勝竜寺城公園 京都観光

勝竜寺城公園

勝竜寺城公園

 

 

勝竜寺城公園とは?(基本データ)

名前
勝竜寺城公園(しょうりゅうじじょうこうえん)
エリア
西山・乙訓
ジャンル

公園 城・城跡 鳳輦・神輿 観月祭 縁日・市

建立・設立
[勝龍寺城] 1339年(暦応2年)
[公園] 1992年(平成4年)
創始者
[勝龍寺城] 細川頼春
[公園] 長岡京市
アクセス
駐車場
あり(無料)
拝観料
園内自由・無料
お休み
毎週火曜?
年末年始(12/28~1/4)
拝観時間
4~10月 9:00~18:00
11~3月 9:00~17:00
住所
〒617-0836
京都府長岡京市勝竜寺13-1
電話
075-952-1146(勝竜寺城公園管理事務所)
FAX
075-951-5410(勝竜寺城公園管理事務所)
公式サイト
勝竜寺城公園 長岡京市
長岡京ガラシャ祭

勝竜寺城公園の地図

勝竜寺城公園のみどころ (Point in Check)

京都府長岡京市勝竜寺、JR長岡京の東口からガラシャ通りを南へ700mほど進んだ所にある公園。

「勝龍寺城」は南北朝時代の1339年(暦応2年)、室町幕府を開いた将軍・足利尊氏の命により南朝方に備えて京都を防御する城として細川頼春が築城したといわれ、名前は現在公園より南へ約150mの位置にある弘法大師空海が806年に開いたと伝わる古刹「勝龍寺」から名付けられたといわれています。

乙訓地域は「西岡(にしのおか)」とも呼ばれ、山陰・山陽へと至る「西国街道」が南北に通り、また山陽道から京都へと通じる「久我畷(こがなわて)」とが交差する場所で、古くから京都の南西部を守る天王山に次ぐ要衝の地として南北朝時代以降、数多くの戦いの場となってきました。

1467年(応仁元年)の「応仁・文明の乱」では西岡地方における西軍・畠山義就の拠点となり、戦国時代には松永久秀や三好三人衆が治めていましたが、1568年(永禄11年)、15代将軍・足利義昭を奉じて上洛した織田信長は家臣の柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成、坂井政尚らに命じて、三好三人衆の岩成友通が守る勝竜寺城を攻撃。更に上洛を果たした信長が5万の兵を率いて勝竜寺城の攻城に向かったことから、勝竜寺城は降伏・開城。

その後1571年(元亀2年)に信長から城を与えられた細川藤孝によって城の大改修が行われて二重の堀を持つ頑強な城となり、槇島城と並ぶ信長の山城国支配の拠点となりました。

その一方で1578年(天正6年)には戦国武将・明智光秀の三女・玉(後の細川ガラシャ)が、信長の命により藤孝の長男・細川忠興に16歳で嫁いだ際に輿入れした城としても有名で、二人は新婚時代の2~3年間をこの地で幸せに過ごしたといいます。

細川家はその後1581年(天正9年)に丹後国・宮津城へと移ったため、勝竜寺城には京都所司代・村井貞勝の家臣・矢部善七郎、矢部猪子兵助が城代として入城。
そして1582年(天正10年)の「本能寺の変」の後には光秀がその支配下に置き、天下分け目の天王山「山崎の合戦」においてはこの城を背に本陣を構えるますが、「中国大返し」で勢いづく羽柴秀吉に大敗を喫します。

光秀はいったんは勝龍寺城に退却したものの、本拠地・坂本城へと戻るため北門から逃亡を図りますが、最後は山科・小栗栖の明智薮にて落ち武者狩りに遭遇し、あっけなくその生涯を閉じ、また玉も謀反人の娘として幽閉されるなど、忠興との関係も勝龍寺城にいた頃とは状況が一変し、その後は波乱の生涯を送ることとなります。

一方、勝龍寺城は1589年(天正17年)に秀吉による淀城(淀古城)の修築の際に石材が使用されるなどして荒廃した後、江戸初期の1633年(寛永10年)、山城国・長岡藩主となあった永井直清(1649-71)が荒廃していた城の修築を行おうとしますが、江戸幕府から堀を触らずに城の北に屋敷を作るよう命じられたため、同年7月に現在のJR長岡京駅東口付近に「神足館」を建造しています。
そして1649年(慶安2年)、直清の摂津高槻藩への転封に伴って廃城となりました。

現在周辺一帯は東海道本線や阪急京都線、国道171号線が南北に貫き、京都市内や大阪への交通の便が良いこともあって、1960年前後から急激に宅地化が進んだ地域となっています。

勝龍寺城は江戸初期に廃城されたため、建物などは現存していませんが、現代に入り勝龍寺城の本丸および沼田丸跡に都市公園として「勝竜寺城公園」が整備され、1987年(昭和62年)に整備着手の後、1992年(平成4年)に開園しています。

1.4haの敷地には1988年(昭和63年)の城跡の発掘調査で発見された曲輪、堀、空堀、土塁の遺構が保存され、遺構について記された駒札が随所に立てられるとともに、大手橋、城門、多聞櫓、板掘などの模擬建造物も建造されて往時の面影を今に伝えています。

そして城の天守閣の外観をした管理棟は1階が休憩所、2階が資料展示室となっており、無料で利用・見学できるほか、公園内には「ガラシャのおもかげの水」と名付けられた地下水100%の水道水が利用できる施設が、公園内の庭園と公園外の沼田丸の2か所に設置され、多くの地域住民に親しまれています。

整備の行き届いた園内の堀や公園内の池には錦鯉がゆったり泳ぎ、緑も美しく景観は抜群で、2007年(平成19年)2月には「日本の公園百選」にも選ばれています。

春は桜の名所としても有名で、公園を囲む土塁の桜並木のほか、園内中央の庭園にもソメイヨシノや枝垂桜が咲き乱れ、夜間ライトアップも行われています。

その他にも9月には「名月の宴」、毎年11月第2日曜日には「長岡京ガラシャ祭り」が盛大に開催されることでも知られています。

ガラシャ祭りは1992年(平成4年)に勝竜寺城公園が整備されたのを機に、玉の輿入れ行列を再現しようという市民の声を受けて始められたもので、玉が細川忠興に輿入れする様子を再現した「お輿入れ行列」のほか、古墳時代から江戸時代までの有名な歴史上の人物が登場する「歴史文化行列」や「町衆祝いの行列」など、総勢約1000人が市内を練り歩くほか、直前の1週間は「ガラシャウイーク」として、市内各所で様々な催しも行われます。

勝竜寺城公園の施設案内

 

園内

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    北東角の休憩所と多聞櫓の外観

     

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    ガラシャ通り

    公園の東側を南北に通る
    公園と北にあるJR長岡京駅東口と結ぶ

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    阪急バス「勝竜寺公園前」バス停

    ガラシャ通り沿い、公園北東角

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    外堀

    ガラシャ通り沿い

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    南東角の休憩所

     

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    大手橋

    南側の正面出入口

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    「日本の歴史公園100選」の碑

    大手橋の右

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    「明智光秀公三女玉お輿入れの城」の碑

    大手橋の左

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    「勝龍寺跡」の説明書

    大手橋の左

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    「本丸跡」の説明版

     

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    友好都市記念碑

    大手橋を渡った右にある龍の彫刻の柱

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    勝龍寺公園の石標

    大手橋を渡った右

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    城門

    本丸への入口となる高麗門

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    二層櫓(資料館)

    本丸の模擬櫓
    中は管理棟、休憩所になっている

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    1F休憩室

    ガラス張りで池や緑を眺めながらゆっくりできる
    自販機やトイレも

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    2F資料展示室

    古文書など細川家ゆかりの品々や、公園建設に伴う発掘調査で勝竜寺城跡から発掘された出土品を展示
    無料、室内の写真撮影は禁止

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    庭園

    公園の中の庭園に滝や小川のせせらぎが流れる

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    ガラシャおもかげの水

     

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    細川忠興・玉(ガラシャ)像

    庭園の南東の遊歩道の途中
    横に赤いベンチ

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    「東辺土塁と多門櫓」の説明板

     

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    多聞櫓

    公園北東角にある隅櫓で、屋根付きの休憩所になっている
    外を監視するための建物があった場所で弓矢や鉄砲などの武器も納められていたという

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    本丸の井戸跡

     

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    「井戸跡(本丸)」の説明版

     

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    冠木門

    公園北側中央

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    枡形虎口

     

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    石塔・石仏群

    発掘調査の際に出土したもの

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    北門跡

    公園北西
    高さ2mの石垣があり、門は敵が簡単に城の中へ入ることができないように「枡形虎口」と呼ばれる複雑な構造になっていたという

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    「北門跡」の説明版

    「山崎の戦い」に敗れた明智光秀は一時勝龍寺城に逃れた後、ここから近江坂本城を目指して城を抜け出した

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    石段

    園内より土塁の頂上へ上がるための石段

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    土塁の跡

    城の西にある高さ約10mの丘で本丸と沼田丸とを結ぶ通路の遺構
    見晴らしが良く、JR東海道本線など電車も見える

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    「沼田丸への通路」の説明板

     

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    沼田丸への通路からの眺望

     

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    冠木門

    公園南西側
    土塁から沼田丸跡には直接行けないため、この門をくぐっていったん公園の外に出てから沼田丸へ向かうことになる

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    沼田丸跡

    公園西側にある24時間自由に入れる芝生広場
    かつては本丸の西側に沼田丸という曲輪があり、細川藤孝の正室の実家・沼田氏に与えられた屋敷があったといわれている

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    「沼田丸跡」の説明板

     

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    公衆トイレ

     

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    「北辺の堀と帯曲輪」の説明版

     

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    ガラシャおもかげの水と沼田丸の井戸跡

     

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    勝龍寺城公園駐車場

    公園西側にある無料駐車場、約10台駐車できる

周辺(公園南側)

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    勝龍寺

    公園南にある弘法大師空海が開いたと伝わる真言宗寺院
    本尊・十一面観音は鎌倉期のもので国の重要文化財に指定されているほか、「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」第3霊場、「京都洛西観音霊場」第4番札所にもなっている
    正面右の「びんずる尊者」の像は病気の人が像をなでた手で自分の悪いところをさすると病気が治ると伝わる「なで仏」として知られる

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    春日神社

     

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    勝龍寺城大門橋

    小畑川に架かる

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    小畑川

     

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    恵解山通り

    ガラシャ通りから小畑川の手前で南西の恵解山古墳へと続く

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    恵解山古墳(いげのやまこふん)

    公園の南にある古墳時代中期に築造された前方後円墳
    全長128mは乙訓地域最大のもので、「山崎の戦い」において明智光秀が勝龍寺城を後詰めの城としてこの古墳に本陣を置いたといわれている
    現在は1800個ほどの埴輪が並べられていたと言われる当時の姿を復元した古墳公園として整備されている

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    境野一号墳

    山崎の合戦の際に明智光秀の本陣「御坊塚」と推定されるもう一つの場所
    恵解山古墳のやや南にある

周辺(公園北側)

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    東神足交差点

    西へ進むとJR京都線の高架をくぐって西国街道に出る

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    長岡京神足郵便局

     

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    勝龍寺城土塁・空堀跡

    神足神社の境内西側
    敵兵を深い堀と高い土塁に挟まれた土橋に集中させたうえで、横合いから矢を射かける「横矢掛かりの虎口」の跡が残る

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    勝龍寺城の土塁と空堀の説明版

     

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    神足神社

     

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    西国街道(神足商店街)

     

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    長岡京市立神足ふれあい町家

     

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    JR長岡京駅

     

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    勝龍寺陣屋(長岡陣屋・永井氏勝龍寺城)跡

    JR長岡京駅の東

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    村田製作所本社

     

勝竜寺城公園の主な年間行事・カレンダー

年中行事

3月末または4月初の土日
勝竜寺城公園×夜桜のライトアップ

桜の見頃に合わせて夜間の特別公開が行われる
20:00まで
また3月下から4月上にかけて公園外観のライトアップも開催される

9月上旬の土曜
名月の宴

園内の特設ステージで琴や尺八、日本舞踊、詩吟、民謡、独唱などの古典芸能を中心とした演奏のほか、園内では野点(有料)も

11月第2日曜
長岡京ガラシャ祭

1992年(平成4年)に勝竜寺城公園が整備されたのを機に、玉の輿入れ行列を再現しようという市民の声を受けて始められた長岡京で最大級のお祭り
玉が細川忠興に輿入れする様子を再現した「お輿入れ行列」のほか、古墳時代から江戸時代までの有名な歴史上の人物が登場する「歴史文化行列」や「町衆祝いの行列」など、総勢約1000人が市内を練り歩く
また直前の1週間は「ガラシャウイーク」として、市内各所で様々な催しも行われる

行列はマーチングバンドスポーツ少年団~歴史文化行列~お輿入れ行列~町衆祝い行列・長岡京なるこ踊りなどで構成
[歴史文化行列]
継体天皇、藤原継縄百済王明信、藤原基経、菅原道真、清少納言、熊谷次郎直実、承明門院、細川頼春、永井直清、桂昌院、北開田響太鼓
[お輿入れ行列]
松井康之、細川忠興・細川玉(ガラシャ)、清原マリア、細川藤孝(幽斎)・細川麝香、明智弥平次、明智光秀、明智煕子
[町衆祝い行列]
長岡市観光協会、長岡京音頭保存会、長岡京市少年少女合唱団、関関同立、南京玉すだれ善香会、孔雀遊舞会、アーリントン委員会、寧波委員会、伊豆の国委員会、京都橘高等学校吹奏楽部、一里塚幼稚園、古市神輿会、長岡京なるこ踊り

12時半 出発式(長岡第六小学校)

長岡第六小学校出発 先頭12時45分 最後尾13時33分発
文化センター通り~アゼリア通り
長岡京市役所 先頭13時8分頃 行列出迎え式
アゼリア通り~西国街道
JR長岡京駅前バンビオ広場 先頭13時25分頃
西国街道
勝竜寺城公園 先頭13時54分頃 最後尾14時25分

15時~15時半 婚礼の儀(勝竜寺城公園)

中央広場会場・バンビオ広場・勝竜寺城会場にて楽市楽座(ご当地キャラ大集合・市民ステージ・亀山鉄砲隊火縄銃・総踊りじゃんけん大会など)

月並行事

毎週木曜
ふれあい朝市

勝竜寺城公園駐車場にて開催
[公式]

花ごよみ

 
桜(サクラ)

 

 
霧島躑躅(キリシマツツジ)

東と南の外堀沿い

 
紫陽花(アジサイ)

 

 
紅葉(こうよう)

 

勝竜寺城公園のレポート・旅行記

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