苔寺(西芳寺)
幻想的な美しさから「苔寺」の愛称を持つ世界遺産
奈良時代に行基が創建と伝わる古刹で、後に夢窓疎石が再興し禅道場に。 この際整えられた庭園は心の字を象った黄金池を中心に120種類もの苔に覆われ、その幻想的な美しさから「苔寺」の愛称。 世界遺産にも登録されているが、事前申込が必要なため拝観が難しいことでも有名
苔寺(西芳寺)とは?(基本データ)
- 名前
- 苔寺(西芳寺)(こけでら(さいほうじ))
- エリア
- 松尾・桂・西京極
- ジャンル
- 建立・設立
- 伝・天平年間(729~49年)、畿内に建立した四十九院の一つとして開創
1339年(暦応2年)再興
1994年(平成6年)12月、「古都京都の文化財」として世界遺産条約に基づく世界文化遺産に登録 - 創始者
- [開基] 伝・行基
[再興] 夢窓疎石 - 宗派
- 臨済宗単立寺院
- 山号
- 洪隠山(こういんざん)
- 本尊
- 阿弥陀如来
- 寺紋
- アクセス
- 駐車場
- なし
- 拝観料
- 冥加料 3,000円
- お休み
- 予約制(往復ハガキにて申込み)
- 拝観時間
- 時間指定あり
- 住所
- 〒615-8286
京都府京都市西京区松尾神ケ谷町56 - 電話
- 075-391-3631
- FAX
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- 公式サイト
- 西芳寺 苔寺
西芳寺(苔寺)寺務員 Twitter
世洪隠山 西芳寺 Instagram
世界遺産(世界文化遺産) 西芳寺(苔寺) 京都府
苔寺(西芳寺)の地図
苔寺(西芳寺)のみどころ (Point in Check)
京都市西京区松尾神ヶ谷町、京都市西部の松尾大社や鈴虫寺(華厳寺)にほど近い場所にある臨済宗単立寺院。
山号は洪隠山(こういんざん)で、本尊は阿弥陀如来。
奈良時代の天平年間(729-49)、第45代・聖武天皇(しょうむてんのう 701-56)の詔により行基(ぎょうき 668-749)が畿内に建立した四十九院の法相宗の寺院の一つ「西方寺」として開創したのがはじまりで、創建前の飛鳥時代には同地には聖徳太子(しょうとくたいし 574-622)の別荘があったともいわれています。
平安初期には弘法大師空海(くうかい 774-835)が一時住し、鎌倉初期には中原師資(なかはらのもろかず 1184-1251)が法然(ほうねん 1133-1212)を招いて中興して浄土信仰の道場としたとも伝えられていて、その後、兵乱での荒廃の後、南北朝時代の1339年(暦応2年/延元4年)に師資の子孫で松尾大社の宮司でもあった摂津守・藤原親秀(ふじわらのちかひで)が第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう 1288-1339)や足利尊氏(あしかがたかうじ 1305-58)の深い帰依を受けた名僧で、世界遺産・天龍寺の開山としても知られる夢窓疎石(むそうそせき 1275-1351)を招いて再建、寺名を禅宗の初祖・達磨に関する「祖師西来 五葉聯芳」の句より現在の「西芳寺」と改めるとともに臨済禅の修行道場としました。
復興当初は平地部の下段に二層の楼閣の「瑠璃殿(るりでん)」をはじめとする庭園建築と花木に彩られた池泉式の庭を、山腹の上段には「洪隠山」と呼ばれる枯山水の石組と座禅堂「指東庵(しとうあん)」を配し、山頂の展望地点には「縮遠亭(しゅくえんてい)」を建て、これらの建物と変化に富んだ地割を石組で飾った庭園とが華やかな風景を呈していたと伝えられていますが、これらの庭園は天龍寺の曹源池庭園を作庭したことでも知られる夢窓国師が、再興にあたって自ら作庭したもので、当時既に天下の名園として名高く、足利義満や足利義政をはじめ、ここを訪れて座禅に励んだ人も多いといいます。
1469年(文明元年)の兵火によって建物は失われ、その後一時再興されたものの再度の兵火に遭い、また江戸時代には2度にわたって水害も受けたといい、現在の建物のほとんどは明治期に造営されたものです。
その一方で庭園は造営当時の姿は失われているものの夢窓疎石が整備した地割と石組は全て保持されていて、枯山水石組みの上段の庭と、「心」の字を象る黄金池を中心とした池泉回遊式の下段の庭からなる2段構えの庭園は、昔の面影をよく伝える名庭と謳われるとともに、更に江戸後期頃からは庭園を苔が覆うようになり、現在は3万5千平方メートルに達する庭園の一面が120余種もの青苔に覆われ、その緑の絨毯を敷き詰めたような幻想的な美しさから広く「苔寺」の愛称で親しまれています。
そしてこれらの庭園は建築と庭園の一体化、確実な手法の石組、眺望という視点など、前代までのものにはみられない形式が取り入れられていて、鹿苑寺庭園や慈照寺庭園をはじめとする後世の庭園に大きな影響を与え、その原型になったと考えられており、日本の庭園史上重要な位置を占めるものと評価されていて、国の「特別名勝」および「史跡」に指定されているほか、1994年(平成6年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産条約に基づく「世界文化遺産」にも登録されています。
また境内には3つの茶室があり、中でも「湘南亭」は慶長年間(1596-1615)に千利休の次男・千少庵(せんのしょうあん 1546-1614)が建築したもので、幕末明治維新の際には岩倉具視(いわくらともみ 1825-83)が一時隠棲したと伝えられていて、国の重要文化財に指定されています。
その一方で往復はがきによる事前申込が必要であり、加えて庭園だけの拝観は行っておらず、本堂で行われる写経などの宗教行事に参加することが必要であることから拝観が難しいことでも有名ですが、これは1928年(昭和3年)より庭園の一般公開を始めて以来、参拝者が増えるにつれて「観光公害」が生じたことから、その対策を検討した結果、やみくもに参拝者を増やすのではなく、寺院本来の宗教的雰囲気を保つとともに、参拝者が心静かに参拝することができるよう、1977年(昭和52年)より少数参拝制を実施しているといいます。
苔寺(西芳寺)の施設案内
境内
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大歇橋(だいけつきょう)
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西芳寺川
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総門
境内東側
普段はこちらからは入れず、閉門されたまま
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高浜虚子句碑
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中門
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邀月橋(ようげっきょう)
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衆妙門
通常拝観はこちらから入場
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大仏次郎文学碑
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庫裏への参道
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庫裏
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蓮池(鶴池)
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夕日の清水
清凉寺で4月19日に行われる御身拭式にてこの水が用いられるという
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玄関(宗務所)
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本堂(西来堂)(さいらいどう)
1969年(昭和44年)に京都大学名誉教授・村田治郎の設計・監督により再建
本尊・阿弥陀如来を安置し、内部の襖絵104面は堂本印象により抽象画で描かれている
参拝者は庭園拝観に先立ってまず本堂にて参拝し、写経などに参加する必要がある
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書院
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三重納経塔
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休憩所
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庭園入口への参道
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庭園入口(庭門)
境内東側、下段の池泉回遊式庭園への入口
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観音堂(方丈)
聖観音菩薩立像を安置
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西芳寺庭園(苔寺庭園)
黄金池と呼ぶ池を中心とした回遊式庭園
池の周囲を120種類余りの苔が埋め尽くす苔の庭として知られ、史跡・特別名勝に指定
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茶室「少庵堂」
1920年(大正9年)の建築で千少庵の木像を祀る
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金剛池
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夜泊石
金剛池に浮かぶ16個の岩島で、舟が流されないように港に並んで泊まっている姿を表現しているという
西来堂と瑠璃殿を結ぶ回廊の楚石跡
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黄金池(おうごんち)
西芳寺庭園の本池であり、下段の庭の中心をなす
心の字を模っていることから「心字池」とも呼ばれ、朝日ヶ島、夕日ヶ島、長島(霞島)と呼ぶ3つの島が浮かぶ
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朝日ヶ島
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影向石
松尾明神
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夫婦杉
影向石の背後
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茶室「湘南亭(しょうなんてい)」
茶室兼住居 慶長年間(1596-1615)に千利休の次男・千少庵により建立された茶室で、国の重要文化財に指定
北に張り出した月見台が特徴で、月見台北側に黄金池には「朝日の清水」が湧く
千利休が秀吉に切腹を命じられた際に一時隠れ家として利用したといわれているほか、幕末には岩倉具視が江戸幕府から逃れるためにここに隠匿したと伝わる
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「岩倉具視公旧蹟 西芳寺」の石標
湘南亭前に建つ
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朝日の清水
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方丈跡
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長島(霞島)
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三尊石
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鶴島
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舟石
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夕日ヶ島
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鎮守堂
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茶室「潭北亭」
丸窓から向かいの池に舟が泊っているのが見える
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潭北亭北庭
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向上関
境内北側、上段の枯山水庭園への入口
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通宵路
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須弥山石組(亀石組)
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洪隠山枯滝石組(枯山水石組)
1339年(暦応2年)に夢窓疎石によって築かれた日本最古の石組で、夢窓疎石の生前の墓(寿塔)の造形化したもの
池泉庭園がメインであった当時としては非常に革新的なもので、あらゆる枯山水庭園の原点となったともいわれる
石組を庭園の主役とし、その中に禅の精神性を反映させているという
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指東庵(しとうあん)
開山堂であり、堂内には夢窓疎石の木像などを安置
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座禅石と龍淵水
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