿を開いたのがはじまり。
「寺田屋」の屋号は伊助の出身地であった寺田村からと伝わっています。
伏見において醍醐屋、水六など並ぶ大きな船宿として繁盛し、幕末には薩摩藩の定宿とされ、京へ向かう勤皇・倒幕派の志士たちの足場となり、あの坂本龍馬もこの宿を京での定宿として利用していました。
そんな維新の志士たちを庇護し、その偉業を助けたことで知られる女性が6代目伊助の妻・お登勢。
「寺田屋と言えばお登勢」と言われるほどの女性で、坂本龍馬も「この人、学問ある女で人物也 」と評していたといいます。
また寺田屋といえば、幕末に発生した2つの「寺田屋事件(てらだやじけん)」で有名です。
まず1度目の1862年5月21日(文久2年4月23日)深夜に発生した「寺田屋騒動」は、有馬新七(1825~62)ら薩摩藩藩士の急進派(尊王攘夷派)35名が、関白・九条尚忠(1798~1871)と京都所司代・酒井忠義の殺害を計画して集結したため、公武合体を目指していた薩摩藩主の父・島津久光の命により鎮圧された事件。
次に2度目は1866年(慶応2年)正月21日、坂本龍馬(1835~67)が伏見奉行所の捕方に襲われた事件で、この時は妻・お龍の機転により難を逃れています。
その後1868年(慶応4年1月3日)の「鳥羽伏見の戦い」で一帯は激戦地となり、かつての建物は罹災し焼失。
現在の建物はかつての建物に隣接する西側に、当時の様子を再現する形で明治期に再建されたもので、坂本龍馬や幕末の志士たちの資料を数多く展示する博物館となっており、また旅館も兼ねていて宿泊することも可能です。
2階建の木造建築の建物で、入口には墨文字で「寺田屋」と書かれた大きな提灯が掛かり、坂本龍馬の表札も掲げられているほか、寺田屋事件当時の雰囲気を偲ばせる刀傷や弾痕、龍馬襲撃事件でお龍が幕吏に気づいた風呂場、お龍が風呂を飛び出して2階の龍馬に急を告げに駆け上がったとされる階段などが伝わっています。
そして隣接するかつての建物があった場所は史跡庭園となっており、園内には寺田屋騒動で戦死した倒幕派薩摩藩士の9人の烈士を記念した「薩摩九烈士碑」の石碑や、明治天皇の妃・昭憲皇太后が、龍馬の夢を見たことから与えられた御下賜金で建立された「恩賜記念碑」のほか、龍馬の銅像も建てられています。
ちなみに薩摩九烈士碑には旧宅の跡であることを示す遺址の文字も見られます。
また現在の寺田屋の正面向かいには「宇治川派流」と呼ばれる川が流れていて、枝垂れ柳の風情のある河岸には公園と、観光用の「三十石船乗り場」が整備され、周辺の伏見の酒蔵など風情のある景色を満喫できるのでおすすめです。
更に川にかかる橋からは「竜馬通り商店街」が北へと伸びており、龍馬など幕末関連のグッズも多数販売されています。
寺田屋の施設案内
寺田屋内
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寺田屋外観
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看板
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提灯
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表札
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玄関
入口から中に入ると土間になっており、右手に靴を入れるビニール袋などが置かれている棚があり、その棚の奥に東隣の庭園へ出る出口がある
一方左手には受付があり、ここで受付を済ませて左手奥へと進み、ここからは順路の表示に従って先へと進んでいく
受付ではグッズ販売も行われている
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表階段
受付を済ませて奥へ進むと、まず階段で2階へと上がることとなる
14段ありやや急な傾斜となっており、両側には木戸孝允などのポスターが貼られている
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雪の間
2階には6つの部屋がありそれぞれに名前がつけられている
階段上がってすぐ右手の「雪の間」は二間続きで、解説のテープが流れるので説明を聞くことができる
床の間に掛けてあるのは後に寺田屋の隣に建てられた「薩摩九烈士記念碑」の拓本
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月の間
通りに面しており、簾越しに向かいの家が見える
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花の間
東側の窓の下は旧寺田屋跡の庭園で、春には満開の桜が窓から見られるという
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松の間
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竹の間
寺田屋事件の際、龍馬は「梅の間」にいて、襲い掛かる幕府の捕り方にピストルで応戦した後、「竹の間」から隣家の屋根を伝って逃げたといい、部屋には刀傷が残されている
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刀傷
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梅の間(龍馬の部屋)
当時「梅の間」と呼ばれた龍馬の愛室を再現したもので、博物館さながらに様々なゆかりの品が展示されており、この部屋だけ宿泊ができないという
入口に天保年間の改築時に島津藩から贈られた、一辺が15cmもある立派な大黒柱
お登勢と龍馬の妻おりょうの写真や龍馬の拳銃のレプリカ、龍馬の肖像画の描かれた掛け軸などがあるほか、寺田屋事件の際の弾痕も見られる
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弾痕
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裏階段(裏梯子)
2階の各部屋を見学した後、この階段を下りて再び1階へと戻る
お龍が風呂を飛び出し、2階の龍馬に急を告げに駆け上がったとされる階段
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洗面所
1階に下りてすぐ右手にあり、タイル張りがレトロな雰囲気を醸し出している
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風呂場
洗面所の奥にあり、幕府の捕り方に囲まれた際に、お龍が入っていたという風呂桶がある
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トイレ
洗面所と風呂場のある廊下の突き当り
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招福の庭
廊下を挟んで風呂や洗面所の向かいにある、つくばいを中心に据えた中庭
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板の間
廊下を進んだ先にある部屋
室内には龍馬関係の書籍や資料などが並ぶほか、全国から訪れた龍馬ファンのメッセージの入った絵馬なども飾られている
またここでガイドによる説明も行われる
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女主人・お登勢の部屋
板の間の奥にあり、更に進むと出口へ
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出口
入口とは別にあり、東隣の旧寺田屋跡地にある庭園の方に出ることになる
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庭園(旧寺田屋跡地)
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史蹟寺田屋の石標
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伏見寺田屋殉難九烈士之碑
玄関の横に建つ
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椿
庭園入口脇に有楽椿・不老庵・金魚椿・若獅子・秋月などの椿
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庭園(寺田屋跡地)
つつじが綺麗
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ベンチ
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お登勢明神
百年祭を記念し祀られたといい、龍馬とお龍を結んだことから縁結びの神として信仰を集める
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占の壺
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絵馬掛
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龍馬君忠魂碑
庭の中ほどに横たえられている
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三十石船の駒札
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歌碑
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誓いの楠
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維新当時の井戸跡
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「恩賜記念之碑」
お登勢と寺田屋の由来を説明
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坂本龍馬の銅像
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薩摩藩九烈士遺蹟志(寺田屋騒動記念碑)
龍馬像の後ろにある
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坂本龍馬、避難の材木小屋跡
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中書島蓬莱橋南詰公衆トイレ
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子らく園
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龍馬館
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寺田屋浜
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京橋
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伏見みなと公園
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龍馬とお龍、愛の旅路像
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寺田屋の主な年間行事・カレンダー
年中行事
- 8月上の土曜
寺田屋浜 伏見万灯流し
明治維新を迎えるにあたり犠牲となった人々を慰霊するとともに、お盆の先祖供養と家内安全を祈願して開催
濠川・宇治川派流に約1000基にもおよぶ色とりどりの灯籠が流され、水面に反射する灯かりで幽玄かつ幻想的な雰囲気となる
18:30~20:00- 11/15に近い日曜
龍馬祭
坂本龍馬の命日である11/15に合わせ近接する竜馬通り商店街周辺で行われるパレード